襲撃に備えて
オークたちの襲撃に備えて、領民たちが動き出す。
戦うことのできない老人や女性、子供たちは必要なものだけを纏めて、屋敷の裏山の方へ。あそこならば大森林から一番遠く高さもあるので、もし突破されるようなことがあってもすぐに追いつくことはない。
そのまま隣の領地に逃げることができる。
有力貴族が領民たちにどのような対応をするかは不明であるが、レベッカが元領民から話を聞いていたようなことを言っていたので、無事に逃げ延びることはできると信じたい。
ただ、やはり女子供だけを避難させるのは不安だ。
何人か戦える男性を連れていかせるが、皆の不安を和らげられることのできる人がいい。
「……メア、避難の指揮は任せていいかい?」
「いえ! 私も残ります!」
おずおずと尋ねると、いつになく強い口調でメアに断られてしまった。
「いや、そうは言ってもメアは戦うことはできないだろう?」
メアのスキルは戦闘向きではなく、メア自身も戦闘の経験などは一切ない。
てっきり素直に従ってくれると思っていたのだが……
「戦うことはできなくても、ノクト様の力をお借りすれば皆の傷を癒すことはできます」
「そ、そうかもしれないけど……」
確かにメアの【細胞活性】は植物を育てるだけでなく、人間の細胞にも適用されて自己治癒力を高めることができる。
回復スキルを持った領民もおらず、ポーションの類や傷薬もほとんどない現状では、メアの存在は非常にありがたい。
だが、避難民のことを考えるとメアが付いていってくれると安心なのだが。
「ノクト様、避難する方たちのことであれば私に任せてください」
「……オリビア」
「獣人である私たちをここの皆さんは忌避することなく受け入れてくれてくださいました。その恩返しとしてお役に立ちたいのです」
確かにオリビアは領民の女性やご老人からの信頼も厚い。彼女が付いていれば避難する領民たちの心の支えになってくれるかもしれない。
最大の懸念事項が消えた以上、心が痛むがメアを残す方が戦線では有利か。
「…………わかった。避難民のことはオリビアに任せるよ」
「ありがとうございます、オリビアさん!」
「いえ、本当ならば私も戦うべきなのでしょうが……」
礼を言うメアの言葉を聞いて、オリビアが申し訳なさそうにする。
「ガルムにも言ったけど獣人だから戦うべきなんてことは強制しないよ。それにオリビアには守るべき子供もいるからね」
「……ありがとうございます」
オリビアは獣人で並の人間の戦士よりも強いかもしれない。だけど、それだけの理由で子供のいる彼女を連れていくのは間違っている。
戦うのは苦手であるガルムが意を決して前線に加わっているんだ。オリビアまで戦線に加えられない。
「あの、最後に一つだけお願いをしてもいいでしょうか?」
「なにかな?」
オリビアが手招きをするので俺はそちらに近付く。
「ガルムは戦いになると興奮して暴れることがあるので、できればその辺りを注意して頂けると助かります」
「え? あのガルムが?」
強そうな見た目とは裏腹に気弱で、戦うのを好まない彼からはとても想像できなかったスタイルだ。
戸惑う俺を見て、オリビアは少し迷ったようにしながら囁いた。
「……ガルムは【狂化】というスキルを持っておりますので」
「な、なるほど」
【狂化】というスキルは己の身体能力を向上させ、痛覚を鈍化させる戦闘能力と継続力を引き上げる効果がある。しかし、その強力な効果と引き換えに、強い興奮効果をもたらし、酷い者であれば意識を失うこともあるという。
「わかった。ガルムが周りの人を傷つけないようにしっかり見ておくよ」
「ご迷惑をおかけします。それでは、失礼いたします」
オリビアは最後にそれを伝えると、深く頭を下げて避難の準備を始めた。
ガルムがそんなスキルを持っていたとは知らなかった。ただでさえ、獣人という圧倒的な身体スペックを持っている彼が【狂化】すればとんでもない力になるだろう。
しかし、それは諸刃の剣だ。使ってもらうにしろ、使いどころは慎重にしないとな。
「ノクト様、俺たちはどうしましょう?」
そんなことを考えていると、グレッグをはじめとした戦える領民たちが既に集まってくれていた。
その数にして百五十前後だろう。頼りない数字に思えるが、俺のスキルを運用していくことを考えると十分だ。
「オークがやってくるのは大森林のある西側。そこにある防壁を有効活用して、領地に入り込めないようにしたい。そのために、まずは堀を作ってもらいたい」
「堀ですか? 考えることはわかりますが、今からじゃとても……」
「大丈夫。浅く掘ってさえくれれば、俺が拡大して深い穴にするから」
グレッグの懸念する通り、今からではとても堀を作ることはできないが、俺のスキルを使ってやれば別だ。
少しでも掘ってくれれば俺が穴を拡大して、あっという間に深い堀を作ることができる。
俺が土魔法で掘って拡大してもいいのだが、戦闘を前に疲弊するのはできるだけ避けたい。
「なるほど! それならば短時間でできますね!」
「西側を中心に力のある若い人をたくさん連れていっていいよ。後で俺がスキルを使いに行くから」
「わかりました」
グレッグが声を上げると若者たちが集まって、道具を手にして西の防壁に向かった。
半分近い人数がいなくなってしまったが、堀を作ることは最優先なので人手は惜しまない。あれがあるのとないのとでは戦いの有利さが違うからね。
「ローグとギレムは――」
「あの二人ならすぐに武器を揃えるって言って家に戻られました。何人かお手伝いを連れて」
ローグとギレムに武器の準備を頼もうとすると、メアが申し訳なさそうに言ってくれた。
「あ、うん。それならいいんだ」
あの二人がせっかちなのは今に始まったことではないし、今は少しでも時間が惜しい時だからね。気にしない。
「それじゃあ、残りの人は戦闘の準備だ。それと残りは石と枝を集めてほしい」
「ノクト様が石を拡大し、防壁の上からそれを落とすのですね?」
「そういうこと」
この方法を使えば、腕に自信のない者でも楽にオークを倒すことができる。
いかに強靭なオークといえど、防壁ほどの高さから巨大な石を落とされては一たまりもあるまい。
「……でも、枝は?」
リュゼが小首を傾げて尋ねてくる。
石はすぐに想像できるが、そちらはどう使うか想像できなかったのだろう。
「ナイフで削って尖らせたものを地中に埋めて拡大して罠にする。あと投げ槍としても使える」
「……なるほど、どちらも最小の手間で魔物を倒せる」
さすがにこのあくどい運用方法は想像できなかったのか、リュゼ以外の領民の顔が引きつっていた。
ただの枝であっても、俺のスキルを使えば凶悪な武器になる。
今までは建物や作物を大きくするだけだったので驚いてしまったのかもしれない。
だけど、それでも俺は取り下げるようなことはしない。
この領地と領民を守るためならば、たとえ引かれようが気にしない。
「では、私たちは石と枝を集めましょうか」
「「お、おう」」
メアが空気を変えるように明るく手を叩いて言うと、領民たちが彼女に従って動き始める。
とても助かる。メアには残ってもらって正解だったかもしれない。




