2章『魔王』 8話 痴話喧嘩
もはや見慣れた部屋で目を覚ます。寝ても起きても日光が差し込んでこないというのは、時間感覚が狂う気がしたが、案外月の色のお陰でそんなこともなかった。
昔に日光を浴びなければ精神の安定を崩すなどという言説を親からご高説いただいた気がするが、それも特に感じなかった。やはりあれは昼に活動する異常種に限った話なのだろう。私には関係がなさそうだった。
一晩眠りについたのだし、乃亜の機嫌も直っているかもしれないが、それを報告に来てくれただろうソフィーは現在仕事で王城に居ないはずである。というか、ソフィーは毎度起きたタイミングを見計らって声を掛けてくるし、乃亜が目を覚ますタイミングも把握していた。超常的なメイドスキルである。それか監視カメラだと思っていたが、探しても当然見つからなかった。
私から連絡を取れば済む話なのだが、寝ているのを起こすのも忍びない。そもそも起きたらまず間違いなく図書館に来るか私に連絡を入れるだろう。何かお姫様としての仕事があるならまだしも、おやすみを言い渡されているのだ。
となれば図書館で待っていればいれば会えるはずである。来ない場合はそもそも機嫌が直っていないだろう。
そうと決まればいつも通りだが、図書館に籠りきりになるのが正解である。とはいえ、食事をせずに向かうとソフィーに何を言われるかわかったものではないので、まずは食堂からだ。
「おや、これはこれは飛鳥様。お久しぶりでございます。」
図書館に入るとベルゼブブに迎え入れられる。前に来た時にはいなかったので、もしかして今日も居ないかと思ったのだが、どうやらそんなこともなさそうだった。
「案外早く戻ってこれたし、久しぶりってほどじゃないけどね。この前来た時いなかったけど、どこか行ってたの?」
「少々、旧友に呼び出されてしまいましてね。本来なら分身にでも任せるところだったのですが、今回ばかりはそういう訳にもいかなかったもので。」
気になっていたことを聞いてみると、曖昧な笑みを浮かべてそう返してくれる。
このタイミングで旧友となると、まず間違いなく魔王な気がするが、話を聞いてみるべきなのだろうか?
ベルゼブブは討伐対象ではないのだが、別に王国側というわけでもないはずなのだ。単純にこの図書館を気に入っているだけである。
私や乃亜のことは気に入っているようだが、それも旧友とやらが相手ではどちらが優先されるかはわからない。レヴィのように他の魔王に情報を売っている可能性も否定はできないのだ。
「その旧友って魔王?」
さして悩むほど気を使う話でもなかったので、とりあえず聞いてみる。
「ええ。『強欲』の魔王、マモンです。心配しなくとも、お二人の情報を売ったりはしていませんよ。」
先回りして聞きたいことに答えてくれるベルゼブブ。
旧友というのは最近何かと話題の『強欲』らしい。結構やばいやつと聞いていたのだが、友人関係が築ける程度には話は通じるらしい。
「逆にこっちに売ってくれたりはしない?」
今回というか、ヴェパルで一回殺された時もそうだったのだが、情報のあるなしというのは随分と差が出るものだ。ここでマモンの情報を得られれば、わざわざ死んで情報を集める必要もなくなるだろう。
とはいえ、流石に友人の情報を売れというのは機嫌を損ねるかと思ったのだが、ベルゼブブは笑みを浮かべている。
「そうですね、私達も飛鳥様の手助けはしたいと思っていますので、出来ることなら情報くらいは売って差し上げたいのですが…あまりマモンに関しては、有効な情報を持ち合わせていないのです。」
案外協力的な態度を見せてくれるベルゼブブ。
しかし、有効な情報を持ち合わせていないというのはどういうことなのだろうか?本を読む限りでは、それほど謎に包まれている魔王というわけでもなかったはずだ。
むしろ、『強欲』は今代の魔王の中で、1番長く生きているのだ。他の魔王に比べて情報としては多いくらいである。
「役に立たないことばっか知ってるってこと?何も知らないって訳じゃないよね。」
「その通りでございます。今代の魔王の中で最強と呼ばれるだけありまして、戦闘に限らず弱点という弱点が見当たらないのです。権能に関しても、知って対策が取れる類のものでもありませんので。」
