ep.4 殺蟲武具
玄造に引っ張られて大穴を進む周次。足元は湿った深い土壌で、靴の中に絶えず泥が入り込む。
大穴の奥から、既に多くの怪異蟲がこちらに視線を向けている。周次は目を剃らした。そして怪異蟲の鳴き声が徐々に迫ってくるのを感じながら深呼吸をした。
「そんなに緊張することはないぞ蟹江。難しいことを教える訳ではないのだから」
「教える‥‥‥? 何言ってんですか。俺は今、死ぬ覚悟を決めてるんですよ」
「なるほど、やる気に満ち満ちているということか! 良い心意気だ!」
「‥‥‥もうなんでもいいです」
玄造は周次の腕を離し、その場で屈伸運動を始めた。
「怪異蟲ってのは虫が変異した化け物だ。怪異蟲を駆除するために開発された特殊な武器を――"殺蟲武具"と呼ぶ」
再び歩き始める玄造。カチャカチャと音を立てながら、その拳は青白く光を帯びている。
「殺蟲武具には害虫の神経にダメージを与える成分が組み込まれており、急所を突けばほぼ確実に怪異蟲を仕留めることができる。つまり怪異蟲と戦闘する上で必要不可欠な武器という訳だ」
「必要不可欠って、班長は手ぶらじゃないですか」
周次の指摘に玄造は首を横に振った。その正面には一体の怪異蟲。頭部に二本の触角、黒光りする甲殻、十四の脚。およそ自動販売機ほどに肥大化した団子虫。
玄造に向く触角をピクリと震わせ、次の瞬間に団子虫は猛進した。
衝撃を受けると丸まって転がるという特徴で子供に人気の虫だが、怪異蟲として変異したこの巨大な団子虫はとても可愛らしいとは言えないだろう。
凄まじい勢いで瞬く間に距離を詰めてしまう団子虫。その間に玄造は拳を構えるだけだった。
玄造の目前に迫ったところで、団子虫は突如として身体を丸めた。しかし勢いはそのままで転がってくる。さながら巨大な鉄球だ。
厳密には昆虫ではなく甲殻類に分類される団子虫。土の上ならば人間に踏まれても耐え凌ぐほどの強靭な甲殻を有している。
あれに突撃されればたまったものじゃない。周次はすぐさまそこを離れるが、玄造は拳を構えたままである。
「何やってんですか班長、死にますよ!?」
「よく見ておけ、蟹江!!」
玄造はそう言うと、向かってくる団子虫に拳を放った――。
大穴に鈍い轟音が響き渡る。何かが盛大に砕け散る音だ。その瞬間を目の当たりにした周次は目を丸くしている。
――バラバラに砕かれたのは、団子虫の方だった。
月島玄造の殺蟲武具――ナックルダスター。拳に装着することで打撃の威力を大幅に強化する武器。他の武器に比べてリーチがなく、使用者の膂力に依存するため、余程の力自慢でないと使いこなせない。
「これが害虫駆除だ!!!!」
団子虫の肉片が散っていくのを背景に、団子虫を玉砕した腕を天に突き上げて玄造は叫んだ。
周次は愕然としていた。そして地面に散らばる団子虫の肉片に視線が移り、我に返った。
「――って、こんなバラバラにしたら解析に回せないじゃないですか‥‥‥。『死骸が跡形も残らないのは問題だ』って言ったの班長でしょう」
「さぁ蟹江。次はお前の番だ」
玄造は全く話を聞いていないようで、周次はため息をついた。‥‥‥がその数秒後に、周次の視界に映るものと玄造の言葉とが重なり、その意味を理解した。
団子虫を粉微塵にした轟音に反応してか、奥に佇む大量の怪異蟲が次々と周次らの方へ押し寄せてきていたのだ。
「ちょっと班長。どうしてくれるんですか、これ‥‥‥」
「最後に怪異蟲の変異段階について教えてから実戦といこう」
先ほどから会話が成立しない。しかしどのみち、既に逃げ場もないほどに怪異蟲に取り囲まれてしまった。周次は大人しく玄造の話を聞くことにした。
「怪異蟲の変異段階は第一段階、第二段階、第三段階、そして最終段階の四つに分けられる。第一段階では外見的な変化はほとんどない。ただ、"明らかに本来の生態と異なる挙動をする"」
先日周次がカゲロウと共に駆除した飛蝗は第一段階の怪異蟲。本来の生態よりも獰猛になっており、武器を持つ周次に飛びかかっていた。
「第二段階では肉体が肥大化する。それに伴って膂力や機動力も上がる」
玄造が玉砕した団子虫は第二段階の怪異蟲。膂力や機動力が上がると知り、周次は団子虫が殴られた際の轟音に納得した。玄造の拳と団子虫とは、互いに凄まじいエネルギーで衝突していたのだと。
「第三段階で本格的に化け物へと変異していく訳だが‥‥‥、ここには第三段階以上の怪異蟲はいない。安心して特訓に臨めよう」
「第二段階でも十分化け物でしょうが」
――と呑気にツッコんでいる場合ではない。周次と玄造を取り囲んだ怪異蟲たちは、今にも襲いかかりそうな形相でこちらの隙を窺っている。
「仕方ないな。半分は俺が請け負おう。背中は任せた!」
そう言いながら周次と背中合わせになる玄造。
「あの、勝手に背中預けないでください。というか、この大群の半分なんて捌き切れま――」
周次の言葉は、いよいよ動き出した怪異蟲によって遮られた。
高速で飛来する怪異蟲――蜻蛉。既に、周次が辛うじて構えた盾にその頭部をぶつけていた。
――受け切れない。周次は尻餅をつき、蜻蛉はそのまま飛び去っていく。周次は空かさず短刀を構えた。
読み通り、次々と怪異蟲が襲いかかってきた。
蜻蛉の速さには対応し切れなかったが、他はそうでもない。攻撃されるより先に短刀を振り回し、怪異蟲を寄せ付けない。
態勢を立て直し、後方を一瞥した。音で分かってはいたが、玄造が怪異蟲をひた殴っていた。そのほとんどがワンパンチで終わっている。
「あんたも化け物だわ‥‥‥」
周次はため息混じりに呟いて、呼吸を整えた。




