1章『予言』 1話 夜の世界
身体の感覚が全くなく、どこにいるのかもわからない。にも拘らず、魂に直接地獄のような苦しみが流れ込んでくる。
熱い 寒い 痛い 暗い 怖い 辛い 苦しい
とうに精神は狂ってしまっているというのに、気を失うことも出来ず、その狂った精神も直視させられている。既に永遠に思えるような時間を過ごしているというのに、まるで先が見えないのだ。
この苦しみはいつ終わるのだろうか。
ここから助かるなどという望みはとっくの昔に捨ててしまったが、それでもいつか、自分が壊れてこの地獄から解放されるのではないか、という望みは捨てきれないでいる。
しかし、そんな思考すらも苦しみにかき消され、途切れ途切れに行われているもので、解決策を探すなどまるで出来はしない。そもそも身体の感覚がないのだ、出来ることなど苦しみに埋もれ、無駄な思考を塗り潰されるだけである。
そんな無限に思える時間の中、唐突に焼けつくような二本の痛みが身体から発せられる。普段感じている痛みとは違う、肉体からの感覚である。その痛みは熱を持ち、肉体に、魂に力を与え始める。
一瞬でその力の使い方を理解させられた。
相変わらず身体を動かすようなことは出来ないが、この地獄のような苦しみに終止符を打てるかもしれない変化に、一筋の希望が芽生える。
動かし方のわからない口の代わりに、心の中で詠唱を行うことにした。
(変革を。我が意に従い理を曲げよ。)
力の使い方は理解したものの、結果どうなるのかまでは使って見なければわからない。思考を苦しみに塗り潰されるまでの一瞬のチャンスであり、ここで失敗は許されない。どう『書き換え』るか、考えたのは一瞬だった。
(私の役に立つように、だ!)
心の中で唱え終わるのと同時に、魂に直接流れ込む苦しみは綺麗に取り除かれ、狂っていた精神は何事もなかったかのように平静を取り戻す。
少しずつ肉体の感覚を取り戻していき、永遠に思えた地獄に別れを告げたのだった。
恐る恐る目を開くと、視界に飛び込んできたのは綺麗な白い肌と長い髪だった。先ほどまでの地獄から帰って来たばかりとは思えないほど記憶は明瞭であり、すぐにそれが見知った幼馴染のものだと気が付く。
汗をたらし、苦しそうな表情で駆けている乃亜をよく見ると、瞳を赤く腫らしている。泣いていたのを見るのは随分と昔——乃亜と深く関わるようになった、小学生以来かもしれない。その珍しい様子に声を掛けるのが一瞬躊躇われる。
しかし、記憶が確かなのであれば、私は襲撃者の女に人質にされているはずだったのだ。
「私、乃亜に攫われたんだっけ...?」
記憶を疑い、つい独り言を漏らしてしまう。すると、飛び上がったように驚いた乃亜に身体を投げ飛ばされてしまう。
「きゃあ!え!飛鳥!?大丈夫なの!?」
一回転して綺麗に着地したところに、心配そうに乃亜が駆け寄ってくる。先ほど見たばかりの赤いドレス姿だが、頭と背にフィクションのキャラのような、漆黒の角と羽を生やしている。
これ夢か...?
