読書意欲の減退
いちおう会社を辞めてからも、本を読むことだけは毎日続けていたのに、最近はどうもページを繰る手が進みません。
読書記録を見ると、十二月に入ってからは七冊、それでも一般の人よりは時間も多くあるし読んでいるほうかもしれませんが、とにかく読書が面白いという気持ちがめっきり減退してしまった感じがします。普段から、この本は合わないと思うと読むのを止めてしまう傾向はあるのですが、最近は輪をかけてそれがひどくなったような……。図書館で三冊借りてきても、そのうち二冊は読まずに返してしまうような有様です。
何が原因かと考えてもよく分からず、反対に今までどうして読書を続けてきたのだろうという疑問さえふと浮かぶよう気がします。なんなのか。なにか自分のなかで生活欲のようなものが芽生えてきたせいなのか。食欲はもちろんいつでもありますが、女性に対しての関心、それに絡んでの体重管理(痩せないことへの気分の落ち込み)、帽子をひとつ買うという初めての見た目への意識、今まで皆無だった金銭感覚の芽生え、そういうものが読書することしか知らなかった自分の心に割り込んできて、邪魔をしてきたというような……。
それが原因かは分かりませんが、最近は読書意欲の減退が激しいです。ちょっとでも取っつきにくい本は返してしまって、とにかく軽く読める、薄くて読みやすい(そして面白い)本をと。
と言ってしまってはとても失礼ですが、最近は西村賢太さんの作品を読むことが多いです。今月読んだ七冊のなかの五冊は西村賢太さんの作品。西村さんの作品は本当に読みやすく、実体験を上手く脚色されていて、とても文章の上手な方だと常々感じます。破天荒なエピソードが多いのももちろんその読みやすさの一つですが(笑)。職場の同僚への罵言や無断欠勤、家賃滞納などは面白く笑いながら読んでいたのですが、同棲している女性に暴言、暴力を振るう(特に肋骨を折る怪我を負わせる、女性に青痰を吐くなど)というのは、寝ている間に刺されてもおかしくないんじゃないかと流石に心配(いろいろな意味で)してしまいました。
しかし、若い頃からのその恐ろしい読書量、近代文学の知識、そして傾倒している作家に対しての畏敬の念には常人ならざる熱量があるのだなと、改めて驚かされてしまいました。やはり作家になる人というのは、生まれながらにしての読書狂(ちょっと言葉は悪いですが)なのかなと、強い劣等感を覚えてしまいました。
自分もぼちぼちと読書道を歩んでいきたいのですが、何だか暗雲が垂れ込めているような気がしてなりません……。
ちなみにですが、今回借りたのは、西村賢太『羅針盤は壊れても』、安岡章太郎『なまけものの思想』、田中英光『桜・愛と青春と生活』の三冊です。
田中英光は太宰治の弟子で、それとは関係がないですが西村賢太さんが非常に崇敬されていた作家さんらしく、ちょっと読んでみようかと思って借りてみたのですが、何となく気が進まずこのまま返すことにしようと思っています。新潮文庫の『オリンポスの果実』は読んだことあったけど、あんまり面白くなかった記憶が……。
安岡章太郎さんの『なまけものの思想』も然り。
今年の読書はこれで終わりになるか、もう一冊読めるかという感じです。いちおう購入している小説があり、それは上林暁の『命の家 上林暁病妻小説集』というものです。
たぶん大正か昭和初期の作家だと思うのですが、この方は奥さんが精神病を患っていたらしく、それを基にした私小説を書かれているので、興味をもって購入することにしました。以前一冊だけ読んだこの方の作品集には病妻ものと呼ばれる『聖ヨハネ病院にて』があったと思いますが、他の病妻ものも読んでみたいという気持ちがあります。良い読書体験になれば、と願っています。