ep.7 線
それからおよそ一時間、周次と玄造は怪異蟲を駆除し続けていた。
「もうかなり減ってきたんじゃないか!?」
「ちっともそうは見えないんですけど!」
数でいえば、周次たちは既に四百体以上の怪異蟲を駆除している。ところが、大穴に佇む怪異蟲の群れはまるで減少していないらしかった。
「そうか減っていないか! 不思議だな! やはりここは特訓するのにちょうど良い場所だ!」
「なんでそうなるんですか‥‥‥。これじゃキリがないでしょう!」
まるで終わりが見えない。怪異蟲はあと何体残っているのか? どこから湧いてきているのか? そもそも、大量の怪異蟲が巣食うこの大穴は一体何なのか?
「今日はこのくらいで充分だろう! 折を見て脱出するぞ!!」
募る疑問をかき消すように、玄造が声を上げた。これを聞いた周次は安堵した。正しく無数と呼べる怪異蟲の大群を全滅させる必要がないのだと分かったから。全滅など初めから無理な話だが、玄造ならやると言い兼ねない。
周次がこの時間で得た一番の学びは、"月島玄造は頭がおかしい"と知れたことだろう。
「俺のかけ声に合わせて全力で走れ!」
「りょーかい」
次々に襲ってくる怪異蟲たちを捌きながら、玄造は隙を窺った。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥今だ!! 九時の方角!!」
玄造が叫ぶと同時に周次は攻撃を中断、身を九時の方角へ傾け、そのまま地面を強く蹴りつけた――。
怪異蟲に囲まれている周次と玄造。二人は九時の方角に向かって走り出そうとしている。
周次は左足で地面を強く蹴りつけたところである。そして右足が地に向かっている。
‥‥‥周次は違和感を覚えた。いや、違和感どころの騒ぎではない。
いつまで経っても右足が着地しない。足だけでなく、全身が全く動いていないように感じる。明らかにおかしい。
思うように身体は動かず、声も発せない。周次は今ある視界を確認した。――自分だけではない。玄造も、周囲の怪異蟲も、景色も全く変化していないようである。
一秒が――否、それよりもっと短い一瞬であるべき時間が、無限のように感ぜられる。
明らかな異変を目の当たりにして、しかし何が起こっているのか見当がつかない。
周次は五感に神経を注いだ。何か‥‥‥、現状を理解するための何か情報を得なければ。
視覚。嗅覚。味覚。触覚。聴覚――――――!!
"音"が奇妙だと気づいた。周次の耳に、際立って分かる二種類の音。一つは低く鈍い音が永続的に響いており、もう一つは甲高い音が断続的に響いている。
まだ情報が少ない。他に異変はないか‥‥‥? 動かぬ眼が写している世界の中を、必死に探した。
周次は空に注目した。そこに異変があったのだ。
天空に何かが舞っている。かなり上空に居るようで見づらいが、翅がついているのが分かる。脚も二本より多い。大きさも。あれは怪異蟲に違いない。
ところが周次は、それを怪異蟲だと直感的に認めることができなかった。この地上に群がっている虫と、天高く舞うあの虫が、果たして同じ怪異蟲なのかという疑問を抱いた。
冷静に考えれば紛れもなく怪異蟲だと分かるのに、直感的には何故かそう判断できない。気味の悪い感覚。
異変はそれだけに留まらなかった。
空を舞う怪異蟲を中心に、何やら無数の"線"が大穴に向かって伸びていた。
"線"はゆっくりと真っ直ぐに地上へ伸び、雨のように大穴に降り注がれていく。周次のすぐ側にも"線"は降りてきた。
断続的に響く甲高い音は、この"線"から発せられていたのだと分かった。しかし、間近に見てもその正体は分からない。実体はあるのか? 触れるとどうなるのか?
周次が推測する間も無く、その答えは明らかとなった――。
幾重にも重なる、耳を劈くような凄まじい金属音と地響き。それと同時に、周次の身体は呪縛から解放されたように軽くなった。
周次は勢い良く頭から転倒した。しばらく感覚がおかしくなっていたために、"九時の方角に向かって駆け出した"という自分の直前までの行動をすっかり失念していた。
そんなことよりも音と揺れの方が気になる。今しがた、何が起こったというのか‥‥‥?
十秒と経たずに音と揺れは収まった。周次は土に半分埋もれた顔を持ち上げ、周囲を見渡した。――そして戦慄した。
際限なく周次たちに襲いかかっていたはずの無数の怪異蟲。その大半が、身体を両断され絶命していた。
空に舞う怪異蟲から伸びていた"線"、それが地上の怪異蟲を斬り刻んだということなのか‥‥‥? 何にせよ、この僅かな時間で起こったことだとは到底信じられない。
周次は玄造を探した。彼は無事なのだろうか?
間もなく、近くに立っている男の影を見つけた。
「あっ。班長! 無事だったんですね。‥‥‥まぁ、あなたの心配なんて必要なか――」
男の影は玄造で間違いなく、二人が合流できたところまでは良かった。しかし玄造の元へ駆け寄ってから、周次は彼が無事ではなかったことに気づいた。
――玄造の左腕が、欠損していたのだ。




