7話 絶望
「……私が、美香に暴力をふるいました」
広瀬さんが目線を持ち上げる。わたしは立ち尽くしたまま、しばらく呆然とした。
あなたはそれを望むというの……?
…………ねえ、お母さん……。
「あなたが、ですか? 美香さんに危害を加えたと認めるのですか?」
「はい……」
わかっていた。こうなることは、先生が来たときにわかっていたはずなのだ。
なのに……実際にお母さんの口から聞くとつらくてたまらなかった。
あぁ……どうしてそんな結末を望むの?
立ち上がったお父さんが、顔を真っ赤にしてお母さんを見下ろした。指さし、手を震わせ、声も震わせて、
「ほん、とうなのか。ほんとうにおまえが、美香に、暴力をふるっていたのか?」
「ええ……」
突然、お父さんはお母さんの胸ぐらをつかみ、ほおをひっぱたいた。お母さんの体はテーブルに打ちつけられ、転がるように床に激突した。
「おま、おまえ! なんてこと、なんてことを!」
「お父さん落ち着いて!」
姉さんが叫び、広瀬さんが取り押さえるも、それでもお父さんは暴れるのをやめようとしなかった。腕をかくように前に出し、もう一発殴ってやらんと目をつり上げている。
「子供のことはお前がちゃんと面倒みていると信じていたのに! それをお前!」
なんて茶番なのだろう、とわたしは思う。
なにもかも知っているくせに、なにも知らないというようなふりをして怒っている。自分はあくまで「被害者」の側の人間であると主張せんとばかりに「健全な父親」を演じている。
お父さんの叫び声。やめて、と止める姉さんの声。落ち着いてくださいとなだめようとする広瀬さん。なにもかもがわたしからは遠かった。嘘、嘘、嘘で塗り固められたわたしたち家族の醜悪さが鼻につくようで、頭がひりひりと痛みだした。
ほおを抑え、床に倒れこんでいたお母さんが先生に支えられて立ち上がる。わたしはじっとお母さんの顔を見つめた。お母さんも、わたしのことをじっと見ていた。
許してね、とその顔が語っていた。許してね、私の勝手を許してねと。
涙がこぼれそうになった。お父さんたちの叫び声がこだますなか、わたしは目元をおさえ、唇をかみしめ、たぶんもう会うことができなくなるだろう人の顔を必死に目に焼き付けようとした。
でも、だめだ。斜視のためか、涙に潤んだせいなのかお母さんの顔がはっきりと見えない。
何度瞬きし、見つめなおそうとしてもだめだった。
ねえ、お母さん。わたしはこんな現実を認めなくちゃいけないの? お母さんを守ろうとしてはいけないの? そんなことも、お母さんは望んでくれないの?
声には出せない。ただ、涙ばかりがほおを伝っていく。
わたしは、今日、世界で一番大事なものを失ってしまった。
お父さんの態度が収まったあと、わたしたちは一度児童相談所に移動することになった。そこで調査が行われ、自供もあったことでお母さんが警察に逮捕された。
わたしは児童相談所に泊まることになった。見慣れない、狭い部屋に一人になると絶望感がひしひしと押し寄せてきてまた涙が瞼を乗り上げた。
そして一睡もできないまま朝を迎え、部屋を出たわたしが受けたのは衝撃的な報だった。