確かに、マモンの持っている権能は対策が取れるような権能ではなかった。
マモンの持つ権能は形のないものを奪える『強欲』の権能、思考能力を引き上げる『演算強化』の二つであり、かなりシンプルだ。
『強欲』を人に使うには、直接触れる必要があるらしいが、魔王相手に触れられないように立ち回るなど至極当然の話であり、どうにか出来ることでもない。
「ま、じゃあ仕方ないか。ありがとベルゼブブ、君が敵に回らないだけで十分に助かるよ。」
楽に攻略するのは諦めて、会話を切り上げることにする。
死んでも問題ない以上、勝つまでやれば勝てるのだ。勿論死にたくないが、死なない以上は私というリソースは無限である。まあ精神の磨耗という問題はあるだろうが。
時間すら戻るのだ、これを使い倒さないなど、効率厨であり合理主義である私の理念に反する。
「お役に立てず申し訳ありません。私達が敵に回らないことに関してはお約束致しますので、ご安心ください。」
見送りながらそう約束してくれるベルゼブブ。それで十分心強かった。
いつもの場所で本を読んでいると、数時間後に不機嫌そうな乃亜が姿を見せる。
一日寝れば機嫌を直すと言っていたのだが、直らなかったのだろうか?むしろ昨日よりも不機嫌そうにすら見える。
「おはよ、乃亜。えっと…まだ怒ってる?」
「まだ…?飛鳥、なんで怒ってるのかわかってないの?」
怒りを隠さずこちらを睨みつけてくる乃亜。
どうやら怒っている理由は昨日と違うらしいが、心当たりは全くなかった。というか、昨日は別れてからまるで話してないのに、怒らせるようなことなど出来るはずもない。
「全く、かな。教えてもらえる?」
素直にそう聞くと、乃亜が長い溜息を吐く。
「まあ、そうかもなとは思ってたけどさ…はい、これ。」
投げやりに差し出してきたのは一枚の写真だった。
映っていたのは私のベッドであり、私の隣にはレヴィが寝ていた。ただし、猫の姿でだ。
「えーっと…?何?これ。」
見せられたはいいものの、正直何もわからなかった。誰が撮ったのかもわからないし、なんで乃亜が持っているのかもわからない。
「何って、浮気の写真じゃないの?こんなの。飛鳥の様子から察するに、別に本意じゃなかったみたいだけど。」
猫と寝て浮気とは、随分と嫉妬の対象が広いようだ。
というか、レヴィには夜這いはするなと釘を刺したはずなのに、その当日に夜這いを仕掛けるとは大したものである。乃亜のお怒りを受けるのが怖くないのだろうか?
「写真を撮られたことも、レヴィが入り込んでたこともまーったく知らなかったよ。私には乃亜だけ、安心して?部屋は…そうだね、乃亜しか入れないように『書き換え』ちゃう?」
そう提案すると、乃亜が目を丸くしてしまう。
「飛鳥ってば…やっぱ思い切りがいいね。そこまでしてくれなくても平気だよ。」
さっきの発言で満足してくれたらしい。乃亜の怒りもストンと収まっていた。
しかし、あんな写真に嫉妬を覚えるとは、乃亜のことを理解出来ていなかったかもしれない。
私としてはかなりストレートに愛を伝えているつもりなのだが、この程度で不安にさせてしまうようだ。
というか、そうでなくても私が乃亜以外に興味を持つことなどほぼないと言っていいのだが、その辺を乃亜が理解していないとは思っていなかった。
「私、そんな簡単に浮気しそうって思われてるの?」
そう聞くと、乃亜はバツの悪そうな顔で俯いてしまう。
「その、浮気しそうって思ってる訳じゃないのよ?ただ、なんで私のことを好きになってくれたのかもわからないから。他の人のことも好きになっちゃうのかもって…」
…成程、一応納得の出来る理屈ではあった。
私としても、何故乃亜を好きになったのかということを言語化は出来ないし、他の人を好きにならないという風に確約することも出来なかった。
とはいえ、乃亜と婚約者になり、その乃亜が嫌がることがわかっているのに浮気をするようなことは無いと言い切れる。
「んー、私もなんで好きになったかってわからないんだよね。それで不安になるっていうならどうにか言語化したいところだけど…とりあえず、『契約』する?浮気しないって、それでとりあえずは安心でしょう?」
