第4話 管理者の苦悩
《全ての権限は、マスターが保持しています。指示をお願いします。》
白衣の男は顔を顰めた。ナノマシンが冷徹に告げるその言葉が、今や耳障りに感じられた。彼は、この無機質な存在を心底憎んでいた。人間だった頃の自分を、ナノマシンにすべて支配されている今の自分に重ね合わせると、その憎しみが増すばかりだ。
「再生か……」
《現状での再生よりも、時間経過による、気温の低下、地震の停止、粉塵による大気状況の安定後の再生活動を推奨します。》
(まあ、そうだろうな……この環境から再生するより、惑星が安定してからの方が効率がいいだろうな)
ナノマシンの合理的な回答に、男は内心で反発を感じつつも、冷静に納得していた。しかし、その合理性が、どこか不愉快だった。感情を欠いた機械的な答えは、まるで彼自身が無駄に長く生きてきたことを告げているように思えた。
《惑星安定後の隔離領域でのマスターの再生を行いますか?》
「いや、俺の再生は禁止だ」
(もう、永遠に続く時間はうんざりだ……)
再生を拒否する彼の心の中では、何度も同じ言葉が響いていた。彼は生きる意味を見失っていた。永遠とも思える時間の中で、何も成し遂げることなく、ただ繰り返される毎日。もう、それすらも耐えられなかった。
《現時点でのマスターの再生の禁止を登録しました》
(管理者は必須と言われると思ったが……そうか、全ての権限があるからか)
驚くべきことに、命令が受け入れられたことに一瞬驚いた。しかし、すぐにその理由に気づく。彼は全権を持っているからこそ、この命令が通ったのだ。
(他の奴らも同じ気持ちだろうな……みんな、何もかも終わらせたかったんだろう。俺だけが最後に残されたんだ)
「俺以外の全ての管理者の再生も禁止だ」
その言葉を発した時、男の中に何かが変わった。彼は、他の管理者が望んでいたであろうことを、命令に込めた。それは、彼の最後の良心だったのかもしれない。
《命令を受諾しました。マスター以外の全ての管理者の現時点での再生ルーチンを破棄します》
(ルーチン……か)
その表現に、彼は自分が単なる部品の一つでしかなかったことを、改めて思い知らされる。
モニターに目を向けると、荒れ狂う外の風景が映し出されていた。熱風が吹き荒れ、隕石が降り注ぎ、まるで地獄のようだった。
(まさに地獄とやらのイメージだな。この中でよく研究所がもっているものだ……流石というかなんと言うか)
男は、改めてナノマシンの能力に驚愕する。惑星の表層が破壊されたにも関わらず、高密度のナノマシンによって、研究所の内部は保たれていた。まるで、これが最も合理的で無駄のない方法であるかのように。
(このまま終わりを迎えたら、人類は完全に滅びるのか……)
その思考の中で、男は再び答えを見出すことができなかった。永遠とも思える命の中で、もう死を迎えることすら恐れない自分に気づく。しかし、他者が残した遺伝子情報を集め、次世代に託すことが、彼の最後の使命だった。
「……生命維持機能を停止しろ」
地球の歴史が終わる、その瞬間。男は少しだけ躊躇ったものの、命令を下す。しかし――
《実行する指示が完全に失われる為、受諾出来ません。指示をお願いします》
「なっ!」
命令があっさりと拒否された。すべてを終わらせたかった男の心は、あまりにも大きな失望に沈んだ。
《現時点ではマスターの生存している為、再生ルーチンは停止可能です。 但し、指示が必要な状況下では、再生ルーチンが再開されます》
絶望的な知らせがモニターに表示された。ナノマシンは、彼が命じたとしても、そのルーチンを再開することを許さない。
(くそっ!失敗した……最後になるんじゃなかった)
男は心の中で、後悔の念が募る。彼が最後の管理者となってしまったことを、深く悔やんでいた。
《環境再生後にマスターの再生をする事で、指示を保留出来ます》
「ふざけるな!俺の再生は駄目だ!再生するなら他の奴にしろ!」
《他の元管理者は権限を失っているため、管理者権限の譲渡は不可です》
男はただ呆然とした。すでに、管理者権限は他の者に譲渡されており、彼一人だけがこの呪縛に縛られ続けている。
自ら命を断つことができない――それを知っていた男は、再び絶望に沈む。そして、黙り込んだ。