確かな違和感
提出した推薦書の写しを、私はもう一度見つめた。
名前の欄には、黒く、静かに記された文字。
──レイ・グラント。
彼が特別な何かを持っている、と断言する材料はない。 だが、私は彼のことを“ただの兵士”と見做すことがどうしてもできなかった。
感覚的な違和感。
そして、その違和感を何度も“確認させられる”ような場面。
その繰り返しが、私の中に積み重なっていた。
私は机の引き出しから、過去の報告記録を取り出した。 日付順に並んだ紙の束。
その中で、レイに関する記述はごくわずか。
失敗もなければ、功績もない。任務は平均より少し早く、だが正確にこなされている。
まるで、目立たないように“削り落とされた存在”だ。 無駄がない。だが、それは効率ではなく、“曖昧にされること”に特化しているようにも見える。
何かを隠している。 私の感覚が、警鐘を鳴らす。
けれど、それを言葉にする術はない。
昼下がり、兵舎の一角。
部下の一人──名はハロルドだったか──が、ぼんやりと呟いた。
「副隊長。レイって、不思議なやつっすよね」
「どんな意味で?」
「うーん……なんかこう、空気が薄いっていうか。あいつ、怒られもしないけど、褒められもしないし」
私は小さく笑う。
「それは、彼がそういう立ち回りをしているからでしょう」
「やっぱ、そうなんすか? あいつ、なんか誤魔化してる感じ、あるんすよね」
「感が鋭いのね」
「いや、単に不気味っていうか……あ、すみません」
「気にしないで。私も、少し似たような印象を受けているから」
ハロルドが去ったあと、私は窓の外に目を向ける。
中庭で、剣の素振りをする数名の兵士たち。
その中に、黒髪に整った顔立ちだけど、常に無表情な青年の姿があった。
彼の動きは地味だった。
力強さも、派手さもない。
だが、それはまるで“戦場の動き”だった。
不要な動きが削ぎ落とされ、刃の軌道は常に最短。
あの剣は、人を殺すための動きだ。
士官学校で教えられるような“型”とは違う。
私はかつて、それに似たものを見たことがある。
──十年前。王都の士官養成所。
私は若かった。
教官たちの言葉を鵜呑みにし、誰が優秀で誰が劣っているかなど、数字と評価でしか見ていなかった。
そんな中で、一人の生徒がいた。
無口で、目立たず、仲間とも馴染まない。
“何の印象も残らない”生徒。
だが、訓練中のたった一振りで、私はそれに気づいた。 ──この人は、本当に強い。
それは確信だった。
だが、私はそのとき、それを周囲に言えなかった。
証明できる材料がなかった。
その生徒は、後に“無敗の剣鬼”と呼ばれる騎士となり、名を馳せた。
私が、最初に気づいたはずだった。
でも、私はその才能を見過ごした。
だからこそ。
(レイ・グラント。もしあなたが、あの時の“彼”と同じなら──)
私は、もう見逃さない。
書類の山を片付けたあと、私はふと窓の外を再び見た。
そこに、レイの姿はもうなかった。
気配も存在感も、風のように消えている。
まるで最初から、誰もいなかったかのような空白。
「……あなたは、本当に何者なの?」
机に手を添えたまま、私は静かに問いかける。
答えは、いつか出るのだろうか。
それとも、彼は答えさえ与えずに、このまま消えてしまうのだろうか。
静寂は、すべてを包み込んでいた。
だが私は、それを見逃さない。
今度こそ、絶対に。