2章『魔王』 2話 『憤怒』の御膝下
とりあえずセーブを更新しておき、城門の前で乃亜達と合流する。
『憤怒』の住む街にも転移の魔道具は当然設置されており、魔道具を使って向かうらしい。
なんでそれで今まで攻められていないのか不思議なものだが、リゼットさんがそれだけ恐れられているということらしい。とんでもない話だった。
「今から向かう街――ベレトでは、『憤怒』の権能の影響に晒される可能性があります。言動には十分に気を付けてください。」
魔王の住む街というだけあり、その権能の影響下であるらしい。ちなみに『憤怒』の権能は感情の制御が効かなくなり、衝動的に行動してしまうようになるというものだ。
何やら人に迷惑をかけるだけで得られるものの無さそうな権能だが、それが街全体に影響を及ぼしているのだというから恐ろしいことだ。
「そういえば『嫉妬』と喧嘩してたみたいな話をしてたけど、あれはどうなったの?」
小競り合いという話だったが、それでも魔王同士の喧嘩なはずだ。何も影響がないとも思えないのだが。
「『傲慢』と小競り合いしていた時もそうなのですが、『嫉妬』の争いは何も起こらないのです。また街に来る可能性もありますが...その場合は『嫉妬』も従属を狙うチャンスかと。」
ずいぶん適当な指令のようだった。魔王が甘く見られているのか私たちが高く見られているのかはわからないが、魔王が一人と二人では話もだいぶ違うと思うのだが。
「まあ一応『嫉妬』のことも勉強してきたもの、多分大丈夫よ。」
そういう乃亜だが、心配なのは乃亜のことなのだ。『嫉妬』の魔王――レヴィアタンは、その名前のイメージ通り、水を操る権能を持っているのだ。
吸血鬼は思いのほか弱点とされてるものが多く、そのほとんどが実際に弱点という話を聞いてしまった以上、『嫉妬』がいるかもと聞くと心配にもなるというものだ。
「ま、最悪やり直せばどうにかなるか。」
そう呟くと、乃亜に不思議そうな顔をされる。
よく考えたらセーブのことは説明していなかった。まああまり言い触らしていい力とも思えないが、乃亜にくらいは説明しておくべきだったかもしれない。
今から説明してもいいのだが、ソフィーもいるし周りに人もいるのだ。ここで説明するのはあまり良くなさそうだった。
その場は誤魔化して転移の魔道具へ向かう。相変わらず見ていても使い方はわからなかったが、歪んだ視界が元に戻ると、見知らぬ景色が広がっていた。
ベレトの街並みはノワールの城下町のものに近く、色んな種族が楽しそうに行き交っていた。
近くには王城ほどではないが、それなりの大きさの城が建っており、周囲を炎で囲われて近づき難い雰囲気を醸し出していた。
それだけでなく、街にも所々赤い光が灯っているようにも見える。何か火を使う祭りでもやっているのだろうか?
「『憤怒』の魔王はあちらの城にいらっしゃるはずですが…如何いたしますか?」
ソフィーに予定を聞かれるが、まずは宿の確保だろう。今回はお見合いの時とは違い、城に泊めてもらえるとも限らないのだ。
「一旦街を見て回った方がいいかな?サタンと話をするにしても、どれくらい慕われてるのかとかも知りたいし。」
乃亜もすぐに城へ向かうつもりではないようで、街へ向かう事を提案される。
「いいんじゃない?話し合いでどうにか出来るにしても、宿の確保は必要でしょ?」
そういうと、乃亜もソフィーも頷いてくれる。
その時はまだ、魔王のことを少し舐めていたのかもしれない。乃亜も私も足取りは軽く、楽しみな気持ちを隠すことなく街に向かって歩き出すのだった。
街は『憤怒』の影響下にあるとは思えないほど穏やかだった。大通りを歩いているが、喧嘩をしている様子は見られない。
乃亜や私を見かけて声をかけにくる人も少なくなかったが、みんな笑みを浮かべており、サタンに対する印象も悪くないようだった。
時折他の魔王との争いを起こして被害が出るものの、普段は街の発展のために動いてくれる心優しい王というのが街に住んでいる人の印象らしい。
「『憤怒』の権能とかいうやつ、そもそも使われてないのかな?私も乃亜もあんまり普段と違う感じしないし。」
ソフィーに聞いてみるが、苦い顔で首を振られる。