「苦しくない?痛いところは?すぐに城に連れて行くから、そこなら治してもらえるはずだから...我慢してね。」
乃亜は興奮した様子のままこちらを案じてくれているが、何が何やらだ。
辺りを見渡してみると、あまり見慣れない色の建物が多く建っており、周囲の人は乃亜と同じように角や羽、尻尾が生えたような人や、人より魔物と呼んだほうがしっくりくるような姿もある。そして何より空には赤い月が浮かんでおり、乃亜の向いている方には大きな城が建っているのだ。
「私の知識だと、ああいうお城みたいな建物ってHなホテルなんだけど...?」
「ち・が・い・ま・す!周りを見ればわかるでしょう!?いつもの世界じゃないのよ!」
もしかしたら本当に乃亜に攫われたのかもしれないなどという疑問が浮かび、つい口に出してしまったが、ちゃんと訂正が入る。どうやら異世界に来たようだが、乃亜はそっちのお仲間のようだ。
「そんな軽口が出てくるってことは、心配しなくても大丈夫ってことでいいのね?」
少し膨れた様子だが、先ほどまでと変わらず乃亜は心配を向けてくれる。返事をしていなかったことが申し訳なくなり、しっかり大丈夫だと口にする。
「よかった…ほんとに…よかった…」
乃亜は少し目を潤ませながらそういってくる。私は男女平等を掲げている為、女が泣いていたとしても顔面を殴りつけることすら出来る。と自負しているのだが、それでも女の子が泣いていると謎の罪悪感が湧いてくるから不思議だ。まあ乃亜が特別なのかもしれないが。
緋縞乃亜は幼馴染である。付き合いは幼稚園の頃から――とはいえとはいえ、話すようになったのは小学生の頃からだ。
話すといっても逸れもの同士で近寄り、最初の頃は本を読んで時間を過ごしていただけなのだが、不思議と好きな雰囲気だった。
私は小さい頃から独りを好み、他人と関わることを極度に嫌がる性質であった。家族に対しても過度に関わってくることを拒んでおり、人と関わりを築いている人に対しては、嫌悪だけでなく尊敬すら覚えたくらいだ。
何故あんなに気分の悪いことを我慢できるのだろう、と。
最初の頃は乃亜にも同じように思っていたが、不思議と過ごしていくうちに乃亜だけは特別になり、用もないのに私から話しかけるまでになった。
緋縞乃亜は紫水飛鳥にとって、唯一自分と関わるのを許せる他人なのだ。
そんな乃亜がひとしきり涙を流し、落ち着いたところで話を再開する。
罪悪感のまま謝ってみても良かったが、何が悪いかもわかっていないのに謝ることほど無駄なことはない。そのため、乃亜が口を開くのを待った。
「ごめんね、急に泣き出して。私が巻き込んだのに…ていうかまだ色々謝らないといけないことあるのよね。」
異世界に居た時点で想定通りではあるが、このまま解散というわけにはいかないようだ。しかしその前にある程度こちらの疑問も解消しておきたい。
「ちょっと先に聞きたいことが幾つかあるんだけど、答えてもらえる?」
そう聞くと、乃亜は真剣な表情で頷く。
「私もなんでも知ってるわけじゃないんだけど、答えられることなら全部答えるつもりよ。それと、私も聞きたいことがあるから、そっちが終わったら私の話も聞いてね?」
おそらく先ほど言っていた、巻き込んじゃうことに関連するのだろうが、乃亜とは長い付き合いだし、既に突拍子もない事態なのだ。それほど大きな問題もないだろうとこちらも頷いて、質問を始める。
「じゃあまずは...なんでそんな服着てるの?」
「そこなの!?」
私の質問に乃亜が大声で驚く。とはいえ最初からずっと気になっていたのだ。いつの間にこんな華美な服を着るようになったのだろう?
「はぁ...まあいいわ。さっきのことを覚えているのかわからないけれど、私はこっちの世界のお姫様みたいなの。それで帰ってこいって呼び出されたんだけど、城に戻るならこれを来なさいって紗希姉に着させられたのよ。」
「なるほどねぇ、お姫様...」
記憶の中では襲撃者にそう呼ばれていたし、背後の城や今の恰好を総合すると、実際そうなのかもしれないと思えてくる。
月と同じく少し仄暗い赤色のドレスに身を包み、普段は履いていないヒールの靴や、金色の装飾をつけている乃亜は、服装だけでなく、容姿もお姫様と言われればお姫様に見える。
幼く見える部分があるが、しっかりと整った可愛らしい顔つきに、綺麗な真紅の瞳と長い純白の髪は、見るものを圧倒するレベルの美しさだ。そのせいで昔は虐められていた気がするが、今では高嶺の花として遠ざけられていることの方が多い。まあ本人は背も低ければ胸もないと無いものねだりを愚痴ってくるので容姿に満足はしていないようだが。
ちなみに紗希姉というのは乃亜の義理の姉であり、とてつもなく世話焼きなしっかりしたタイプの女性である。緋縞の家は代々神社の神主を務めている家系であり、後継ぎがいないとかなんとかで養子を引き取ることも多いのだとか言っていた。
