削除したエッセイについて
以前書いていた夜のお店のエッセイは削除することにしました(すでに削除済み)。
理由は、文章中にあったある言葉がどうしても気になってしまったこと。読んでいる方はあまり気にしないのかもしれませんが、どうしてもその一言を入れてしまったことが後になって後悔してきて、消さずにはいられなくなってしまいました。
言ってしまうと、“仕事意識”という言葉がどうしても自分のなかで引っかかり、「何を偉そうなことを言ってしまったのだろう」と恥ずかしくなってしまいました。性的なサービスを行うことも、お店への帰属意識がある嬢とそうでない素人の女の子とでは、やはり気持ちの入り方が違ってくるということを言いたかったのですが、後で読み返して「やっぱり偉そうだったなあ……」と思い削除することに。
そもそも自分自身、職に就いていない身なので、仕事意識がどうこう言える身分ではないはずなのです。
また個人的に「仕事なんだからこれくらい当たり前」とか「仕事だから愛想よくしてる」という、“仕事”という言葉が枕詞(使い方あってるかしら)につく表現はどうにも拒絶感があります。“仕事”という言葉は、なにか物凄く世の中が息苦しい場所になる元凶なんじゃないかなというような気がしてなりません。
なので今回、あのエッセイを削除することに決めた次第であります。
性についてのことを文章にするというのは、すごく人を選ぶものになりそうだということもあり、ただあったことをぼそぼそと書いていただけではやはり面白いものにはならないだろうし、それにとてもプライバシーなことをこんなさばさばと書いてしまっていいのだろうかという疑念も当初からありました。
なのでこれからは、もう少し人が読みやすい文章というのを考えながら、“そういうお店”のお話などを不定期でこちらに投稿していければと思います。
実はこの前も(十四日)、“夜のお店”を利用したのですが、その時にふと思ったことがあったので書かせて頂こうと思います。
わたしは普段、女の子が来るまでは何となく落ち着かず、テレビをかけたり(この間は故障しているのかいくらリモコンを押しても電源がつかなかった)、スマホをいじって性的な動画を見たり、また脱衣所などでタオルやコップを準備するなどのことをしているのですが、最近はその準備の際に歯ブラシを置かなくなったなあと思いました。
以前は女の子のことを思い歯ブラシを準備していましたが、家を出る前にいちおう磨くようにはしているから、どうしても二度手間のような気がしてきて、最近は割愛しております。「歯磨きしよ?」と言われたらそのときはして、後は女の子の気分に任せようという感じです。
何となく察してくれるのか、いつも呼んでいるKEDさんなどは特に何も言わず、そのままシャワーに行ってくれました(イソジンでうがいだけはしますが)。たぶん女の子からすれば磨いた方がいいのだろうけれど、どうしてもケチ臭い気持ちのほうが勝ってしまう今日この頃です。
ちなみにですが、わたしはお風呂があまり好きではないので、お湯は捻らないことにしています。浴槽の中で触りあうことに、あまり性的興奮を感じないのです。
お風呂やベットに行ってしまうと、どうしてもやることが決まってしまうような感覚があり、ボルテージが上がっていかないのです。本当は不意打ちで後ろから……のようなことをしたいのですが、なかなか勇気が出ず、シャワーの際はいつも大人しく体を洗ってもらっています。