8話 悲劇
死んだとき、お母さんの顔はうっ血してパンパンに腫れていたという。
留置所で、身にまとっていた服を結び、自絞死したのだ。首つりと違い、自分で自分の首を絞めたのだが、紐よりも服でやるのは相当難しいらしい。おそらく、強い意志のもと自殺を図ったのでしょうと言っていた。
葬儀は非常に質素だった。親戚は誰もおらず、お父さんと姉さん、それからわたしだけが葬儀に参列した。警察関係者や先生、広瀬さんの参列は遠慮してもらった。
柩のふたを閉められるまでは人の形をしていたお母さんが、火葬後に骨だけになって戻ってきたとき、わたしはショックのあまり気を失いそうになった。かつての姿の面影もなく、ほんとうにお母さんだったものだなんて信じたくはなかった。
雨がずっと降っていた。強雨で、地面に到達するたび大きな音を立てる。暗雲が空に重なり合い、いつもよりもずっと息苦しく感じた。
骨壺を持って、お母さんのいない家に帰った。
お父さんは「用事があるから」とどこかへ出かけたので、姉さんと一緒に帰ることになってしまった。わたしが前を歩き、姉さんが後ろについてきた。家に着くまでのあいだ、まったく会話もなく淡々と足を進めていた。
角を曲がり、我が家のガレージが見えたとき、軒先に立つ一人の男の人の姿が視界に現れた。
その人は喪服を身にまとい、ビニール傘を片手に玄関のほうを見つめている。その横顔ですぐにわかった。担任の、村田先生だ。
わたしたちが水たまりを踏み鳴らしながら近づくと、先生が振り向いた。それから、呆けたみたいに口をぽかんと開け…………まもなく、わたしのまえで、深く深く頭を下げた。
「申し訳なかった!」
近所に響くくらいの大声だった。傘から飛び出した部分に、わたしが傘をかざす。
「こんなことになるとは思わなかった! まったく考えず、ただそれがお前のためになるからと、早々と決断し、実行してしまった! すまん!」
「せ、先生……」
わたしは、怒るよりもむしろ驚いてしまって、先生の肩をつかんで頭を持ち上げようとした。
「いいから、顔を、顔をあげてください」
その声に、先生はおそるおそる上半身をのばす。浅黒くて、いつも生き生きとしていたその顔は、青白く、情けない表情に変わっていた。
「でも、おまえ、恨んでるだろ。俺を……。どんな母親でも、おまえにとっては母親で、たしかに俺の手から守ろうとして……それを無視した俺が、母親を死なせてしまって……」
あぁ、やっぱりこの人は悪い人ではないのだ。たしかに存在していたはずの先生を恨む気持ちが、どんどん萎れていくのを感じる。
「広瀬……俺の学生時代からの親友は……昔から俺と同じで教育に燃えてるやつで……俺は教師に、あいつは児童相談所の職員になって……。たまに一緒に飲むとき、あいつから聞くんだ。子供を守ってやらなければならない。世の中には、無責任な親がたくさんいて、そんな子を守って当たり前の生活をさせなくちゃならないって。それを聞いて、俺もうなずいて、そしてお前がそんな目に合ってるって知って、いてもいられなくなって……あいつに連絡して、早期解決を図ろうとしたんだ……」
その結果があのざまだ、と自嘲気味に先生は片頬をつり上げる。
「いくら謝っても、どうにもできないと思っているが、俺には、謝るしかない。すまない!」
雨がずっと降り続いていた。傘が壊れるんじゃないかという勢いで、強く強くわたしたちを叩いていく。何を言おう、とわたしは思った。いっそのこと、ほんとうに怒ってしまった方が先生は楽になるんじゃないか……。
けれど、わたしがとった行動は、そうじゃなかった。
「恨んでなんか、ないです」
わたしは、笑った。ほんとに、なにも気にしてないという風に、邪気のない笑顔を……。
「ありがとうございます。先生……」
あとから思ってみれば、わたしのこの行動は正解だった。これからのち、わたしは先生をもっと苦しめることになった。だから、少しくらいの慰めは必要だった。
先生は、ずっと黙っていた姉さんとわたしにまた頭を下げ、肩を落としたまま帰っていった。