1章『予言』 4話 本の虫
「失礼いたします。」
コンコンとノックの音と共に声を掛けられる。知らない声ではなかったので、どうぞと返してベッドから出る。
扉を開けて入ってきたのは予想通りソフィーだった。変わらずメイド服に身を包んでおり、何やら荷物の入った箱を持っている。
「おはようございます、飛鳥様。ずいぶん早い起床ですね、人間は8時間ほど眠ると聞いていたのですが。」
時計は現在14時を指していた。起きたのは12時台なのだが、当然普通に眠い。
別に私はショートスリーパーという訳ではなく、ベッドも枕も違うのでちゃんと眠れなかっただけである。二度寝しようかとも思ったが、せっかく起きたのだし丁度いいと色々考えを纏めて、いくつか『書き換え』を試していたのだ。
「その認識であってるよ。私はその8時間を分割しがちなだけだね。」
実際私の生活リズム――リズムというほど整ったものではなかったが、それは大体朝食を食べて7時に入眠、12時に起きて昼食を食べて14時に二度寝、そして18時に起きて後は自由といった風だった。
太陽の出ている時間に外に出るほど愚かな行いは無い。まあこの世界ではやはり太陽は出ないようで、目を覚ましても暗いままであり、今も外には青い月が見えるだけであったが。
ちなみに寝溜めや分割睡眠は人間には向いていないらしい。常に眠いので同意できる意見ではあるが、それで出てくる結論がちゃんと時間を取って寝ようではなく、結局何時間寝ようがいつ寝ようが眠いものは眠いのだから、寝なくても同じだと思っているのが私のよくないところだ。
「成程、でしたら再度お眠りになられる前に、こちらの説明だけさせていただきますね。」
そういってソフィーは箱からカードのようなものと手袋にメイク用のコンパクトのようなもの、それに服を取り出してくる。
そういえばパジャマなどあるわけもなかったので、元々着ていた服のままで寝ている。替えは実際必要で買いに行く必要があるなと考えているところだったのだ。
「まずこちらの服は自由にお使いください、飛鳥様が着ていたものに似ているものを3着ほど用意いたしました。」
「ずいぶん用意が早いね。」
一通り見ていくと、ご丁寧に下着まで用意されていた。しかも私が着ているのと似たものだった。透視でもされたのだろうか?
性別が逆ならセクハラを訴えてたかもしれないが、今の性別で訴えても勝てる訳がないし、そもそも特に気にしていないのでスルーが安定だ。
パジャマはなかったが、まあ服のまま寝ることにそれほど抵抗はないし、服選びは嫌いではないのでそのうち買いに行くのもありだ。
「ありがとう、洗濯とかはどこでやればいいのかな?」
よく考えたら昨日は風呂にも入っていない。いや家を出る前に入っていたが、外に出て意味の分からないことに巻き込まれたのだからもう一度入りたい気持ちは十分にあった。
「洗濯、ですか?汚れた際はこちらの籠に入れておいていただければ、わたくしが次の日には綺麗な状態に戻しておきますよ。」
一瞬首を傾げた後に答えてくれるソフィーだが、恐らくこれは習慣の差異だ。
汚れた際という言い方を見るに、夜の世界では服は毎日洗うものではなく、汚れた時に綺麗にすればいいものなのだろう。
「毎日入れることになると思うけど迷惑じゃない?」
「そんなに汚れる予定があるのですか...?毎日でも構いませんが、あまり危ないことはしないようにお願いしますね。」
変な勘違いをされてしまったが、そのまま了解と頷く。
それを見て次はコンパクトを渡してくる。
「こちらは通信機でございます。わたくしとセレスト様、それに陛下の連絡先は既に登録済みとなっております。」
手に取り開いてみると、まんま電話のようになっていた。
王様に直接連絡が取れるというのは随分なことのように思うが、私から連絡をすることなどほとんどなさそうだ。
「昼の世界にある携帯電話というものを参考に作ったと聞いておりますので、使い方は飛鳥様もご存知の通りかと思います。」
形が似ているのはそもそも真似たからだったらしい。しかし、魔術や魔道具のようやものがあるのにわざわざ携帯電話を作るとは。コストの問題なのだろうか?
