下級兵士は静かに生きたい
朝のラッパが鳴り響く。
眠気の残る脳に突き刺さる金属音に、兵舎のあちこちで呻き声が上がる。木製ベッドが軋み、足音がバタバタと響き出す中、俺は布団に顔を埋めたまま静かに溜息をついた。
「……はぁ」
誰に聞かせるでもない祈りを吐き出してから、のそのそと身体を起こす。
ここは王国西部の辺境にある第三十七駐屯地。王都から遠く離れた田舎の防衛線にすぎず、英雄も勇者もいない場所だ。
俺、レイ・グラントはこの地で“下級兵士”として、そこそこ真面目に、そこそこ適当に、生きている。
支給された制服に袖を通し、少しだけ崩した着こなしで食堂に向かう。
見た目を気にするつもりはないが、完璧すぎると「できる奴」と誤解される可能性がある為、怒られない程度に着崩す。程よいだらしなさは、"目立たない"と言う点において重要だ。
朝食は黒パンと煮豆と塩気の強いスープ。これで今日も一日戦えと言われても、胃が先に降伏する気がする。
「おう、レイ。今日も変わらず死んだ魚の目してんな」
「……そうかな」
同僚の兵士が肩を叩いてきたが、特にリアクションはしない。適当な相槌と曖昧な視線でやり過ごすのがコツだ。
目立たず、深入りせず、可能な限り“ただの凡人”として過ごす。それが俺の人生哲学だ。
午前中は訓練。
木剣での模擬戦。技術よりも気合と根性が重視される駐屯地では、こういった実戦形式の訓練が主流だ。
「レイ!お前やる気あんのかよ!」
(ない。ハッキリ言ってそんなものは塵ほどもない。馬が二足歩行でバカンスに出かけるくらいには無い)
気合の入った隊員が正面から木剣を振りかぶって突っ込んできた。
……こちらは“やる気の無い兵士”って事でやらせてもらってるんだが。
とはいえ避けなければ普通に怪我をする。それは流石に避けたい。俺は、必要最低限の動きだけで身体を捻り、相手の剣を紙一重でかわした。
ついでに足を滑らせたふりをして、派手に転ぶ。
「うわっ!? お、おい、大丈夫かよ!?」
「……いけない滑った」
頭を打ったふりをしながら、心の中で反省。
(反射で避けすぎた。あれは完全に戦士の動きだったな……)
周囲の目線が少しだけ変わるのを感じながら、俺は地味にショックを受けていた。余計なことはしない、がモットーなのに。
昼休憩。人気のない物陰で昼食を済ませていたところ、影が差した。
「……あなた、ちょっと話があるわ」
振り向くと、そこには副隊長のシア・ローレンが立っていた。
栗色の髪を後ろで結い上げた、整った顔立ちの女騎士。常に冷静沈着で、男社会の中でも実力で地位を得た人物だ。
「……なにか」
「訓練中の動き。あれ、本気じゃなかったでしょう」
心臓が微かに跳ねたが、表情は変えない。
「本気でしたけど?」
「ふぅん……」
鋭い視線が数秒、俺を見つめた。
(やめて。そんな目で見ないで。俺は何の能力もない、ただの下級兵士です)
「ま、いいわ。あまり無理はしないで。あなたには“別の仕事”を頼むかもしれないから」
そう言い残して、シアは去っていった。
彼女の後ろ姿を見送りながら、俺は静かに頭を抱える。
(うわぁ……よろしくない。これは非常によろしくない流れだ…。最悪のパターンじゃないか?)
その夜、屋根裏の物干し場で寝転びながら、俺は今日一日を振り返る。
頭上には星。耳には風。静かで誰もいないこの空間こそ、俺の楽園だ。
「……出世とか、戦果とか、興味ないんだけど」
ポケットから取り出した干し肉をかじりながら、空を見上げる。
「静かに年老いてく。それだけでいい」
だがその直後、兵舎から使令が走ってきた。
「下級兵士レイ・グラント殿! 副隊長からの任務指令書、お届けに参りました!」
「……は?」
俺は天を仰ぎ、布団が恋しいとだけ、心の中で呻いた。