不安を解消するために1番手っ取り早い手段を提案する。
しかし、乃亜の顔はむしろ曇ってしまう。
「それは…ちょっと、遠慮しちゃうかも。」
「うん?どうして?」
「飛鳥を縛りたくはないのよ。せっかく恋人になれたんだし、私だけを見てて欲しいとは思うけど…他にお似合いの人が出来たなら、私は応援したいの。」
「えぇ…」
乃亜から飛び出してきたのはそんな言葉だった。
確かに理解は出来る。私だって婚約する前は乃亜にお似合いの相手がいるなら応援するつもりであったし、縛りたくないという気持ちもある。
あるのだが、あくまで婚約する前の話である。今の乃亜に浮気をされたらブチギレる自信があるし、縛る機会があるなら平気で縛るだろう。
「わがまま言ってるのは自分でもわかってるのよ。でも…これが素直な気持ちなの。」
申し訳なさそうにいう乃亜。別に謝られることでもないのだが、そうなると不安にさせないようにというのも難しいところだった。
「ま、嫌なら無理にはしないけど…あ、部屋には『書き換え』しておくよ?」
「ん、まあそれは良いんじゃない?飛鳥だって、部屋には人入れたくないでしょうし。」
やはり、理解のある幼馴染である。これで何故浮気を疑われるのかが謎だ。
そうして本を持ってきたのだが、よく考えたら2人きりなのは珍しい状況ということに気がついた。
セーブとロードのことを話すなら良いタイミングなのかもしれない。ベルゼブブには聞かれるかもしれないが、まあ許容範囲だろう。
「乃亜、そういえば聞いて欲しいことがあるの。ちょっと話をしてもいい?」
そう聞くと、乃亜は首をこてんと傾げてこちらを向く。
「いいけど…どうしたの?さっきとは違う話?」
「全然違う話。ま、そっちも話したいことあるといえばあるけどね。」
わざわざ手の込んだ真似をして私と乃亜を喧嘩させた猫をとっちめたい気持ちもあるのだが、先にセーブのことを話さないと、機会を失ってしまうかもしれない。
「私、実はやり直せるようになったの。サタンの時とかなんか変だったでしょう?」
そう告げると、乃亜は少し首を傾げてしまう。ちょっと掻い摘みすぎたかもしれない。
「変だったのはそうだけど…やり直せるようになったってどういうこと?」
「私、この世界に来た時に呪いを『書き換え』たって言ったでしょう?あれ、私の役に立つようにって『書き換え』たんだけど、やり直せるようになったの。セーブとロードが出来るようになったんだよね。」
簡単に説明すると、乃亜が頷いてくれる。
「それで色々知ってたってことね。権能よりも凄い力に感じるけど、やっぱり飛鳥の『書き換え』って凄い力なのかしら。」
王様がいうには、私の『書き換え』はノワール王家に伝わる『王権』とやらと同レベルだというのだ。
実際に『王権』を見たことがないのでなんとも言いにくいのだが、世界を統べる権能と同レベルというのは確かに凄まじい権能なのだろう。こうして色々使ってみると、その力は実感できる。
まあ正直能力が凄いかどうかなど自分で決めることだろうと思っているのだが、案外実力主義な世界のようなので、弱くて乃亜の婚約者として相応しくないなどと言われる心配が少ないのは良いことかもしれない。
「話っていうのは今後ロードした時に変なこと言い出すかもだけど、先を見てきたんだなと思って納得してねってこと。」
そう締めくくると、乃亜は首を傾げる。
「言わなくても別に信じるのに。それだけじゃないんでしょう?いうこと。」
私のことをよく理解してくれている幼馴染様は本当に話が早い。死んでも生き返れるということまで伝えたいところなのだが、ただこれに関しては問題があるのだ。
これを説明するには、既に死んだことがあることを説明する羽目になってしまう。それだと、乃亜に要らない心配をかけるどころか、激ギレされる可能性が高いということだ。
昨日は似たような話で一日中不機嫌にしてしまった事もあり、出来れば避けたい気持ちがあった。
「あるんだけど...怒らないで聞いてね?」
そういうと乃亜は顔を顰めてこめかみを押す。既に何を言い出すか察していそうだった。
