36年の内、5年・8年・14年の一瞬。
ほぼ実話です。
かなり薄めて書きましたので、そこまで重くないと思います。
少しでも、同じ境遇の人の支えになったら嬉しいです。
小さい頃から一人ぼっちだった。
いつも自分がいるのは机の下。
狭くて、身動きも取りにくく、暗い。
でも、家の中でそこだけが、唯一自分でいられる場所だった。
母が出て行った日、何故自分はここに残る選択をしたのだろうと後悔した。
本当は一緒に行きたかった。
手を引っ張って欲しかった。
無理矢理にでも連れていって欲しかった。
小さいながらに、祖母のことが気掛かりだった。
父と祖父の三人だけにした大丈夫なのだろうか、と。
まだ5歳になりたてだったのにも関わらず、既に周りの事を気にしていた。
気にしていないといけない状況だった。
独特の緊張感があった。
幼少期、自分の気持ちなんてものは、素直に言えた試しがない。
言えなかったというよりも、言わなかった。
自分の意思を発言する事を選択しなかった。
やりたい事、行きたい所、口にする事はいけない事だと思った。
何故か、怒られるのではないか。
お前なんていらないとか、捨てられるんではないかとか。
そんな根拠のない、よく分からない恐怖感を抱いていた。
父が嫌いだった。
母の事が大好きだった。
だから母と一緒に出て行きたかったはずなのに、素直に言えなかった。
祖父、祖母も好きだった。
今思えば、母も手を引かなかったのは、育てられる余裕がなかったのだろう。
経済的に共倒れする可能性だってあったはずだ。
そこまで考える頭は、小さい自分になかったが、ただ、祖母を思う気持ちが勝ったのだろう。
家に帰らない父。
帰ってきたと思っても酒臭い。
給料日には、お金を落としただとか、車上荒らしにあっただとか、見え透いた嘘をついて、家にお金は入れてくれなかった。
それでも、祖父の仕事が市役所の助役ということもあり、何不自由なく生活はできていた。
それも、祖父が生きているまでの話だった。
小学2年の冬。
8歳になった年。
祖父は亡くなった。
胃癌だった。
生前、癌の影響で腹部に水が溜まる症状に襲われていた。
大きく膨れるお腹には、まるで赤ん坊がいるのではと思うほど、大きくパンパンに張っていた。
その光景は今も目に焼き付いている。
和室で横になる祖父の亡骸は、時間が経ち、血の気が引き始めていた。
しばらくの間、亡くなった祖父の顔を黙って眺めた。
死というものが現実的に感じるまで、かなりの時間が必要だった。
頭で"死んだ"ということは理解していても、心が追いついてこない。
だからなのだろうか、悲しさも虚しさも、何も感じていなかった。
数時間、そのまま眺めていた。
漸く出てきた言葉は"おじいちゃん?"の一言。
返答のないまま、自分の声が静まり返った部屋の中に響く。
堰き止めていたダムが崩壊したかのように、悲しみが押し寄せてきた。
涙が溢れ出ると、嗚咽が止まらなくなった。
もう眼を覚ます事はない。はっきりと死を認識した瞬間だった。
自分にとって、祖父の存在が大きかったことを、やっと認識した。
中学になる頃には、父の生き様も多少は変わったが、稼ぎは酷いものだった。
とても、まともに仕事している給料ではなかった。
大方、どこぞの女に使い、闇金への返済などをしていたのだろう。
到底、許せるものではない。
祖父が死んでから、生活は一変し、ある程度裕福だった家庭は、貧乏生活へと落ちていった。
祖父の残した遺産も、生活費に呑まれ底をつき、祖母は"死にたい"と口にするようになっていた。
生き地獄だった。
家は唯一安心できる場所であって欲しかった。
自分の居場所はどこにも見つけられなかった。
父を怨み、お金がないと生きていけない制度を恨んだ。
2週間に一度だけ、母に会える日が来る。
それだけが、唯一の心の支えだった。
話を聞いてくれる。
笑顔で受け止めてくれる。
必要としてくれている。
自分が自分でいられる場所。
母に会える事を心の支えにした。
そして、祖母を大切にしようと思えた。
あれから28年経つ。
本当は28年間で何があったのか。
じっくり話したいけど、また今度にしようと思う。
長くなり過ぎて、今は纏められそうにない。
2023年、父は70を超え、祖母は97だ。
祖母は施設にはいったが、アルツハイマーなどになる事もなく、腰と耳だけは悪いが元気に生きている。
父も同じく、腰を痛めているものの、しぶとく生きている。
一度は縁を切ったが、やはり一人しかいない父だ。
今は普通に会話できる関係まで回復した。
恨みが消えたわけではなく、前を見るように自分が変わったからだろう。
母は独身を謳歌している。
一人で必死に働き、貯めたお金で買った一等地のマンション。
売却する事にしたそうだ。
売却益で余生をのんびり楽しむらしい。
引っ越し先の候補も決まり、つい先日内見も済ましたばかりだ。
老後は自分でなんとかするから心配しないでいいよ、という母なりの気遣いと強がりだった。
息子にできるよは素直に受け止める事だろう。
自分は、家庭を持った。
子供も二人いる。
今年には三人目も生まれる予定だ。
芯の強い妻がいなければ、とっくに自分も死んでいただろう。
そして、人は、人をこんなに深く愛することができる、という事を妻に教えてもらった。
結局のところ、何が言いたいのかと言われると、正直自分でもよくわからない。
小さい頃は、死のうと思った事もあった。
でも、詰まる所、生きていて良かったと心の底から思えている。
あの時諦めていたら、生きる事をやめていたら、それはそれで楽になっていたかもしれないけど。
今目の前にある、"幸せ"というものを知らずに死ぬのは勿体無い。
生きる事は辛いし、いいことより悪いというか、大変なことの割合の方が多いかもしれない。
逃げ出したい事なんて山ほどある。
仕事の事、子供の事、お金の事。
悩みが尽きる事はないし、終わりはない。
でも、それ以上に、生きて得られる幸せは、何にも変えることができないほど素晴らしいのだと、今は思えている。
前を向くのもしんどい時があるけど、以前のように後ろを振り向くより、下を見て落ち込むより、前を見て進む方がよっぽど良い。
そして、家族を持って、一人で生きているのでなく、誰かに生かされている事という、当たり前に気付いた。
あの頃に自分に言いたい。
"今一人ぼっちだけど、一人じゃくなるよ。必ず幸せになれるよ。大丈夫だよ"って。
君は独りじゃない。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
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