「紗希姉もここ...夜の世界の出身らしいわ。信じられないのはわかるし私も正直信じられないけど、本当のことらしいのよ。」
乃亜はそういって困った顔をするが、これだけ証拠を並べられて疑うほど物分かりが悪い方ではない。
「いや、信じるよ。次に聞きたいのは...さっきの襲撃者ってどうなった?」
「本当に物分かりがいいね飛鳥は...さっきの襲撃者、災禍衆の女は...」
乃亜は一瞬口ごもり、目を伏せる。しかしそれも一瞬のことでこちらに向き直るとしっかりと口にする。
「殺したわ、私が」
「そうなんだ、災禍衆って何?」
「反応薄くない!?嫌われる覚悟したんだけど!?」
そう言われても、この非常事態で良く知らないどころか攻撃してきたやばいやつの命の心配などしていられるわけがない。
何より私は他人にそこまで興味を持てない性質であるし、命の価値にはしっかり差をつけるタイプだ。その中で、私と並んで頂点に位置している乃亜と比較してどちらかなど考えるまでもない。
「私は物分かりがいいので。それで、質問の答えは?」
気にしてるのは乃亜だけだと暗に伝えるように、再度質問を投げかける。
「呆れた...災禍衆っていうのはこの世界で最近活動的なテロリストらしいわ、あんまり詳しくないけど狙われるかも~って帰る前に注意されたの。」
乃亜があんまり知らないタイプの話らしい。これ以上つつく価値があるか考えるが、テロリストと関わり合いになっていいことなどあるわけがないので別の質問をする。
「じゃあまあ気にしなくていいか...えっと、夜の世界ってこの世界のことでいいの?」
次は異世界についての質問をする。乃亜とは会話できているが、周囲の看板は読めないし、会話も知らない言語なのだ。明らかに元の世界と違うのに、夜の世界という呼び名は気になる。
「そう、えっと...色々疑問があるだろうから、これはまとめて説明するね。」
何から説明しようかな~と乃亜は頭を悩ませる。異世界について聞きたいこととしては、元の世界との交流、使用言語、文明の発達度、魔法の使いかたくらいなのだが、どこまで答えてもらえるものかと考えたところで、言語と魔法について名案が浮かぶ。試してみようかと考えたところで、乃亜が話を始めたのでそちらへ意識を向ける。
「まず緋縞の家なんだけど、昔からここ...夜の世界と親交があるらしいの。神社をやってたのはそれで魔術を使ったのを神の奇蹟だって誤魔化したかららしいわ。」
ずいぶんと信心のない神社もあったものである。しかも、その理屈で言えば乃亜は神の子だろうに、それに巫女服を着せて働かせていたのは怒られないのだろうか?
「それで...こっちの世界でも元の世界...昼の世界っていうらしいけど、そっちの言語が通じる人はいると思うわ。でも、高い地位についてる人しか話せないだろうし、それも日本語が話せるってなると少ないと思うの。でも大丈夫よ、夜の世界の共通言語は簡単で、私でも一年で使えるようになったもの。」
そう言って胸を張る乃亜だが、これについては秘策があるので、おそらく10秒で解決である。
「後は...えっと、とても言いづらいのだけど、夜の世界と昼の世界を行き来することが出来るゲートは10年に一度しか開かなくて。開く時期には複数開くのだけど...私たちが通ってきたのが最後のゲートで、それも閉じちゃったから...帰れるのは十年後...かも?」
「え!?十年!?」
長期休暇の間の帰省に付き合わされたくらいのつもりだったというのに、十年は帰れないというのはとんでもない話である。いや別に帰りたいわけではないのだが十年というのは...
「え、十年も帰れないって知ってたのに、君、私に挨拶もなしに家に帰ろうとしてたの!?」
問題はこれである。少し疎遠気味になっていたとはいえ、十年も離れるというのに挨拶なしで済ませるような関係ではないと思っていたのだが。
「私たちって所詮その程度だったんだ...悲しいな...泣いちゃいそう。」
揶揄っていることが伝わるように悲しげな表情のまま棒読みをする。だが乃亜は申し訳なさそうな表情のまま言い訳をしてくる。
「いや、その...なんて言えばいいのか悩んでたら最後のゲートが開く時期になっちゃって...緋縞の家となら連絡が出来るみたいだからそれで話せたらいいなって...」
ずいぶん悩んだ末だったらしい。そもそも乃亜は友達が多い方ではなく、私と別れることも嫌がったのだろうことが伺える話だった。苦しそうなのでこれ以上つつくのはやめにする。
「そうなると私、住む場所に困っちゃうことになるんだけど、お城に住まわせてもらえるのかな?」
目下一番の問題が切り替わったので、魔法のことは置いておいて、こちらを質問することにする。駄目と言われるとかなり困ってしまうが...