少し触ってみるが、操作も見ればわかるもので、連絡先も簡単に開けた。
「ん、確かに知ってるのと同じかな。ちゃんと使えそう。」
「セレスト様にも同じものを渡しておりますので、タイミングがあれば一度通話をお試しください。」
ソフィーはそういうと、最後にカードと手袋のようなものをこちらに見せる。
「こちらの手袋とカードは飛鳥様の身分証明書のようなものです。手袋をしていれば城の中では自由が利きますし、カードを見せればどこの店でも無料で買い物ができます。」
「そんなやりたい放題な身分なんだ、私。」
正直現状図書館から出る気がなかったのだが、説明を聞く限りではどこでも自由にやれる権限を得たようなものだった。
ただの人間がそんな扱いでは反感を買いそうなものだし、襲われたり盗まれたりしそうなものだが平気なのだろうか?
「姫様の賓客として招かれたことになっていますし、陛下も気にかけていらっしゃいますので。とはいえ基本的にはわたくしが飛鳥様にはついているはずですので、使う機会はあまりないかと。」
ソフィーの説明に首を傾げる。ソフィーは乃亜のお付きであって、私の相手はそのついでだと思っていたのだが。
そう思っていると首を傾げた私を見て、疑問に思い至ったソフィーが答えをくれる。
「セレスト様のことでしたら、当然私以外にも数人のメイドがついていますので、私一人が居ない程度では問題になりませんよ。」
成程と納得する。よく考えたらお付きというだけでメイド自体は他に大勢いるのだろうし、そのお付きも別に一人とは限らなかった。
まあ乃亜の方で用事が無ければ基本的には私も乃亜も図書館に入り浸っているだろうし、私についていようが乃亜についていようがそれほど差はないと思う部分もあるが、いかんせん乃亜の自由度については全く想像がつかない。
急に呼び出されたと言っていた以上、乃亜もおそらく理解していないのだろうが、昨日――時間にすれば今日だが、王様と会った時の周囲の視線は私だけでなく乃亜への視線も少し怪しいものだった。
悪く思っているというわけではないが、値踏みするような、少なくとも高貴な相手に向けるものではないそれであった。
つまり、知らないうちに内部のごたごたに巻き込まれている可能性が高いということだ。
なんならテロリストも内から手引きしているのかもしれない、などと考えるのは考え過ぎというよりフィクションの見過ぎな気もするが。
「色々ありがとう。それで、乃亜は起きてるの?起きてるならもう図書館に行きたいのだけど。」
正直待ち切れない気持ちで一杯なので、ソフィーに聞いてしまう。合流しようにもソフィーを介さなければ、私の方は乃亜の居場所も知らないのだ。
そんな様子の私を見て、ソフィーは小さくため息を吐く。
「セレスト様の方も起きていらっしゃいますよ。待ち切れないという様子でしたので、飛鳥様の部屋を訪ねに来たのです。」
どうやら乃亜も私を待っていたようだった。あっちは私の部屋を知っているのだし、直接くればいいものを。
「こちらが我が国で最大のノワール大図書館でございます。」
そういって案内された図書館では、視界を覆いつくすほどの圧倒的な数の本に目を奪われる。
本を読む空間だというのにかなり暗いようであったが、ソフィーが来る前に夜目が効くよう『書き換え』た甲斐があり、詳細に見えるようになっていた。
ただでさえ上の方は全く届かなそうな大きさの書架だというのに、見えている範囲のもっと先まであるようだった。焦らされた甲斐があるというものだ。
「わ~!本当に凄い!こんなにいっぱい本があるなんて!」
乃亜も目を輝かせて喜んでいる。
私も乃亜もすぐにでも駆けだして一からすべて読んでいきたい衝動に駆られているのが一目でわかったが、説明を聞こうと抑えていた。
というのも、本の周りを飛んでいる虫がおり、その主と思われる男が入り口近くで控えていたのである。どう考えてもこの図書館の主であった。
網状の模様が入った白い羽に、触腕のような手が生えている。黒い髪と服に身を包んでいるその男は、眼鏡をかけているが色男のように見えた。これまでに見た中だとかなり人間に近い方の見た目だ。
その男は、私と乃亜がそちらには目もくれず、本の森に夢中になっている間に、ソフィーと二人で内緒話をしていた。いやおそらく図書館だから声量に気を使っただけで、内緒話ではないのだろうが。
