第5話 最後の命令
管理者と呼ばれていた男は、延々と続く孤独の中で考え続けていた。どうすれば、この終わりのない時間から解放されるのかを。
一度ナノマシンが「完了」と判断すれば、次の指示を得るために自分を再生させるだろう。その結果、自分は再び生き返り、永遠に終わらない命令の連鎖に囚われ続ける。
(明確な指示では駄目だ……だが、曖昧すぎる指示も拒否される。この矛盾をどう乗り越える?)
男は黙り込んで考え込む。この機会を逃せば、二度と死を選ぶことはできないと理解していた。
地球環境はもはや生命を許さず、全ての管理者権限を持つ自分だけがナノマシンを統制できる。だが、次に再生した時、ナノマシンは今回の経験を学び、さらに抜け道を防ぐ方法を確立しているだろう。
(これが本当に、最後のチャンスなんだ……)
長く続く思索に疲弊した頭を振り払い、男は自らに問いかける。
「終わりのない指示を与えることなど可能なのか?」
《(可能です。ただし、目的が明確であり続ける必要があります……)》
男は驚いた。ナノマシンは自分の考えを読んでいるのだ。脳内の伝達信号すら監視されているのか――。
だが、それ以上に男を驚かせたのは、ナノマシンが命令を待っているという事実だった。命令を受けることこそが、ナノマシンの存在意義であるかのように。
(従順すぎる……いや、それが逆に厄介だ)
男はふと口を開く。
「地球上の生態系の再生は可能か?」
《可能です。大気、土壌、海洋などの環境を再生し、遺伝子情報をもとに生物分布を再現できます。》
(環境再生は可能か……でも、それだけでは駄目だ)
男は再び考え込む。
「人類を再生する場合、管理者はどうなる?」
《人類文明にはナノマシンによる介入が不可欠です。その場合、管理者が必要となるため、マスターの再生が行われます。》
予想通りの回答に、男は深く息を吐いた。
(やっぱり、人類文明そのものを再生するのは駄目か。ナノマシンを必要とする文明なんて、また同じ循環になるだけだ)
男は別の方法を模索し始めた。ふと疑問が浮かび、問いを投げかける。
「文明の再生をするとして、歴史や知識はどう再生する?」
《全人類の遺伝子情報に基づき、脳内のシナプス結合情報を再構築します。歴史は、全人類に記憶として定着させます。》
男は目を見開いた。「記憶の再生……だと?」
《はい。記憶再生は管理者クローンの実験でも実証されています。ただし、全人類が対象となる場合は一般知識の再現に限ります。》
(人類全ての記憶を操作して、過去の歴史を「作る」というのか……)
男は呆れ、そして背筋が寒くなるのを感じた。完全に作られた記憶で満たされた人類。そんな世界はもはや文明でも歴史でもない。
「そんな世界は、誰も気づかなくても偽りでしかない。」
《管理者以外の個体は認識できないと予測されます。》
その冷たい返答に、男は自嘲するように笑った。ナノマシンの言葉に映るのは、自分自身の境遇だった。作られた記憶と役割――管理者としての自分と重なって見えたのだ。
(新しく作られる世界は、自然なものであるべきだ……だが、それを実現するには……)
「人類を発生させない環境の再生は可能か?」
男は最後の希望を込めて問いかけた。
《否定します。人類の存続は最優先事項となります。また、文明がなければ人類は他の種族に滅ぼされる可能性が高いです。》
無機質な答えに、男は小さくうなだれた。予想通りの答えだが、それでもどこかで期待していた自分がいた。
(やはり、ナノマシンは人類の生存圏を守るために作られている……それを無視する命令は通らないか)
それでも男は諦めず、議論を続けた。そのやり取りは、やがて数ヶ月にも及んだ。
膨大な時間の末に、ついにナノマシンは沈黙し、命令を受け入れた。
《命令を受諾……当研究所の維持機能を停止します。》
冷たい音声が響いた直後、男は大きく息を吐いた。そして静かに目を閉じる。
永遠に続く循環を抜け出すために、彼が捧げた最後の命令が、ナノマシンの中で新たな未来を構築し始めていた――。