「それはもう、全力で頼み込むわ。駄目だったら私も出ていくから、二人で住める場所を探しましょう。」
「プロポーズ?」
「違うわよ!?」
どう考えてもそう勘違いされる発言だったと思うのだが、少なくともそれくらいの覚悟はあるらしい。となるとまあこの話は城についてからでいいか。
「えっと...他に聞きたいことはある?無いなら私が質問したいんだけど...?」
そう言われて少し考えるが、文明については見て確かめればいいし、言葉と魔法については秘策がある。となると...
「無いかな、質問どうぞ?」
「無いんだ...私の角とか羽とか...」
私に興味ないのかな...と口を尖らせる乃亜だが、見ればわかるし夜の世界の出身だという話で納得の出来るものである。聞きたいことなんて...と少し考えたところでかなり気になることに思い当たる。
「あった、聞きたいこと。その羽って背中から生えてるの?」
「え、うん。背中からだけど?」
「それって…その、服はどうなってるの...?」
フィクションで人型の羽や尻尾が生えている生き物を見るたびに疑問に思っていたことである。穴をあけているのか元からそういう服なのか、昨今は何も着ていないに等しい服を着せることでカバーしていることが多い気がするが、今乃亜が着ている服はそうではない。背中もしっかりと覆われているのである。
「そういう疑問ね、わかるけど...元から羽を通す穴が開いているのよ、気になるなら見せてあげてもいいけど?」
乃亜はそう言ってくれるが、これで変な声でもあげられてしまえばお姫様へのセクハラ罪で捕まるかもしれない。
「いや、長年の疑問を解消してくれただけで十分。そっちの聞きたいことってなぁに?」
こっちの聞きたいことは終わったので、次は乃亜の話を聞く番になる。
「その…今更なんだけど…怖かったり、驚いたり…しないの?」
「ん?」
随分と要領を得ない問いだ。
何を指して聞いているのかわからないが、察するに襲撃者についてではなく、異世界に連れてこられたことについてだろうか?
先程の話を前提に考えるとそっちではなく乃亜が人ではなかったことについてである可能性もあったが、襲撃者についてでないのなら答えは同じである。
「何についてかわからないけど、乃亜や異世界についてなら、特には。」
「飛鳥って本当に変な人だね…」
呆れたような安心したような様子でこちらを見てくる乃亜。
ファンタジーに巻き込まれたことについては当然驚きもあるし、襲撃者に人質にされた時は恐怖も多少ありはした。
しかし、昔から何が起きても不思議ではなく、明日命を落とすかもしれないと思って行動するのを常として来た身であるし、こうしたファンタジーについても1オタクとして理解のある方なのだ。
乃亜もそれについては理解しているはずなのだが、実際に巻き込まれてもまるで気にも留めないとは思わなかったらしく、巻き込んだ側にも関わらず私より狼狽えている。
しかしそれも今の回答に満足して収まったようだ。
「聞きたいことってそれだけ?」
そう聞くと、乃亜は慌てて首を振る。
「そうね、まずは呪いについてよ。様子を見る限り全然辛くはなさそうだけど、災禍衆の呪いは受けた人は漏れなく精神を発狂させるかそのまま死んでしまうらしいの。だから大丈夫なのか心配で。心当たりはある?」
「あ~」
本当はこちらから聞くべきだったのだけど、と溢す乃亜だが、実際心配をかけるような状況ではなくなっているはずなのだから、考えすぎというものだ。
とはいえ、心当たりなら確かにある。
先ほどの地獄のような苦しみは呪いによるものだったらしい。実際受けた身から言わせてもらえば発狂も死も冗談ではないというか、実際私も精神は発狂していたはずだ。説明するには手に入れた力の説明が必要なのだが――まあ羽と角が生えて魔法打ってた乃亜が受け入れられないわけもないし、大丈夫か。
「実際私も発狂してたようなものなんだけど、途中でなんか力を手に入れてね。呪いをまるごと書き換えたんだと思うけど…呪いってどんな呪いなの?」
力を振るった自覚はあるのだが、理解したのは力の使い方まで。使った結果どうなるのかまではわからず、曖昧な言い方になってしまう。
理解したことも、『書き換え』という名前に、なんでも書き換え自由にできるという万能感と、十全に力を振るうための詠唱くらいなのだ。
まあもう一つ手に入れた力もあり、そちらに比べれば『書き換え』は使いやすいのだが。
「発狂してた…?ああいや、えっと、呪いは有名なものなんだけど、『不死』と『禍根』っていう呪いらしいわ。」
「不死…?」
不死といえば呪いというよりも祝福の方に位置するものな気がするが、不死であって不老では無いとか、代償が重いタイプの呪いなのだろうか?
