1章『予言』 9話 黒いローブ
店を出てすぐに乃亜達から連絡があったので、塔の下で待ち合わせをする。
どうやら塔は魔道具の一部であり、中にはとてつもなく大きな魔晶があった。魔晶は途轍もないマナを常に放出しており、街全体のマナを賄っているというのはどうやら本当のようだった。これに先ほどの指輪をぶつけようものなら大惨事間違いなしである。
変な奴の手に渡る前に買い取ってしまえてよかったと思うと同時に、あの店主は報告しておかないといつかとんでもない事件をやらかすんじゃないかという疑念がよぎる。しかしまだ何も罪を犯していないのに捉えるというのも難しいだろうし、どうしたものかと頭を悩ませていると、パタパタと乃亜が走ってくるのが目に付く。
「お待たせ。どうしたの、考え事?」
「ちょっとね。というかその恰好で良く走るね...?」
乃亜はこちらの世界に来てからはいつもドレス姿だ。最初は似合わないと思っていたが、見慣れてしまい、普通に立っている分には似合って見えるようになっていた。動いてしまえば当初と変わらない感想なのだが。
丈の長い服なのだ、高いヒールを履いて走るというのも理解できなかったが、裾を巻き込んで転んでしまわないかが心配だった。
「ちょっと足痛いけど、もう慣れたし平気よ。」
そんな風に返す乃亜。慣れたからって走れるものなのかは不思議だったが、一応納得することにした。
事前にソフィーと回る場所を決めていたようで、街の中を二人が先導してくれる。先ほどまで回っていた店がある方ではなく、工場のような大きい建物がある方に向かうようだった。
足を進めるにつれて人通りが少なくなっていく。先ほどまで居たのはやはり商業ブロックで、それなりに活気づいている場所だったようだ。工業ブロックである今いる場所では、人はほとんど歩いておらず、加工に使っているのだろう機械の音が鳴り響いていた。
「そういえば魔道具作ってみたいんだっけ、乃亜。」
「何か作ってみたいものがあるわけじゃないんだけどね。どちらかというと作り方に興味があるだけって感じ?」
一人で店を回った分には、魔道具職人は個人でやっていてもある程度儲かっていそうだったので、仕事にするならいいのではないかとも思った。まあ姫君である乃亜様にそんな仕事が必要なのかは知らないが。
というか結局昼の世界に帰る気があるのかどうかも聞いていなかった気がする。お見合いを断っていたり、好きな人がいるという話を考えればまず間違いなく帰るとは思うのだが、10年後というのがあまりにも遠い話だ。今聞いてもその時には状況が変わっているかもしれない。
「見てみますか?セレスト様であれば中に入れてもらえるでしょうし、詳しく教えてくださるかもしれません。」
そんな風にソフィーが誘うが、乃亜は首を振る。
「今日はいいわ、そんなに時間があるわけでもないしね。観光だけじゃなくて飛鳥の寝るところも探さないといけないんでしょう?」
実はそういう話になっていた。リゼットさんの話を聞いてから、ソフィーはありえないレベルの心配を私に向けてきているのだ。屋敷はおろか、宿ですら危険だと考えているらしい。
「別にそこまで心配なら寝なくたっていいけどなぁ、二日か三日で終わらせてくれるでしょう?」
正直野宿するくらいなら徹夜でいいというのが私の考えだった。これで乃亜がずるずると引き止められて一週間以上留まるというなら話は別だが、断る以上すぐに帰れるはずなのだ。
「それはまあ、明日には帰れると思うわよ。ジルベールさんってかなりいい人でお断りの話もすぐに受け入れてくれたもの。」
既に断って来ていたらしい。ずいぶんと話が早く済んだものだ。
それならやはり徹夜でいいのではと思うのだが、ソフィーはそれも嫌そうだった。ワガママである。
「ただでさえ悪い生活習慣を正そうとしているのです。徹夜など許すわけにはいきません。」
この発言には、私だけでなく乃亜まで嫌そうな顔をしている。生活習慣が悪いと言われても、いい状態であったことがないのだから余計なお世話である。そういう生き物なのだと納得して欲しい。
「ずっと夜でも午前中に活動するのって辛いんだね...]
