ヘタレは我妻善逸から学べ。これは原点回帰なのだ。
深夜アニメはいつごろから根付いたのでしょうか。『ベルセルク』が放送された1997年あたりとしておきましょう。その後、多くの青年マンガが深夜枠でアニメ化していきました。それから5年ほどして恋愛アドベンチャーゲームのアニメ化ブームが始まります。しかしゲーム業界の衰退とともに作品数が減っていき、そこで台頭したのがライトノベルアニメです。
青年マンガからは自虐派、恋愛ゲームからは本格派、ライトノベルからは主に変質派。それぞれの時代において、ヘタレ主人公が受け入れられる場所が奇跡的に確保されていました。
しかしこの過程でヘタレ系主人公というジャンルは作り尽くされ、観尽くされ、語り尽くされ、そして今、枯れていこうとしています。
時代の移り変わりといえば、それまでかもしれません。
最強・チートが売れている今、ヘタレを中心にした物語なんてストレスがかかるだけ。売れやしません。
そう、中心に居ようとするからいけないのです。
近年稀にみる大ヒット作となった『鬼滅の刃』。そのファン投票の1位に輝いたのは我妻善逸、ドヘタレキャラです。彼の好感度たる点は・・・結構バラバラで一概には説明できません。しかし断言できるのは我妻善逸が主人公であればここまでの人気はなかったでしょう。それ以前に『鬼滅の刃』自体がここまで売れてはいないはずです。
あまりにも長いこと主人公として中心に居たから忘れてしまがちですが、ヘタレキャラは本来サブに位置するべきなのです。先に少し触れた『ベルセルク』だとコルカスなんかがそうですね。酒場で彼がコンプレックスを爆発させて主人公に当たり散らすくだりは屈指の名シーンです。心の弱い人間はサブにいてこそ、その魅力を発揮できるのです。それこそが本来あるべきヘタレキャラクターの姿なのです。
それでは、麻雀マンガ『天』から。ヘタレサブ・井川ひろゆきに鬼才・赤木しげるが送った言葉を改変して締めさせていただきます。
無論、気持ちは分かる。
誰だって中心に居たい。
自分にだけ当たるスポットライト。そういうものに憧れる。
成功だけじゃなく、ヘタレっぷりですら注目される位置。それを欲する。
けどよ、ちょっと顧みれば分かる。
そういうものは、舞台装置の一部に過ぎない。
分かるか?引っ込んでろ、と言ってるんじゃない。
ポジションに囚われ、思い煩い、止まってしまうこと。熱を失ってしまうこと。
これがまずい。こっちの方が問題だ。
いいじゃないか、サブキャラクターで。
熱いサブなら上等よ。
まるで構わない。
だから、恐れるな。
中心から外れることを恐れるな。