「気になるわよね、飛鳥こういう話好きだし。ちゃんと説明するね?」
話のわかる幼馴染で大変助かることだ。ゲームや漫画では専らファンタジーを嗜んでいたし、設定などもしっかり読み込むタイプである私としては、呪いや魔法の詳細など幾らでも時間を潰せる話である。
「まず『不死』の呪いなんだけど、これは魂にだけ影響を与える呪いなの。生き物は身体と精神、魂の3つに分けられるんだけど、身体と精神はどうしても磨耗を避けられなくて、不滅のものには出来ないみたい。」
なるほど、なんとなくは理解出来る話である、肉体が不滅に出来ないというのは夢のない話ではあるが、精神の磨耗が防げないというのは、不死者を扱う話にはありがちなことだ。
「それで、身体が無くなると普通は魂が霧散して、精神は輪廻に送られるの。でも魂が不死になるとそうじゃなくて。精神は魂の中にとどまって狂ってしまうし、身体を失って強制的に留められている魂には地獄の苦しみが流れ込んでくるらしいの。」
先程の地獄を思い出し身体が強張る。実際恐怖を知らしめるための過剰な表現ではないということが理解できている。あれはもはや言葉に表せるようなレベルでは無かった。
だが、ふと疑問が浮かび上がる。肉体が無くなるとそうなるという話なのであれば、私には当て嵌まらないはずなのだが…?
「私って一回死んで生き返ったの?」
疑問をそのまま口にすると乃亜は慌てて否定する。
「あっ、違うの!えっとね、それについては『禍根』の呪いがまた酷くて…『禍根』は掛けられた人の生涯で1番苦しい経験を体験させる呪いなの。『不死』を掛けられた人の1番苦しい経験なんて、身体が滅んだ後のことしかないから。それで体験させられたんだと思う。」
どうやら死後を体験させる黄金コンボだったようだ。随分と性格の悪いことを考える奴もいたものだが、呪い返しのようなものは考慮していないのだろうか?などと考えていると、乃亜が少し頭を悩ませているのが目に入る。
「書き換えたって言ってたよね。その力――権能っていうんだけど、夜の世界に来た生き物に刻まれるらしいの。多分それのお陰、なのかな?」
乃亜も尻すぼみに曖昧な表現になっていく。それほど夜の世界や権能とやらに関して詳しいわけではないのだろう。
であれば先ほどの秘策の出番かと口を開く。
「気になるなら使って見せようか?」
「え、何に?周りに迷惑かけちゃダメだよ?」
私をなんだと思っているのか、そんな注意を口にする。
「まあまあ、大丈夫だって。ちょっと見てて。」
魔法の方はまだ理解が追いついていないので、簡単に出来そうな言語の方をどうにかしようと考え、今回は肉体が使えるので詠唱を口にする。
≪変革を。我が意に従い理を曲げよ。言語の壁を取り払え!≫
詠唱が終わると、周囲の喧騒が聞き取れる音へと変わり、読めなかった看板の文字も読めるようになる。
「今のが...『書き換え』の権能?」
特に身体が光ったりするわけでもなかったので、乃亜には実感が伝わらないようである。
「これが服屋、これが鍛冶屋、これが…杖屋?にこれが鉱石売場?」
看板を指さして幾つかを読み上げると、乃亜が驚いた表情をする。
「凄い。本当に読めてるんだ。応用力が高くて使いやすそうな力ね。それに比べて私のときたら...」
書き換えの結果については認めてくれたようだが、後半で落ち込んでしまった。もしかしたらあの氷の魔法は権能によるものだったのだろうか?センスが無いとは思ったがそれしか使えないのなら申し訳ないことを思ったな、などと考えていると、乃亜が次の質問を投げかけてくる。
「えっと、まあ大丈夫そうならいいの。よかったわ。他には権能って何かある?私は3つあるんだけど。」