こちらに来て三日目の乃亜の発言であるが、全面的に同意であった。常に夜なら気分を保てるものだと思っていたが、午前中にはやる気も落ち込み眠くなることが多く、体内時計の偉大さを知ることになったのだ。
「観光は18時までにして、飛鳥様の寝床を確保致します。よろしいですね?」
ソフィーが振り返り、有無を言わせないよう強い口調で聞いてくる。私の返答を待つことなく、乃亜が頷いたのを見て正面に向き直ってしまった。
悲しい扱いである。まあ私のメイドでは無いのだし当然と言えば当然なのだが。
「そういえばこれ何処に向かってるの?さっきはこっちの方回らなかったから、全然知らない景色なんだけど。」
そう聞いてみると、乃亜が返事をくれる。
どうやらこの工業ブロックを抜けた先に魔晶が採れる洞窟があり、その周辺が観光スポットになっているらしい。
洞窟と聞くとRPGで潜るダンジョンのようなものを思い浮かべるが、恐らく炭鉱のようなものなのだろう。それが観光スポットというのはあまりよくわからないが、見て見ればわかるだろう。
そうして乃亜達と合流してから15分後くらいだろうか、建物の先に幻想的な景色が広がっているのが見える。
「わぁ!すっごい綺麗、あれが目的地かしら?」
隣を歩いていた乃亜が駆けだす。本当に子供のようだった。
建物を抜けると、視界一杯に紫色の水晶が広がる。水晶の中心に小さな湖があり、差し込む月の光を反射して、水晶の輝きを増しているようだった。
「あれ...未加工の魔晶?」
「その通りです。この先に産出地である洞窟があるのですが、ここは景色が美しいからと採掘されることなく残すことになったそうです。」
景色が美しいのは同意するところだが、それを理由に採られないとはずいぶんと余裕がある資源のようだ。
未加工の魔晶は、加工済みのものより多くのマナを吸収するようで、内部で凝縮されたマナが輝きを放っていた。特に効果はついていないようだが、魔晶の大きさも相当のものであり、魔道具にすればずいぶん良い出来のものになりそうである。
先に走って行ってしまった乃亜は湖の近くで静かに佇んでいる。周囲の輝きに白い髪が映えて、此処に住んでいる精霊のようだった。
「走って行っちゃったけど、満足のいく景色だった?」
近づいて声を掛けると、顔を赤くしてしまう。
「う、とっても綺麗で満足ですけど...ちょっと馬鹿にしてるでしょう?」
バレていた。乃亜との付き合いは長いが、ほとんど室内で本を読むかゲームをするか、お菓子を食べながら何か話すかといったところだ。外に出てどこかに行くことなど全くなかった。
だから子供のように目を輝かせて走り回る乃亜がなんだか微笑ましくて揶揄いたくなったのだ。
「弱みを見せるのが悪いと思いますけどね、揶揄われたいのかと思ったよ。」
「そんなわけないでしょうが、全くみんなして私のことを虐めて...みんなドSなの?」
みんなというのは紗希姉やソフィーのことだろうが、まああの二人は間違いなくSである。私はどちらかと言えば程度だ。
「乃亜の反応が面白いからだと思うよ?どっちかと言えばみんながSなんじゃなくて乃亜がMってこと。」
「は~!?流石に徹底抗議させてもらいますけどそれには!!!」
認められない意見だったらしく、頬を膨らませて抗議の姿勢を見せてくる乃亜。
景色に似つかわしくない雰囲気になってしまった。したのは私だが。
「ごめんって、冗談。時間ないんでしょう?ちゃんと観光しましょ。」
話を切り上げて乃亜の手を引く。一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに握り返してくれた。
「もう少しイチャイチャしていても良かったのですよ?」
「してません!!!」
開口一番に乃亜を揶揄いだすソフィー。やはり乃亜が大きな反応を返すのが悪いのではないかと思う。
ソフィーも紗希姉も私にはそれほど同じような揶揄いはしてこないのだ、明らかにターゲットを乃亜に絞っている。
「洞窟って何処にあるの?見に行くんでしょう?」
この先にあるとは聞いたものの、辺り一面は魔晶に覆われており、どこから抜けられるのかすらわからない。
ソフィーなら知っているだろうと聞いてみたのだが、二人して首を傾げられる。
「そのつもりはなかったけど、行きたいの?」
「行くのであれば採掘許可が必要ですので、今からジルベール公のお屋敷にお邪魔することになりますが...」
どうやら勘違いだったらしい。ここが目的地の終点であったようだ。
「別に行きたいわけじゃないからいいや、というかちゃんと予定教えてもらってないのおかしくない?この後どこに行く予定なのさ。」
今は大体17時といったところだ。もう時間もあまりなく、回れるところは限られているだろう。