乃亜が我に返り、ソフィーたちの方に目を向けると、男が恭しく頭を下げる。
「お初にお目にかかります、セレスト様。私達はここの館長を務めているベルゼブブと申します。」
「「ベルゼブブ...!」」
ずいぶん大きな名前が出てきたものだ。乃亜と二人して驚いてしまった。
私達、というのは恐らく飛んでいる虫を指しているのだろう。名前から考えれば蠅のようだが、あまりそうは見えない。
「おや、ご存じだったのですか?」
ソフィーが不思議そうに聞いてくる。
初対面だというのに二人して名前に心当たりがあったのだ。疑問に思うのも当然と言えば当然であるが。
「元居た世界で有名な名前なのよ。しかも特徴もそっくりみたい。」
乃亜が簡潔に答える。特徴があっているということは、悪魔だなんだという話も的外れではない可能性があるということなのだが、それほど長い間生きているようには見えない。
そもそも不死は存在しないという話を乃亜にされたことを考えると、襲名性という可能性に思い至る。
「であれば、それは私達の先祖様でしょうね。代々同じ権能を受け継いでおりますので。」
ベルゼブブがこちらの疑問にも答えてくれる。
夜の世界ではソフィーと王様以外の人は、毎回私に敵対的な視線を向けてきたものだが、ベルゼブブは全くない。かなり話の通じそうな人だった。人ではないが。
「お二人はこの図書館に来るのを楽しみにしていたとお聞きしました。ですので簡潔に、この図書館の使い方について説明いたしましょう。」
ベルゼブブはそういうと幾つかのルールと使い方について教えてくれる。
まず周囲を飛んでいる虫についてだが、ベルゼブブの権能による分身のようなものであり、読みたい本を伝えれば、それを持ってきてくれる。それだけでなく、おすすめを聞いたり、こんな本が読みたいというだけで、それに合った本を持ってきてくれるらしい。
本の貸し出しも可能であり、入り口に置いてある魔道具によって、期間を決めて複製を行い、その複製体の方を持ち出すという形のようだ。わざわざ返しに行く必要のない、画期的なシステムであった。
次に、図書館でのルールについてだが、3つだけであった。
一つ、他人に迷惑をかけないこと。
二つ、本を外に持ち出さないこと。
三つ、館長の指示に必ず従うこと。
「これらのルールは絶対順守でお願いいたしますね。守っていただけないと、つい殺してしまうかもしれませんので。」
ベルゼブブはそういって笑っていたが、ソフィーの方は苦い顔をしていた。
つまり恐らく過去にそれで殺したことがあるのだ。やはり悪魔なのかもしれない。
まあ上二つは考えるまでもなく守ることのできるルールであるし、三つ目についてもベルゼブブに無茶を要求されない限りは簡単に守れるものである。
無茶を要求されるのであればその時点で敵対していそうなものだし、それほど気にしなくても大丈夫そうだ。
「ずいぶん怖い脅し方をするのね。そこまで言わなくてもちゃんと守るのに。」
脅しではないことに乃亜は気が付いていないようで、そんなことをいう。
だがまあ乃亜はすこぶる素行のいい方であったので、ルールとして定められているなら破ることはないだろう。
挨拶を終えて、ベルゼブブと別れる。図書館の中央に読書スペースのような場所があるらしく、そこへ向かうことにしたのだ。
まあそこら中に虫が飛んでいる以上、別れたというのは気分的なものでしかないのかもしれないが。
「口うるさいと思われるかもしれませんが、ルールの順守については徹底をお願いいたします。」
ソフィーが苦しそうな表情でそう告げてくる。
「口うるさいとは思わないけど...言われなくても大丈夫よ?私はもちろん、飛鳥だって図書館のルールを守らないなんてありえないわ。」
乃亜はそう返すが、ソフィーは苦しそうな表情のままだった。
というか図書館につく前からそうだった。体調が悪いか、もしくは純粋にベルゼブブが嫌いなのかもしれない。
「ずいぶん苦しそうだけど、まだ気になることがあるの?それとも体調が悪い?」
直接聞いてみると、ソフィーに顔を顰められる。
聞かれたのを嫌がっているというより、表情に出していたのを恥じているようだった。
