ep.6 馬鹿力
「事実‥‥‥?」
判然としない様子の周次に、玄造は強く頷いた。
「そう、"事実"を捉えるんだ! お前は弱いのか? 負けていたのか? 馬鹿にされていたのか? ‥‥‥断じて違う!! それは弱気になったお前から生まれた、何の根拠もない思い込みだ!」
高速で飛来する蜻蛉を凄まじいアッパーで殴り飛ばし、玄造は周次の方へ振り返った。
「お前はその刃で確かに怪異蟲を斬りつけていた。その盾で確かに怪異蟲の攻撃を受け止めていた。無数の怪異蟲を相手にして、お前が攻撃を食らったのはたった一撃。それが事実だろう!!」
周次は目を見開いた。俄然、それまで自分を覆い尽くしていたあらゆる負の感情が綺麗に取り払われたように感じた。何故かは分からない。
ただ大声で言いつけられただけだというのに、その玄造の言い分に、強く納得できてしまった。
怪異蟲を倒せていないのは事実だ。しかし、怪異蟲からほとんど攻撃を受けていないのもまた事実。すなわち互角なのだ。それで良いじゃないか。
弱気になる理由はない。
周次は短刀を再び握り締め、立ち上がる。
「やる気を取り戻したようだな」
「やる気は最初からありません。‥‥‥吹っ切れただけです」
玄造の隣に並び、怪異蟲たちを前にする。
「共に戦うぞ!!」
玄造の気合いに満ちた呼びかけに、週次は間の抜けた声で返した。
「‥‥‥うっす」
* * * * *
殺蟲隊駆除班の事務所。
「今日も平和だねー」
窓から差す日の光に微笑みながら、佑真は言った。頭の後ろで手を組み、全身を伸ばして脱力している。その横でオフィスチェアに膝を抱えて座り、退屈そうにくるくると回る瑠花。
「だって田舎だもん」
殺蟲隊は全国各地に支部があり、それぞれ担当地区に発生した怪異蟲の対処にあたっている。原因は不明だが、怪異蟲は都市部での出現情報が多く、地方であるKmシティを拠点としている彼らは暇を持て余しているところだった。
「二人とも、我々の仕事は怪異蟲の駆除だけではありませんよ。戦闘記録の報告がまだ残っているでしょう」
キーボードをカタカタと打ち込みながら、充はパソコンから目を離さずに注意した。それに頷くセツナ。
「隠岐さんの言う通りです。期限までに報告を済ませないと、また月島班長に叱られますよ」
「でも、ゲンさん居ないじゃん」
瑠花のその指摘は、事務所を沈黙の空気へと誘った――。
この日、玄造と周次は朝一から事務所を出ていた。
セツナは一つ咳払いをし、尋ねようとする。
「‥‥‥隠岐さん、班長と蟹江君はどこに――」
「知りません」
言い切る前に充は答えた。
「通信機があるんだから、直接聞けば良いじゃない!」
そう言って意気揚々とインカムを装着する瑠花。
「わざわざ聞かなくても通信機の位置情報でわかるんじゃ‥‥‥」
小声で呟く佑真を他所に、瑠花は大声で呼びかける。
「もしもしゲンさんー? 今どこですかー?」
‥‥‥‥‥‥しかし返事は返ってこない。
「あれ、ゲンさんー? もしもーし!」
ひたすら呼びかける瑠花の隣で、佑真は何かに気がついた。
「どこからか声が聞こえるよ」
「ゲンさんの声? もう帰ってきたってこと?」
瑠花の驚きに佑真は首を振った。
「いいや、これは瑠花ちゃんの声だね」
「‥‥‥は? 何それ! そりゃあ私はここに居るんだから、声が聞こえるのは当然じゃない!!」
「違うよ。あっちの方から瑠花ちゃんの声が聞こえるんだ」
佑真が指差したのは玄造のデスクだった。そしてそちらに目を向けたセツナが気づいた。
「あそこに置いてあるのって‥‥‥」
充は黙って立ち上がると玄造のデスクへ歩み寄り、そこに置いてあるモノを持ち上げた。
「ゲンさんのインカムじゃん!!」
《ゲンさんのインカムじゃん!!》
充の持っているインカムから瑠花の声が流れた。充はインカムをしばらく見つめた後、それを元の場所に戻してため息をついた。
「連絡手段を完全に断たれていますね」
* * * * *
怪異蟲との戦闘を再開した周次たち。四方八方から攻めてくる怪異蟲を周次がいなし、それが隙を見せたところで玄造が玉砕する。
「良い調子だな、蟹江!」
「どこがですか! 結局班長が全部倒してるじゃないですか!」
「ああ、見事な連携だ!!」
相変わらずの玄造に周次は呆れるが、ため息をつく暇はない。とにかく怪異蟲の猛撃を防いでいる。
短刀での攻撃も試みているが、いまいちダメージを与えることができていない。‥‥‥というか、そんな間もなく玄造が怪異蟲を殴り倒しているのだ。
間近でその様子を見ていながら、周次には甚だ疑問だった。
「どんな馬鹿力してるんだ、この人は‥‥‥」
無力な自分への失望ではない。明らかに常識外れな玄造への感心と、少しの憧憬である。
自分の力にとても自信がある訳ではないが、一般的な成人男性並みに強い自負はある。
その上で特殊な武器を用いてなお、怪異蟲を殺し切ることができない。怪異蟲の生命力は確かに凄まじいはずなのだ。
玄造はそれをいとも簡単そうに拳で粉砕している。鍛錬次第で果たしてこのレベルまで到達し得るのだろうか?
‥‥‥今考えても仕方がない。目先の敵に集中しよう、と周次は思考を切り替えた。