「ここを対象外に置いているだけでしょう。裏路地の方は酷いものだと思いますよ。」
そんなことを言われてしまう。
これだけ広範囲に権能を仕掛けているというだけでも面倒な力のようだが、影響範囲を絞れるようだ。
「大通りを見てるといい人っぽいけど、ソフィーからしたらそうは思わないの?」
すぐに人を信じがちな乃亜は既にほだされかけていた。いい人ならそもそも王家に喧嘩を売らないだろう。
「そうですね...率直に言いますと、戦争好きの狂人という評価が一番しっくりくるところです。ここを対象外に置いているのは、戦争の為の資源が尽きないようにでしょう。」
ソフィーの評価はかなり辛口だった。実際裏路地を見てみないことにはわからないが、戦争好きと聞いていい印象が持てるはずもない。乃亜も少し表情を引き締めていた。
「じゃあとりあえず裏路地に入ってみる?ここにいてもあんま得られるもの無さそうだし。」
大通りを歩いている人たちは、みんな同じようなことを言うばかりであり、どちらかというと私と乃亜のことを聞かれるほうが多かった。
宿はまだ見つかっていないが、情報収集するなら裏路地に行く方がいいかと思い提案してみるも、近くを通っていた人が目の色を変えてこちらに向かってくる。
「裏路地は駄目だ。あっちはサタン様の庇護がねえ。死んでも責任取れねえし、帰ってきたやつはほとんどいねえんだぞ。」
そんな風にいわれるが、猶更興味が湧くというものだ。
すぐそばにあり、一歩間違えれば入ってしまうような裏路地が別世界のような扱いを受けているというのはそれだけでも暮らしにくいと思うのだが、サタンの庇護がなくなるという言い方も気になる。
ソフィーの言を信じるのであれば、裏路地こそがサタンの権能を受けており、それによって紛争が引き起こされているはずなのだ。
「悪いけど、私達はお仕事で来てるから。ちゃんと生きて帰ってくるから大丈夫よ。」
乃亜は忠告しに来た住民を安心させるように言葉をかけている。
今ので入るのをやめるなどという選択肢は私達には生まれないのだ。わざわざ忠告しにきたのは悪いが、無視してそちらへ歩を進めていくことにした。
裏路地まで入ってみると、ソフィーの言うように悲惨な状況が視界に飛び込んでくる。
血塗れの死体や魔法の跡など、争いの形跡が残されている。
「これはまた随分な惨状だねぇ…」
乃亜もかなり青い顔になっている。ソフィーは事前にわかっていたようで、それほどショックは受けていなさそうだが、それでも口を閉ざしてしまっている。
建物は端々が焦げついており、氷ついているところもあった。
遠くからみて火が上がっているように見えたのは、争っていたからなのかもしれない。
だとしても、魔術が使える人がそこかしこにいるとも思えないのだが、明らかに魔術の形跡だ。
死体の検分は出来ないので、死因についてはわからないが、この様子だと同じく魔術によって殺害されたと考えるのが妥当だろう。
「これが『憤怒』の影響...ってことでいいのかな?しっかり死人も出てるみたいだし、これがサタンのせいなら犯罪者としてどうとでもしょっ引けそうだけど。」
そう聞いてみるが、ソフィーの返事は無い。
苦い顔をして口を覆っていたが、その形相がどんどん憤怒へ染まっていく。
「ソフィー?どうしたの...って、乃亜!?」
唐突に乃亜が城へ向かって駆けだしてしまう。否、空を飛んでいた。
どういう術理で飛んでいるのかはわからないが、もしかしたら羽は見かけだけではなかったのかもしれない。
「クソ...ソフィー!追うよ!」
私がそういうよりも早く、ソフィーも城へ向かって駆けだしていた。ソフィーは空を飛ぶなんてことはなかったが、建物に穴を開けて進んでいる。
追いやすくて助かるが、ずいぶんと珍しいことに周囲への配慮がまるでないようだ。
流石にこれだけの事態になれば嫌でも理解できる。これが『憤怒』の権能という訳だ。
二人とも城へ向かったのを見るに、サタンへの怒りを抑えきれなくなったのだろう。このままでは話し合いなど出来ずにそのまま殺し合いになってしまう。
まあ勝てるならそれでも構わない気はするが、次のサタンが今のサタンよりマシかもわからないのだ。