「その...わたくし、実は虫が苦手でして。此処はあまり好みでは無いのです。」
最初は黙っていたが、乃亜の心配そうな表情に負け、そう溢した。
私も乃亜も図書館をずっと楽しみにしていたから言いにくかったのだろう。
「そうなの!?だったらついてこなくても大丈夫だったのに...」
乃亜がそういうが、ソフィーは首を振る。
実際他のメイドに任せればいいものをと思うが、代わるつもりはないようだった。
「でも、私も乃亜も多分ずっと居座るよ?仕事もあるだろうし、他に代わってもらうのも手だと思うけど。」
私もそういってみたが、セレスト様はまだしも飛鳥様は他の人に任せられないというのだ。
普通逆ではないのかとも思ったが、この城に来てからの他人の視線を鑑みると、わからないでもなかった。
「もしかして、人間って嫌われてるの?それとも私が嫌われてるだけ?」
そう聞いてみると、ソフィーが頷き、乃亜はとても驚いていた。
「理由については本を読めばわかるかと思いますが...夜の世界は、一度人間の英雄と呼ばれていた存在に滅ぼされているのです。そういった御伽噺を幼い頃から聞いていたものがほとんどですので。」
思っていたよりも納得のいく理由であった。これだけ色んな種族がいるのに人種差別はなさそうだと思っていたのだが、特定の種族に対する嫌悪感としては、幼い頃からの刷り込みはわかりやすいものだ。
乃亜は飛鳥にはなんの関係もないじゃんと憤っていたが、生活に不自由するほどではないので、私からの文句はなかった。
朝にもらったカードや手袋を考える限り、ソフィーや王様はそういう事情があるにも拘らず、私が不自由しないよう手を尽くしてくれていると考えられるのだ。文句をいうなどありえないことだ。
どちらかというと、何故ソフィーは私と普通に接してくれるのかや、乃亜や襲撃者のような存在が居るにも関わらず、夜の世界を滅ぼせる、というその英雄とやらの方が興味があった。
御伽噺である以上眉唾の可能性が高いが、とんでもない権能があれば不可能でもないとも思えた。
「ソフィーは特に私のことを嫌ったりしていないよね、仕事だから?」
「いえ、姉様から飛鳥様についても話を伺っていたからです。少し不思議な感性を持っているものの、基本的には自分にも他人にも甘く、特にセレスト様の力になってくれることが多いと。」
前にも乃亜の話を聞いたことがあると言っていたが、王様からではなく、紗希姉から直接聞いていたらしい。紗希姉の評価には言いたいことがないでもないが、ソフィーはそれを高く買っているようだった。
「そうだよ。飛鳥は自分から他人を傷つけたりしないし、困ってる人が居たら手を差し伸べてくれる優しい人なのに。一言も話したことないのに嫌いになるなんて、良くないと思います。」
乃亜はそうやって私の代わりに怒ってくれているが、前半はまだしも後半の評価はかなり疑問を呈したかった。
むしろその通りだとしたら、怖がられている英雄とやらと同じなのではないだろうか?
そんな風に話をしながら歩いていると、15分程で読書スペースについた。そこには虫は飛んでおらず、ソフィーの表情が幾許か和らいでいた。
しかし、これが中央となると、途轍もない大きさの図書館のようだ、外から見た城の大きさを考えれば、昨日回った場所と総合すると入りきらない気がするのだが、魔道具やら何やらで空間を歪めているのかもしれない。
周囲を見渡し乃亜と二人で頷くと、すぐに読書スペースを本の山で埋め尽くした。
夜の世界の書に曰く
夜の世界には、多数の種族が住んでいる。
それらは色々な個性を持ち、中には自然発生した種族や、異種族同士の子供等、新たな種族が今も生まれている。
当然違う者同士が仲良くすること等出来ず、昔はそれぞれ王を戴き、争い合っていた。
しかし、ある時それらの王を統べる王の中の王が現れたのだ。
その王は、夜に映える白い髪に、漆黒の翼と尻尾を持ち、空に浮かぶ月のように、美しい緋と蒼の瞳をしていた。
突如現れた王に従えず、抗ったものも当然いたが、その悉くが打ちのめされ、忠誠を誓った。
そしてノワール王家を世界の主とし、×人の魔王が手を取り合い、世界を統治することになったのだ。
生物の書に曰く
夜の世界の生物は、大きく二種類に分けられる。