「お食事の予定を立てていたのですが、セレスト様はジルベール様のお屋敷で夜会の招待を受けておりますので...特には。」
「特にない、なるほど。」
時間がないとか言っていた割にはスカスカな予定だった。
「あ、じゃあ宿見に行きましょうよ。飛鳥が寝ないにしても、面白い魔道具があるって話だったから、見に行きたいわ。」
あの大きな塔以外にも魔道具があるらしい。宿の場所が分かれば、ソフィーの目を搔い潜って泊まってしまうこともできるかもしれない。いい提案だった。
「かしこまりました。こちらはもういいのですか?写真の一つでも撮ってみてはと思うのですが。」
ソフィーがそんなことを言ってくるが、私も乃亜も大の写真嫌いである。写真に撮られると魂が抜かれるなどという都市伝説があるが、それを信じているかの如くあらゆる写真を避けている。
子供の時分に幾度も撮られて飽きてしまったのだ。無駄に多くの時間を消費して、特に後で見返すわけでもないものに時間とお金とデータ容量を使うなど、正直ありえない話だというのが私と乃亜の意見である。
「要らないわ。あ、そういえば言ったことなかったっけ。私も飛鳥も写真を撮るのも撮られるのも嫌いだから、覚えておいてね?」
乃亜が眉を顰めてそういうと、ソフィーは慌てて頭を下げる。声に少し怒気が籠っていた。
「大変失礼いたしました、以降気を付けます。それでは、魔道具の方にご案内しますね。」
慌てた様子のまま歩き出すソフィーに、乃亜が舌を出して笑っていた。どうやら演技交じりだったらしい。
「いっつも揶揄われてるんだもの、少しくらい仕返ししたっていいでしょう?」
そうしてきた道を引き返し、宿のある通りに入る。すると、明らかに目的の魔道具があった。
人の大きさほどの魔晶が水場に輝いているのが見えるのだ。周囲に噴水のように水をまき散らしていた。
「あれがここの観光スポットとして有名みたいなんだけど、噴水くらい私たちは見ても驚かないかなって思ったのよね。」
そんな風に乃亜が説明してくれる。
実際噴水自体は特に面白いものでもない。普通に機械でやった方が出来のいいものになりそうだったが、その中心に浮かぶ魔晶が綺麗だった。というかゲームで見たことある気しかしなかった。
「あの魔晶、すごくセーブポイントっぽくない?」
「めちゃくちゃわかる。FFの12とか結構あんな感じだよね。」
乃亜と二人でわかりあっていたが、ソフィーは首を傾げていた。ソフィーにも是非昼の世界の文明に触れる機会があればやってもらいたいものだ。
噴水の周辺では獣っぽい人たちが水浴びをしていたり、子供が遊んでおり、観光というだけでなく、遊具のようにも使われているようだ。
宿があるというだけあって、これまでで一番活気づいており、人通りも多い。暗殺の危険が無くても泊まるのは嫌な気がしてきた。
「お二人も水浴びをなさいますか?」
そんな風にソフィーが聞いてくるが、乃亜はまだしも私が頷くわけがなかった。
「いやよ、替えの服もないし。」
「そういうと思った。私も無しかな。」
私が断ると乃亜も断る。まあ急に姫様がドレスを濡らして遊びだしたら周辺の人もびっくりだろう。ソフィーも聞いてみただけのようだった。
「でしたらそろそろ飛鳥様の寝床を探そうかと思うのですが...」
ソフィーが時間を気にしてそんなことを言いだすが、正直なところあまり寝る気になれなかった。
常に自室で引きこもっていた人間としては、初めての野宿を行うということに結構な抵抗があったし、宿も人が多くて面倒そうである。何より、本当に暗殺を心配するのであれば、寝ないで警戒しているのが一番であるはずだ。
「ジルベールさんいい人そうだったし、そんなに警戒しなくてもいいと思うけどな...なんなら泊めてもらえるんじゃないの?」
乃亜はのんきにそんなことを言うと、ソフィーの顔面が真っ青になっていた。ソフィーもその優しいジルベール公爵にあったはずなのだが、それでも安心はできないようだ。
「やっぱり徹夜するから、寝床なんていらないよ。夜会があるんでしょ?戻っていいよ。」
私がそういうと、二人から心配そうな顔を向けられる。私が原因じゃないのでどうすればいいのか全く分からなかった。
「非常に心苦しいですが...今回に限っては徹夜を見逃すことにしたほうが良さそうですね...」
ソフィーが苦虫を嚙み潰したような表情で頷く。どうせ私や乃亜の生活習慣を正すなどという目標は達成できるわけが無いのだし、早い段階で諦めて欲しい。
「明日になったら出来るだけ早く迎えに来るから待っててね。夜会が終わったら連絡するわ。」
乃亜の方はやはり物分かりがいい。心配そうな表情はそのままだったが、特に反論をすることもない。
未だに苦い表情をしているソフィーの背を押し、二人で屋敷の方へ向かうのを見送ってから歩き出す。
だいぶ暇な時間が出来てしまったがどうしたものだろうか?