出来れば『契約』で私と乃亜に服従を誓わせるのがベストである。
しかし、それを説明するにはまず二人を落ち着かせる必要があった。とりあえず乃亜に接触するため、空へと足を踏み出す。
空気を固める魔術を使えば、空中を歩くことも可能になるのだ。『書き換え』でやると、後で再度『書き換え』なければ見えない障害物が残ることになってしまうので、こちらの方が使いやすい。
身体強化も行って走るが、思いの外乃亜の移動速度が速く、なかなか追いつけない。
「全く面倒な...」
今の乃亜やソフィーが本気なのかは知らないが、少なくとも移動速度ではボロ負けだ。『書き換え』ればどうにでもなるだろうが、後で元に戻すのが面倒である。
「一回止まって、乃亜!」
大声で叫ぶと、乃亜が身体を止めてこっちを向いてくれる。一応『契約』を仕込んだのだが、必要なかったようだ。
「乃亜、いったん大通りに出よう。話し合いが必要だよ。」
すぐに追いついて声を掛けるが、乃亜の顔は怒りに歪んだままだ。
「そんな暇ないよ!あんな状況を生み出すなんて...今すぐ懲らしめて二度と他人に迷惑かけられないようにしないと!」
声にまで憤怒が滲んでいるが、今他人に迷惑をかけているのは下を爆走しているソフィーである。
「いいから、一回降りるよ!」
そういって強引に手を引き、大通りまで連れて行く。
一回『憤怒』の影響を受けるとずっとそのままになるというなら困りものだったが、すぐに乃亜は落ち着きを取り戻してくれた。
「私...ごめん飛鳥!迷惑かけちゃった!」
そんな風に言われるが、乃亜にはまだそれほど面倒はかけられていない。次はソフィーを止めなければいけないのだ。
「平気よ、ソフィーも連れ戻してくるから乃亜は宿探しといて。じゃあね!」
あまり時間をかけては城までついてしまいそうなので、急いで駆け出す。というか城で待っていた方が賢明かもしれない。
後ろから追いかけて追いつけそうなスピードではなかったし、破壊していった家々の白い目にさらされるのも避けたかった。
魔術を使って空間を移動し、城の前で待ち構えると、すぐにソフィーがやってくる。
乃亜と同じで話が全く通じないわけではないことが幸いし、『契約』を使って大通りまで連れてくることに成功する。
「大変申し訳ありませんでした!お二人にも、ベレトの住民の皆様にも、多大なご迷惑を...」
正気を取り戻したソフィーが盛大に頭を下げるが、ベレトの住民は特に気にしていなさそうだった。
『憤怒』の影響に陥った人が建物を壊して回るのはよくあることらしい。死ななくてよかったと気遣うような言葉までかけられる。
流石にこのままではいけないと再認識し、三人で作戦会議をするべく、ひとまず宿を探すことにしたのだった。
「本当に申し訳ありませんでした。魔王の権能の脅威というものを見誤っていたようです。」
宿を見つけて部屋に入ると、ソフィーに再度謝られる。乃亜も口には出さないが、申し訳なさそうな表情をしていた。
「まあ低く見積もってたのはみんな同じだし言いっこなしでしょ。何の被害もなかった――わけじゃないけど、建物の件も大丈夫だって言ってもらったわけだし。」
ここの建物は壊され慣れているらしく、直すのも日常茶飯事のようだった。弁償を求められることもなく、修理は任せろと言ってもらったのだ。
「飛鳥のお陰で冷静になれたけど...あれが『憤怒』なのよね。飛鳥は影響受けなかったの?」
そう考えると確かに何も影響がなかった気がする。私が影響を受けなかったのかそもそも怒りを覚えなかっただけなのかは謎だが、二人に比べれば特に問題なかったようなものだ。
「あれが『憤怒』の権能だと思います。非常に心苦しいのですが、わたくしでは正気を保てそうにありません。申し訳ないですが、今回は交渉においてお役に立つのは難しいかと。」
ソフィーは苦い顔でそういっている。先ほどの体験を引きずっていそうだった。
城の前まで来ても権能の影響を受けていたことを考えると、城に乗り込むことすら二人に任せるのはあまり望ましくないと思われる。
そうなってくると、私一人でサタンと交渉に臨む必要がありそうだった。