一つは生殖行為によって子を為す生き物であり、一つは自然現象によって生まれる生き物である。
前者は身体能力が高く、活動的な特徴がある。
しかし、その分エネルギー消費も激しく、睡眠や食事を必要とする。
後者は特異な能力を発現していることが多く、世界に漂うマナをエネルギーとして扱える。
その分食事や睡眠を必要とすることがない。
しかし、その特性は悪人に目をつけられることになる。
自然現象によって生まれるということは、条件さえ理解すれば生まれた瞬間に保護することが出来るのだ。
悪人からすれば、親のいない労働力など、格好の獲物であり、奴隷として扱われていた。
しかし、ノワール王家が誕生して後、すぐさま法が敷かれ、あらゆる生き物は護られることになったのである。
それにより、食事が大いに制限されたのは今では笑い話になっている。
権能の書に曰く
権能とは、魂と身体に刻まれる超常的な力である。
種族によっては、権能と見紛うほどの特性を有しているものもいるが、それとは明確に違うものである。
権能は刻まれた魂と身体が揃っていなければ発動出来ないのだ、身体を入れ替えた場合はどちらの権能も扱えなくなっていたことがそれを示している。
権能には解明できていないことが多い。
個人によって差があるものにも拘らず、その個人との明確な関係性が見えてこないのだ。
一部の権能は代々受け継がれるものであることから、遺伝的なものなのではないかという説があるが、他の世界からの迷い人にも権能が発現すること等から、解き明かすのは困難な超常のものだという認識が一般的になっている。
また、権能にもどうやら強さの差がある。
これに関しては、能力がまるで違うにも拘らず、明確に差があるのだ。
その差とは、他者の権能への抵抗力である。
上位の権能と思われるものを持っているほど、他者の権能に抵抗しやすく、自身の権能は効果を与えやすい。
我らが王の権能は、その最上位に位置している。
個人によって差がある以上、当然同じ権能が発現することもあるが、その数は膨大であり、網羅し切ることは到底できていない。
しかし、遺伝される権能や、我らが王を王たらしめている権能については、此処に記しておく。
二つの権能について、文字が薄れていて解読不可能。
術法の書に曰く
権能に次ぐ超常的な力として、魔術と呪術が挙げられる。
しかし、これらは扱いが難しく、それに長けた権能を持ったものでなければ、諦めたほうがいいと言われるほどだ。
術法を扱うには、世界を漂うマナを扱う必要がある。
身体が秘めているマナでは、術法を発現するには足りな過ぎるのだ。
もちろん世界を漂うマナを扱うために、身体のマナを媒介とする必要があるため、世界のマナを扱うことが出来れば無尽蔵に扱えるというわけではない。
しかし、世界を漂うマナは膨大であり、これらを使って発現する術法は、途轍もない効果を発揮することができる。
魔術の書に曰く
魔術とは、世界に対して働きかけ、自然現象を発現させる術法である。
これは天災に限らず、高位の術者であれば、時空を歪めるようなことや、生物を自由に生み出すことすらできる。
しかし、これらを発現するにはそこに至るまでのプロセスの理解や、世界の抵抗に対してマナを扱い捻じ伏せる力が必要である。
それを独学のみで行うには、生物の一生は短すぎるため、扱えるのは基本的に、魔術に関連した権能を持ったもののみとなっている。
また、それらの権能だけでなく、道具作りの才まで持ち合わせたものにより、魔道具が生み出された。
魔術の神髄を秘めた、世界最大の発明である。
これらは道具として完璧であり、魔術の才がないものにも扱うことができる。
また、これによる犯罪は最初から危惧されており、セーフティを取り付けることすら可能としている。
今では魔道具の発達により、魔術を修めようとするものは、魔道具を作るものとほとんどイコールになっている。
呪術の書に曰く
呪術とは、生き物に対して働きかけ、その身体や精神、魂を歪める術法である。
歪めるというと聞こえが悪いかもしれない、治癒や身体強化も呪術の領域だ。
生き物に対してはほとんどなんでも出来ると思ってもらって構わない、極めれば他者と身体を入れ替えることさえ可能なのだ。