「私は2つかな、『書き換え』ともう一個は『契約』、絶対に破れない契約を結べるみたい。」
正直魔法で似たようなことが出来そうなものだが、便利な力ではあるだろう。口約束では破られるかもという心配がつきものだが、権能を使えば確実なのだ。
まあ逆に絶対守らないといけない、というのが私の足を引っ張る可能性も見えていて、一方的に有利な条件でもなければそれほど使う気にもならないが。
「どっちも使い勝手が良さそうでいいな...私のはえっと、『魔眼』っていう目を合わせた相手の動きを掌握する力と『術法の極み』っていう魔術と呪術の出力を自由に弄れる力、後は『美の礼賛』っていう、見た目が一番綺麗なままで留まる力みたいなの。」
「なーるほど?」
どうやら私のはどちらもゲームで例えるところのアクティブスキルだが、パッシブスキルに近い権能もあるようだ。しかし本人の言う通り私に比べるとなんとも日常では使いにくそうな力だ。
『美の礼賛』くらいか?確かに泥に塗れたり雨に濡れているところを見た覚えがない。
「いつも愚痴ってたけど、この『美の礼賛』とやらのせいで、私はもう背も胸も育たないのが確定してるのよ...ほんと、許せないわ。」
そう苦々しい表情で呟く。本人は『美の礼賛』も気に入っていないらしい。
背も胸も大小どちらがいいと言い切れるものでもないし、そんなに気にすることでもないと思うのだが。
「えっと、私たちは明かしたけど、本来は権能ってそう簡単に人に教えちゃいけないらしいの。」
「まあそうだろうね。」
相手がどんな力を持っているかわからなければ安心できないという側面はあるが、逆にわかっていればそれはそれで大きな恐れや誤解を招く上に、災禍衆のようなテロリストに狙い撃ちにされてしまうかもしれない。
「でもお城で話をする時に『書き換え』については話さないとちゃんと説明出来ないと思うし、王様――お父さんに聞かれるかもしれないから、答えたくないなら私がちゃんと断るけど...どうする?」
そう聞かれるが、正直迷い込んだ世界で王様とことを構えるなんてことになれば間違いなくバッドエンドだ。友好的であることを示すためにも聞かれたことには答えたほうがいいだろう。
「『書き換え』については避けて話すようにして、権能については聞かれたら答えるってことでいいと思う。乃亜が庇ってくれるのは嬉しいけど、無理して家族と対立するようなことになったら困るでしょう?」
そう聞くと乃亜は苦笑いで答える。
「まだあんまり家族って実感も無いから...急に呼び出されて少し怒ってるところもあるのよ、飛鳥が巻き込まれちゃったんだもの。」
そういって少し怒ったような様子を見せるがすぐに首を傾げる。
「そういえば...なんで飛鳥はあそこにいたの?ゲートの開くところって普通の人は入れないはずなんだけど...?」
普通の人は入れない、などと言われても暗い方へと歩いていっただけなので何とも言い難い。だが何故と聞かれれば答えは一つである。
「課金のついでにアイス片手に散歩してたの、そしたら迷い込んだだけよ?」
「えぇ...深夜に?趣味悪いよ、飛鳥。」
本気で困惑した顔をされるが余計なお世話である。
「まあいいじゃない、質問は終わり?」
「あ、うん。いったんこんな所かな。」
乃亜が頷いたのを確認すると、横に並んで城へ向かって歩き出す。
つまらない日常に飽き、引きこもっていたのが終わりを告げたのを感じる。
新たな世界へ文字通りに踏み出したことに気が付き、胸を期待でいっぱいにさせながら、城まで乃亜と他愛もない世間話に花を咲かせたのだった。