そのまま歩を進め、先ほど三人で来た湖の近くに腰を下ろす。観光スポットだという話だったが人通りは少なく、一人で考え事をするには最適だった。
考え事は三つ。一つ目は暗殺について、二つ目は乃亜達に迫るかもしれない危険について。三つめがこの後どう過ごせばいいかだ。
目下解決すべきは一つ目と二つ目なのだが、今のところ全く予兆が無い。ジルベール公爵は話の分かる人のようだし、私の方も一人でぶらついていて襲われることはなかった。
この街の人たちは種族に対する偏見もそうあるようではなかったし、どちらかといえば王城がピりついていたが故に私を排斥しようとしていただけなのではないかとすら思えてくる。まあその場合は帰ったほうが危険だということなので、もっと面倒な事態なのだが。
しかし、リゼットさんが何もないのに忠告を寄こすなどということがあるのだろうか?喋る機会はあの一度だけだったが、あの高貴なオーラや玉座の間では一言も口を開かなかったことなどを考えるに、忠告に来たのは相当の事態のはずだ。
そうでなくてもあれが嘘だとは思えなかった。リゼットさんからは社会不適合者の気配がしたのだ。つまり、自分のことしか考えていない上、面倒なことを嫌う性格であるということである。
それが忠告に来たというのは、問題は起こる前提で考えていいはずだ。むしろ起こっても何も言わないまである相手のはずである。
暗殺についてはある程度自衛の術は身に着けたし、晩御飯はさっきソフィーが用意してくれたものを食べた。毒殺の危険もないはずである。
となれば、一番の問題は乃亜とソフィーに危険が及ぶという話だ。ジルベール公爵は優しい人だという話だったが、ソフィーまで揃って騙されてしまっているのかもしれない。そうなったならば、私は一人で屋敷に突入する羽目になるかもしれないわけだ。
「流石に面倒すぎるな...」
屋敷は遠目から一度見ただけだ。中がどうなっているのかなどわかったものではないし、乃亜やソフィーを襲うつもりなのであれば、警備も厳重だろう。幾ら何でも一人で突入するというのは正気の沙汰ではない。
「まあ最悪外から焼き払って連れ出しちゃうか...?」
他がどうかは知らないが、炎に関して乃亜とソフィーはある程度耐性があるはずだ。少なくとも、修練場の時と同程度の炎ならダメージになるかすら怪しい。
それで屋敷を焼き払ってしまえば、救出は容易いだろう。その後は相当面倒なことになるだろうが、記憶の『書き換え』であったり、空間を『書き換え』てゲートを作って逃げてしまうなど、やりようは無いわけではないと思う。ただしどう考えても最終手段である。
「今のところ妄想でしかないし、連絡待ちかな...」
結局のところ、まだ何も起きていないのだ。これでは屋敷を焼き払うどころか、中に侵入したとしても悪者は私だ。受け身に回るのは癪だが、何もできることは無いのだと割り切り、適当にマナを弄って時間を潰すことにした。
それからかなりの時間が経った頃。既に蒼い月は沈み、真紅の輝きが空に浮かんでいた。時計が無いので正確な時間はわからないが、夜中の3時手前といったところだ。
にもかかわらず、乃亜からもソフィーからも連絡がない。別れる前に乃亜は連絡を約束してくれたし、ソフィーにも逐一連絡をするよう要求し、頷いてくれたはずだ。
もちろんまだ夜会とやらを続けているという可能性はあったが、だとしてもソフィーは連絡をくれるだろう。この数日で思い知ったことなのだが、ソフィーは途轍もなく優秀なメイドなのだ。弱点など虫が苦手なことくらいしかないほどに。
そのソフィーが連絡を忘れたり、酔いつぶれてしまったとはとてもじゃないが考えにくい。不意打ちを受けて倒れているという方がほんの少しの差だが納得がいく話だった。