魔術もそうだが、極まった才は権能に等しい超常の力となる。
しかし、呪術には魔術との大きな違いがある。
それは、対象の身体に触れなければ、呪術を使えないということだ。
これは、相手のマナに干渉するためであり、当然抵抗も簡単にできる。
出来過ぎてしまうと言ってもいい、対象はその呪術の危険性を判断できないのだ、たとえ治療行為だとしても、防衛本能が勝手に弾いてしまうことさえある。
相手のマナが空の状態であれば、抵抗は出来ず、こちらが流し込んだマナの影響のみを与えることも可能であるが、まずマナを空にするのが至難の業だ。
それ故、現在では呪術も、それを秘めた呪具も、抵抗の無いように自分で自分に使うのが主流になっている。
しかし、一部の術士や権能の保有者は、そんな抵抗などまるで無いように相手に呪術による干渉を可能とする。
医療従事者のほとんどがその権能の保有者であるが、最近活動を始めた災禍衆なるテロリストもその権能を持っているようだ。
名を『マナ感応』といい、あらゆるマナを感じ、変容させることの出来る権能である。
御伽噺の書に曰く
かつて夜は栄華を誇っていた。
夜は大いなる繁栄により、昼や朝にまで手を伸ばそうとしていた。
夜の栄華には天使ですらも追いつくことは出来なかった。
夜の闇が朝を覆いつくそうとした時、人間が朝に現れた。
その人間は英雄を名乗り、夜を退け、朝に味方した。
朝は彼を神の使いと称した。
夜は英雄を討伐するため、全ての魔王を束ね、『王権』で以て対抗した。
王と英雄の戦いは全ての世界に大きな影響を及ぼし、人々は死に絶えていった。
王はついに英雄を滅ぼし、残った民で勝利を祝った。
その日、世界は崩壊を迎えた。
全てが滅び去ったのち、また新たに命が生まれた。
そうして、三つの世界は互いに干渉を控えるようになった。
一通りの書物に目を通し、辺りを見渡す。
当然私も乃亜も本を山積みにするような性質ではない為、それほど多く積まれているわけではないが、大きな本が4冊ずつ積まれている。
それぞれ気になるものについて、詳しく書かれている本をベルゼブブに頼んで幾つか持ってきてもらったのだ。
それを読んでは返し、また新たにもらうのを繰り返していた。
ソフィーも最初は立って待っていたが、途中から自分で本を取りに行っていた。
私も乃亜ももらった本を読み終わるまで一歩も動かないのを見て、見ているのも無駄だと思ったようだった。
時計を見てみると、時刻は15時を示していた。当然起きてから一時間しか経っていないわけではない、一日中図書館に籠っていただけだ。
その甲斐あって、知りたいことはある程度知れたし、魔術や呪術についても、『書き換え』で扱えるようになる目途は立った。
「そろそろ休憩になさいませんか?」
私が席を立ったのを見て、ソフィーが声を掛けてくる。
当然これが初めてではない、最初は18時くらいにご飯を食べないかと聞かれたのだが、私だけでなく乃亜まで断ったために、ソフィーが引き下がったのだ。
その後も4時間置きくらいに休憩を提案されるのだが、毎度私も乃亜も断っていた。
ソフィーは席を外してもいいと乃亜は言っていたが、セレスト様が出ないのであれば私もここに居ますと、ずっと私たちに付き合っている。
乃亜はそれに、一瞬だけ申し訳なさそうな顔をしたが、本を読み始めたすぐに忘れたように熱中していた。
とはいえ、流石にこれだけ時間が経っている以上、そろそろ睡眠や食事を挟む必要はある。
まあ無理をすればもう一日くらいは平気なのだが、集中力が落ちる以上、休憩を挟むのが合理的である。
乃亜の方を見てみると、読んでいるのは4冊目の終盤のようであったので、読み終わるのを待つことにする。
すると、近くから足音が聞こえた。
本を読んでいる間は集中して気が付かなかったが、他に読書スペースを使いに来た人がいるのだろうか?しかし、本を交換する時は、一度も他の人に会わなかったはずなのだ。
そう思って足音のする方を見てみると、見たことのある顔だった。
大きな背丈により大きなマントを身にまとい、錫杖をついている。前は暗闇で良く見えなかったが、乃亜と同じ綺麗な白い髪だ。しかし、顔には深いしわが刻まれており、苦労を背負っていることが窺える。
国王陛下――ディオン・ノワールその人だった。