唯一の領民
領民全員が逃げ出してしまった。
その事実を把握した俺は、人気のまったくない荒れ果てた領地で途方に暮れていた。
無理もない。ただでさえ魔物の脅威に脅かされているというのに、対抗できるスキルとカリスマを持つ父と兄が死んでしまった。
その上、新しい領主となる次男は戦闘に役立てることのできないスキル持ち。
これじゃあ、長年仕えてくれた家臣や領民たちが逃げ出してしまうのも無理のない出来事だ。
俺も逆側の立場であるなら、同じように見切りをつけて逃げ出していただろう。
「……はぁ、俺も逃げ出したい」
青々とした空を見上げながらぼんやりと呟く。
家臣や領民がいなければ無理だ。どうしようもないし自分も逃げればいいと思うかもしれないが、領主が領地を捨てることは許されず、逃走すれば死刑は確定だ。
かといって、正直に今の状況を王に報告しに行けば、領地を荒廃させたということで爵位剥奪、罰金などといった罰則が与えられる。
辺境で貧乏貴族をやっているうちにまともな財産などあるわけはなく、罰金を払うこともできない。奴隷落ちか、はたまたどこかの貴族に買われて飼い殺しの人生を送るようになってしまう。
そのような人生はまっぴらごめんだった。
だから、領主である俺に逃げることはできない。
大森林の反対側には少し遠いが有力貴族の領地がある。
うちの領地を防波堤とみなしている貴族は、大森林に備えて領民たちの情報を欲するに違いない。受け入れてもらえる可能性は大いにあるだろう。
俺一人を残して逃げ出してしまった家臣や領民を完全に憎んでいないと言えば嘘になるが、ここまで尽くしてくれたのも事実だ。
「せめて、逃げ出した領民たちの未来が明るいものになってくれるといいな」
「あ、あの、ノクト様……」
なんて呟いていると、後ろから声をかけられた。
そこにいるのは銀髪をショートカットにしたメイド服を着た少女。
長い前髪で右目が隠れており、左目の青い瞳が窺うようにこちらを見ている。
彼女の名前はメア。
ビッグスモール家に小さな頃からメイドとして仕えてくれていた同い年の少女だ。
「……メア? どうしてここに?」
「ノクト様のお力になりたくて」
驚愕を露わにしながら尋ねると、メアはおずおずと答えた。
メイドであるメアが残ってくれた。そのことは素直に嬉しいが、現状を思うと素直に喜ぶことはできない。
「メアの気持ちは嬉しいがわかっているのか? この領地にはもはや父や兄もいない。残っているのは家臣や領民に逃げられた頼りないスキル持ちの領主なんだぞ?」
「それでも私はノクト様にお仕えしたいんです! ラザフォード様やウィスハルト様ではなく!」
普段は控えめなメアが強く叫んだ。
その言葉は父や兄と露骨に比較され、傷ついていた俺の心に暖かく浸透した。
「幼くして身寄りをなくしてしまった私にノクト様は手を差し伸べてくれました」
確かにメアをメイドとして雇うきっかけになったのは俺の一声だ。
自分と同い年の少女が、身寄りを失くして邪険にされているような姿を見ていられなかったからだ。
「それは幼い俺の同情心であり、メアが恩を感じるようなことじゃ――」
「それでも私は嬉しかったんです! メイドとして雇ってくださるだけでなく、優しさをかけて屋敷に居場所を与えてくれたノクト様の配慮が!」
転生者として子供ながらに前世の記憶を持っている俺からすれば、年相応のメアはまさに妹や子供のような存在で可愛がったりもした。
自分が雇うと言い出した責任もあり、積極的に面倒を見ていたがまさかここまで想われていたとは。
「ご恩に報いるためだけでなく、純粋に私はノクト様の傍にいたいんです!」
顔を赤くし、青い瞳に雫をためながら力いっぱい叫ぶメア。
俺はなにをネガティブになっていたのだろう。
全員が領地を離れてしまう中、たった一人メアは残ってくれたのだ。
しかも、その子は他でもなく俺と一緒にいたいと言ってくれている。
ここまで言われてブツブツと言い返すのは男として情けないし、メアにも申し訳ない。
「……わかった。ありがとう、メア」
「ノクト様……っ!」
「何もない領地だけど俺と一緒に立て直そう。色々と大変かもしれないが、これからも俺に仕えてくれ」
「…………」
覚悟を決めて手を差し伸ばすと、メアは喜びの表情を――あれ? なんかちょっと不満そうにしているような?