一応、大通りの住民たちがいうように、魔道具か何かの影響で争いがおこりやすくなっており、大通りに居るときはサタンがその影響から守っているという可能性は考えないでもないが、魔王の能力は把握済みなのだ。そんなことは出来ないはずだった。
一応建物の中にいた人たちが影響を受けていなさそうだったことなどを考えると、乃亜やソフィーを連れて行くのが確実に無理ということもないだろうが、今回はパスしてもらった方がいいだろう。
「ま、じゃあ私一人で行ってくるわ。権能の影響が大丈夫そうなら二人にも連絡入れるから、そしたらおいでよ。」
そんな風に結論を出すと、乃亜に心配そうに声を掛けられる。
「任せる...けど、無理しないでね?怪我しそうになったらすぐに逃げてきてよ?」
「わかってるって。無理とかするわけないでしょ?私だよ?」
我慢や努力といった言葉は大の嫌いである。無理して頑張るなどありえない話――それは乃亜も知っているはずだったが、表情は明るくならない。
「飛鳥ってば、こっちに来てかららしくないことばっかりだから...ほんとに駄目だよ?」
私としてはいつも通りのつもりなのだが、乃亜から見るとそう見えるらしい。
まあ確かに家に籠って本を読んでるところしか見せてないようなものだし、外で動くのは嫌いなので、その認識も間違ってはいないのだが。
頭をなでて安心させてやり、外に出ることにした。
一人で行くつもりだったのだが、乃亜も城の近くまでは一緒に行くとついてきたので、結局ソフィーも来て三人だ。
「部屋で休んでればいいのに、外まで来て何するの?」
「お見送りだよお見送り。飛鳥はそういうとこ、情緒とか全然ないよね。」
ないわけではない。恋愛小説などを読んでいて、気持ちとして理解できなくは無いのだが、効率や実利を優先すると、合理的ではないという結論が出てくるだけだ。
なんて会話は日常茶飯事に行われているので、乃亜はわかってますという風な視線を向けてきている。
結局したいからしているだけで、理由など特にないということだろう。
急ぐ理由もないので、のんびり話をしながら歩いていると、乃亜が目の前を横切った生き物に目を輝かせて駆け寄っていく。
「猫だ!かわい~!こっちの世界にもいるんだね、猫っぽい人たちは見かけたけど...撫でてもいいかなぁ?」
振り向いてそう聞いてくる乃亜だが、既に手は伸びていた。
というか、恐らく普通の猫ではない。ヴェパルでも見かけた化猫族だろう。大きな化け猫や、耳と尻尾の生えた人に近い姿に変身できるという話だったが、小さい昼の世界で見るような猫の姿をしていた。
紫色の瞳に鮮やかな水色の毛並みをしており、昼の世界ではそうお目にかかれる色合いではない。ゲートを開いたときに迷い込んできた――というわけでもなさそうだった。
「かわいいけど...撫でて平気だったのかな?」
「大丈夫みたいだよ?見てほら。すっごい気持ちよさそう。」
喉を指でくすぐる乃亜に、気持ちよさそうな顔をしてすり寄っていた。その仕草は本物の猫のようであり、さっきのは勘違いかもしれない...と思ったのだが、すぐにそれは間違いだと思い知らされる。
「お前ら...番かにゃ?」
「にゃ?」
まさかの語尾だった。猫の姿をしているから許されると思っているなら大間違いである。
乃亜など衝撃で口が閉じなくなっていた。
「ね、ねこがしゃべった!?」
驚いているのはそこじゃなかったらしい。まあ確かにそれも衝撃的な図だった。
「どうなのにゃ。そっちの...男?は、指輪をしてないように見えるにゃ。」
「男で合ってるよ、指輪をしてないのはそんなのが無くても愛されてるって知ってるから。で、満足?」
ついソフィーに揶揄われたのを煽り返すようにいってしまうと、乃亜が顔から煙を噴いていた。
猫の方はとっても不満そうに鼻を鳴らすと、乃亜の手から離れて行ってしまう。
「あら、お気に召さなかった?」
「むかつくにゃ。レヴィが持ってないものを持ってるやつは、全員嫌いなのにゃ。」
そういって人混みの中に消えて行ってしまう。
しかし不思議な猫だった。レヴィというのは一人称なのだろうが、心当たりがある気がした。
「これまた、ずいぶんな面倒ごとになりそうだな...」