「...しゃあない、行くか。」
覚悟を決めて立ち上がる。
ある程度身分のある相手のはずだし、もし何もなかった場合はかなりの叱責を受けることになるだろうが、その場合は乃亜の評価通り優しい人であるということである。事情を話せば何とかなるだろう。
そう考え、屋敷に向けて歩き出す。
夜の闇に溶けるよう、黒いパーカーをフードまで被って、呪術によって気配を消すことまでする。やると決めたら徹底するのが私の主義だった。
胸が痛いくらいに鳴っているのを無視して駆け足になる。周囲に人影は全くない。
はずだった。
工業ブロックを抜け、ジルベール公爵の屋敷が見えてくる。
大きな屋敷だ。出入口は複数あるだろうが、馬鹿正直に玄関から入るというのもあり得ない話である。
どこかの窓を開けて入り込んでしまうべきだろうと、外から屋敷を見回す。すると、背後にずっと怪しい気配を感じる。
振り向くと、物陰に不思議なものが潜んでいるようだった。
「なんだ...?」
障害物越しに見える揺らめく炎のようなそれは、生き物のマナに見える。見えるのだが、生き物のそれに比べてずいぶん濁っているように見えた。
確認してみようと歩み寄ると、鈍色の光がこちらに向けて飛来する。
とっさに身を躱すものの、肩口に掠ってしまい、血が噴き出る。どうやら刃物を投げつけられたようだった。
「見張り...いや暗殺者か?まあどっちでもいいか。」
重要なのは刺客に襲われているということである。
傷は呪術で治してしまったので、先制攻撃された分はチャラだが、相手の戦闘能力がどんなものかはわからない。
既に物陰からは移動してしまったようで、濁ったマナは見えなくなっていた。どうやら素早さが高いタイプのようだ。
「どうしたものかな...」
こうなってしまえば乃亜達のことなど考えている場合ではない。どうにか刺客を戦闘不能にするか、逃げてしまうべきだが、姿を見失ってしまったのが問題だ。
人通りの多い方へ逃げれば騒ぎを恐れて消えてくれるかもしれないが、周囲に人の気配が全くない以上、人払いは済まされているのかもしれない。しかし、このままでは集中力が切れるまで全方位に注意を向けたままでいることになってしまう。
辺り丸ごと焼け野原にしてしまえば出てくるかもしれないが、それでは無関係な人たちを巻き込んでしまうところまで来ていた。本当に最終手段というところだ。
どうしたものかと考えていると、不意に視界が霞む。急に体の力が抜け、膝も折れてしまった。
「なんだ...?」
手をついて立ち上がろうとするが、その手にも力が入らない。身体が冷たくて震えてしまっていた。
ここまでの状況になってようやく思い至る。さっきのナイフに毒が塗られていたのだ。傷だけを治して平気な気になっていたが、今の間に毒が回ってしまったのだろう。
呪術を使って解毒を試みようとする。が、風を切るような音が聞こえ、喉から焼けつくような痛みが走る。
「ぐっ、ごぼっ。ごえっ!」
傷口から血が噴き出し、気管に血が流れて噎せてしまう。真っ二つに切られたわけではなく、刺されたようだ。
もはや呪術など扱えず、思考が途切れ途切れになる。襲い来る死の実感に、この世界に来ることになった呪いの苦しみを思い出し、身震いがする。
どうせならひと思いに殺してくれればいいものを、命を失うまでの間は毒と失血による倦怠感と、呼吸を阻害されたことによる苦しみに苛まれ続けることになりそうだった。
血が流れていき、どんどん身体が凍てついていく。視界が霞み、周囲が凍っているかのように錯覚してしまう。
意識が薄れて視界が暗くなる中、こちらがもう抵抗できないと悟ったのか、刺客が姿を現す。
ギリギリ視界に収められたそれは、見覚えのある黒いローブだった。
いや~人が死ぬと始まった感じがしますね?