「どうした、メア?」
「いえ、なんでもございません。これからも精いっぱいお仕えさせて頂きますね」
戸惑いながら顔を覗き込むと、メアはすぐに表情を綻ばせて手を握った。
もしかして、こんな領地に残ったことを今さらながらに後悔しているとか? いや、でも俺に仕えてくれるって言ったよな?
微かな疑問を感じたものの、それを言葉にするのがどこか怖くて俺は黙っているのだった。
◆
メアの覚悟を受け取った俺は、彼女に案内してもらって屋敷の裏山に墓参りにきていた。
昨日は王都から戻ってきた疲れや、領民たちに詰め寄られた精神的疲労によって、父や兄のことを考えることができなかったからだ。
メアと会話をして落ち着きを取り戻した今なら大丈夫だ。
裏山を登ってたどり着いた頂上では、ビッグスモール領を見下ろすことができた。
今では破壊された民家や掘り返された畑が目立っているが、ここの景色はとてもいい。
そして、そんな場所には三つの墓石が仲良く並んでいた。
「ここが父上と兄上の眠っている場所か……」
「……はい、奥様の傍がいいかと思い、ここに埋葬させて頂きました。ノクト様の知らぬところで勝手に埋葬してしまい申し訳ありません」
「いや、謝ることはないよ。むしろ、礼を言うよ」
ここは若くして病気で亡くなったという俺の母が埋葬された場所であり、領地が一望できる場所。
酒で酔った父が、死んだ時は、ここに埋めて墓を建ててくれと口にすることがあった。
ここなら父や兄も本望だろう。
「すまない、メア。先に屋敷に戻っていてくれるかい?」
「かしこまりました」
俺が静かにそう告げると、メアは離れて屋敷の方に戻っていく。
一人になった俺は道中摘んできた花を、三人の墓石の前に並べた。
「母さん、父さん、兄さん、ただいま。まさか、戻ってきたら父さんと兄さんがいなくなってるだなんて思いもしなかったな。それだけじゃなく、魔物のせいで領地もめちゃくちゃになっているし大変だよ」
一人になってホッとしたように語り出すと、不意に涙が込み上げてきた。
「それなのに、それなのに、俺は父さんや兄さんのような立派なスキルを獲得することができなかったよ。そのせいで家臣や領民も逃げ出しちゃって……父さん、兄さん、なんで死んじゃったんだよ」
そして、最後には我慢することができなく、みっともなく俺は泣いてしまった。
外れスキルの獲得、魔物の襲撃による父や兄の死亡、領民の逃亡……あまりに多くの出来事があり過ぎて実感が湧かなかったが、こうして名前の刻まれた墓石を見ると嫌でも理解させられた。家族である父や兄はもういないのだと。
それがわかると、今まで奥底に溜まっていた感情が一気にあふれ出してしまったのだ。
「みっともない姿を見せてごめんね。母さん、父さん、兄さん」
誰もいない場所でみっともなく泣き叫ぶと気持ちが少し収まった。
「授かったスキルは【拡大&縮小】っていう物を大きくしたり、小さくしたりするスキル。確かに戦闘スキルじゃないかもしれないけど、やりようによっては生活を豊かにできるかもしれない。それにメイドのメアも残ってくれた。たった二人だけのビッグスモール領だけど、必ず立て直してみせるよ。だから、三人ともここで見守っていてね」
その後、領地の現状なんかをしばらく語ったところで立ち上がる。
ずっとここにいると屋敷に戻っているメアも心配する。
それに、領地を立て直すと決めた以上、俺には時間がいくらあっても足りないのだ。
「またくるよ」
家族三人が眠る墓石に声をかけて、俺は山を下った。