「多分『書き換え』たのが『不死』の呪いだったからなんだろうけど、死んでもセーブポイントからやり直せることになったの。だからまあ、死にたいわけじゃないんだけど、明らかに死にそうなことをしてても見逃して欲しいなって...」
喋れば喋るほど顔が歪んでいく乃亜に怯えつつ、最後まで言い切る。
ここが図書館だったからよかったものの、もし外で話していたら詰め寄られていただろう。身体能力では勝ち目がないので、私では逃げられないのである。
「...これまで、何回死んだことがあるの?」
「んー、2回かな?多分。ルシファーにぶん殴られて死んだのと、ヴェパルで災禍衆に殺されちゃったんだよね。」
軽い調子で言う私とは正反対に、乃亜はどんどん苦い顔になっていく。
2回で済んでいるのは正直少ない方だと思うのだが、なりふり構わずやっていれば1回も死ななかっただろと言われれば同意せざるを得ない部分もある。
未だに『書き換え』をいまいち信用し切れていないというか、私や世界を『書き換え』て問題がないのかを理解できていない部分があり、力を使い切れていないのである。
というか、そもそも力を身に着けてそれほど期間が経っていないのもあり、権能や術法の使い方をいまいち理解できていない。それだけでなく、咄嗟の判断としてこれらで対処するというのが定着していないのである。
なおさら事前の準備をしっかりするべきなのだが、死んでもいいという事実がそれを面倒だしいいかで済ませる免罪符になっている気がするのだ。
「多分ってなによ多分って...というか!ヴェパルの時にわかってたらならもっと早く言うタイミングがあったでしょ!?」
そうなるだろうとは思っていたのだが、当然文句を言われてしまう。実際一か月の間に幾らでもチャンスはあったのだが、忘れていたというのが正直なところである。あるのだが、まさかそのままいう訳にはいかない。
「乃亜以外に教える気無かったんだもの、ソフィーがいないのは今しかないでしょ?まあベルゼブブには聞かれてるかもだけど...」
これも理由の一つではあるので誤魔化すために口にすると、乃亜は深いため息をついてしまう。
「飛鳥、わかってはいたけどまだソフィーのことただの他人だと思ってるのね。」
不思議な言い方である。ただの他人というかただのメイドだと思っているのだが、乃亜が言いたいのはそういうことではないのだろう。
それなりに付き合いもあったにも関わらず、信用のおける――心を許せる相手になっていないのかということであろう。
まあそれでいうなら付き合いの長さなど関係がないということを家族という存在が証明しているのだが、乃亜から見てソフィーに信用が置けない理由がわからないということだろう。
「残念ながら他人だね、私の世界では私と乃亜とそれ以外だよ。ソフィーも紗希姉も、その点では一緒かな。」
むしろなんで乃亜が他人じゃなくなったのかの方が謎なのだが、これは未だにわかっていないし今後もわかることはないだろう。たまたま波長があったと考えるしかない。
「そう...まあそれはいいわ、わかりきってたことだしね。問題はそんなところではないのだし。」
軽く俯いたかと思うと、にっこりとうすら寒い笑みを浮かべてそんなことを言いだす乃亜。明らかに激ギレである。
「幾つか話があるわ、ちゃんと聞けるわよね?」
笑みを浮かべたまま話を続ける乃亜に、こくこくと頷きを返す。昨日とは比べ物にならないほどキレている。それも私に対してである。断る気など元から無いが、絶対に不可能であった。
「まず、飛鳥だけに無茶させるなんて絶対に嫌。もし死んででも情報を取りに行くことがあるのなら、私を絶対に連れていくこと。私は覚えてられないとしても、見殺しにするのは無理よ。」
わかりきっていた反応であるのでとりあえず頷く。
私とて、目の前で乃亜に死なれるのは非常に嫌なのだが、ロードすれば問題ないというのが私の理屈なのだ。これには頷く他ないのだ。
いやまあ私の精神に無駄な傷を刻むだけだと反論することも出来るのだが、乃亜の力を考えれば二人で挑んだところで乃亜が死ぬ前に私が死ぬだけだろう。結局大差ない話である。
