第9話 夫婦喧嘩の理由
日も暮れて夜の闇が周囲を覆う中……
毎夜の如く彼女は不愉快な気分になっていた。
「なんで誰の子かわからないガキを育てなきゃならないんだ」
「浮気なんかしてないって何度も言っているじゃないか!」
まだ言葉はわからないと思っているのか、それとも聞かれても構わないと思っているのか、彼女……リリィと名付けられた彼女のすぐ側で、両親がいつもの言い争いをしていた。
言い争いの原因は彼女自身だ。
この辺りでは珍しい黒髪に日本人っぽい薄い顔立ち……少なくとも欧米人に近い彫りの深い顔立ちが多い中では、両親と似ていなかった。
決定的だったのは、彼女の両親は長い間夫婦の夜の営みが無かったらしい。
(その辺りはあまり気にしていなかったからなぁ)
マスターの傍に居ることを優先して、自身の生い立ち等を配慮していなかったことを思い出す。
その様な行為が無く、容姿も両親とは似ていない子供をいきなり妊娠した……となれば、揉め事の一つや二つ起きてもおかしくはない。
ただ仮に気にしたとしても、選択は変わらなかったとも同時に思う。
彼女が愛する人と共に居るのであれば、同じ時期に産まれるのが1番都合が良いのだから。
事実、忙しい時間帯は同じ年頃の子供を持つ為、預けられる事も多々あり、共に過ごす時間か持てているのだ。
彼女にとって人の姿で産まれたこは手段であり、周囲の環境や両親の心情は特に重要事項では無かったから。
だが、行動が制限される幼児の状況で毎夜繰り返される不毛な言い争いを聞かさせるのは、生産性が無いようにしか思えずうんざりした気分になっていた。
(こんな事なら旅人でも装ってある程度行動出来る年齢の人間になれば良かったかな?)
マスターにバレない為に幼児を演じているが、少なくともある程度の年齢までは続くと思われる環境に、ふと別も選択の思い至るが、年齢が大きく離れるよりは同年代の方が傍に居やすいと何度目かの結論づける。
「しかし気味が悪い……」
父親……本人はそう思っていないのだろうが……から、そんな言葉を投げ掛けられる。
(手間が掛からないようにしているつもりなんだけどね)
彼女は驚く程少食だった。
いや基本的に食事その物が必須では無い。
だが全く食事をしないのも周りから怪しすぎるし、何より食堂を営むマスターが、彼女の両親に預けられている時間帯に、マスターがぐずり出す頃合を見計らって食事の催促をする必要があった。
だが夜中はマスターは居ない。
それもあり夜になると食事から排泄やクズりなど、乳児らしさが一切無くなるのだ。
昼間の彼女を見ている母親はともかく、父親からすると全く子供らしさが無いのも愛情が湧かない理由だろう。
「まぁ、お隣さんの事があるから仕方ないけどよ」
結局、言い争いはいつもの形に落ち着く。
彼女の家は雑貨屋を営み、隣りにあるマスターの生家である宿屋は大切な顧客であった。
また同じ歳の彼女がいる為にマスターを忙しい時間帯に預かっている代わりに、幾ばくかの手間賃も貰っている。
娘の存在を不愉快に感じながらも、結局は金銭的な打算から現状を受け入れているのだ。
彼女からすれば利益があり結論が出ているのであれば、言い争い自体が不毛にしか思えない。
(自分で行動出来る年齢になったら何とかした方が良いのかな)
やっと寝返りがうてる程度で片言しか話さない年齢では特に出来ることも無い。
そう思いながら、翌日マスターが預けられる時間を心待ちにしつつ、彼女は酒瓶を持ち部屋を出ていく父親を見送るのであった。