「次、気軽に死んだり私の為にやり直しを重ねたりしないこと。精神は不死にならないっていうのが現状の理論なのだし、やり直しを重ねたら身体は平気でも飛鳥の精神が耐えられないかもしれないもの。ロードはどうしようもない時に限ること。」
まあこれも妥当な話である。
そもそも私は死にたくて死んでいるわけでは無いのだ。出来れば死にたくはないし、そんなに気軽に死ぬつもりもない。
それに、私は乃亜と違って他人の死を受け入れられないような性質ではないし、やり直す手間を考えれば最善では無いからなどと言ってやり直すほどやる気があるわけではない。博愛主義のヒーローであれば全員救うまでやり直すなどと言って磨耗し切っていたかもしれないが、私としては乃亜と私が生き残っていればどうでもいいというのが本音だ。
まあそれがわかっているからこその「私の為に」なのだろうが。
「私だって死ぬのは嫌だしそこは安心して平気だよ。えっと...他にもありますか?」
信用がないのか乃亜に睨みつけられ、つい敬語になってしまう。
「私の知らない間に二回も死んどいてよく言えるね?まあ次が最後だよ。」
そういうと、乃亜は立ち上がってこちらに近寄ってくる。
まさか図書室だというのに実力行使に出るつもりなのだろうか?殴りかかってくるような人だとは流石に思っていないのだが、逃げられないように組み伏せるくらいはしてくるかもしれない。
そんなことを思っていると、乃亜が泣きそうな顔をしているのに気が付く。思ったより心配をかけてしまっているのだろうか?
「えーっと?乃亜?」
「一番大事だから、ちゃんと聞いてね。」
そういうと、乃亜は私を椅子から引っ張り上げて優しく抱き着いてくる。綺麗な白い髪が鼻にかかり少しくすぐったいくらいの距離になってしまった。
しかし、それも一瞬のことで、すぐに肩を掴んで引き離される。乃亜は恥ずかしかったのか、少し顔が赤くなっていた。
「私の為にロードしたのなら、後で私に全部説明すること。じゃないと、飛鳥がどれだけ頑張ってくれたのかわからないし、その分お返しすることも出来ないんだもの。だから、...だから...少しは私を頼ってよ、飛鳥...」
そういうと、また泣きそうな顔をしてしまっていた。私としては十分頼っているつもりなのだが、乃亜としては私一人で頑張っているように見えるらしい。
まあ死んでしまったなどといっては心配かけて当然か。だから言いたくなかったのだが、言わないのも言わないで後に問題を先送りにするだけのようで一気に怒られそうだったのだ。
「大丈夫だよ、乃亜。少なくとも、ルシファーの時は乃亜に助けてもらったでしょう?今後も頼らせてもらいますとも。」
そういって乃亜を宥めるが、乃亜は未だに納得できていないようであった。
「約束――ううん、『契約』よ、いい?」
こちらとしては頷くしかないのだが、それはそれとしてこんな一方的な『契約』を受ける訳にもいかない。
「いいけど、お返しって何?」
さっきの発言をつついてみると、乃亜は慌てて赤い顔をしてしまう。
「それは、その、甘えさせてあげたり...とか?」
なんだか明らかに日和ったような気がするが、あまり具体的なことを言われてもそれはそれで『契約』にすると面倒になるので、権能を使って『契約』してしまう。
「おっけー、『契約』完了。これからはちゃんと、ロードしたら乃亜に全部話すよ。」
「そ、良かったわ。それじゃあ...今回のお返しをしないとね?」
そういうと、乃亜は掴んだままの肩を引き、顔を近づけてくる。目を閉じて迫ってくる顔に、何をしようとしているのか察して私も目を閉じる――のだが、感触があったのは思っていたよりずいぶん高い位置だった。
「今回はこれまで!それじゃあね!」
いうが早いか逃げるように去っていく乃亜。自分の本はしっかり抱えていくのがなんだか憎めないところだった。
「意気地ないなあ...嬉しいけど。」
熱くなっている頬を自覚しながら、額を抑える。先ほどの柔らかい感触を思い出し、私も本を読むどころではなくなってしまうのだった。
びっくりするほど肉体が脆弱すぎてベッドに倒れ伏していました、快復中です。