5話 発覚
翌日学校に行くと、さっそく先生に呼び出された。
行きたくはなかったが、先生の疑惑を晴らしたい気持ちもあって従うことにした。
昨日はあまり寝られず疲れが尾を引いていたし、喉はひりひりと痛んでいる。首元を何度もさすり、昨日いたみつけてしまったときのことを何度も思い返す。しゃべるのもつらい。けだるい気持ちのまま廊下を渡り、目的地である第二会議室にたどり着いた。
ほかに誰もいない第二会議室に入るや、先生はわたしに変な質問を投げかけてきた。
「最近、強く頭を打ったことは?」「歩くとき、よく肩やひざをぶつけないか? それも右のほうを」「見ているものが複数あるように見えたり、歪んで見えたりすることはないか?」
わたしにはさっぱり意図が分からなかったが、それでも答えは全部YESだった。
頭を打ったのは、家の階段で突き落とされたときに経験がある。肩やひざもよくぶつけるし、たまに見ているものがぼやぁっと広がって見えたりもする。
先生は大きくうなずいて、さらにつづけた。
「お前、袖をまくってみせてくれないか?」
わたしの体が凍りつく。たぶん……いや、間違いなく見られたのだ。あのとき、先生の前でこけたとき、スカートの下にかくされたあざや傷の数々を。
だから、こうして余計なおせっかいを……。
「……いや、です」
「桜田、これはお前のためなんだ」
薄着のときなら、化粧などを駆使して痣を覆い隠している。けれど、梅雨の時期に差し掛かっている現在、わたしは痣を袖の下に隠すのみだ。
袖をまくったら、この先生はさらにおせっかいを焼いてくる。
「いいか、桜田。お前は何も悪くないんだ。何も気負わなくていいし、今のこの時期を楽しく過ごす権利があるんだ。それをうばう権利は、何者にもない」
じゃあ、わたしのことは放っておいてよ、変なことしないでよ。
そう言おうとしたが、雰囲気にのまれて何も口にできなかった。
「桜田……!」
「……いやです」
「言うことを聞くんだ、桜田……!」
「わたし教室に戻ります!」
あわてて逃げようとしたが、先生はわたしの腕をぎゅっとつかんだ。掌に力をどんどんこめて、わたしの腕をしぼるように握る。
顔をしかめる。男の人に触られて不快とかそういうことじゃなくて……痛くて……。
「痛いよな、そりゃ、痛いに決まっている」
先生は、わたしの袖を無理やりまくりあげた。
腕には、あざが無数に広がっている。
「こんなあざと傷だらけの体で体育なんてできるわけがない。俺はどうかしていたよ。こんなことにも気づかないだなんて……」
にらみつけるような目つきで見るので、わたしはすくみあがる。
「昨日、ここで転んだとき……お前の足にものすごい量のあざがあるのを見つけた。そのとき、俺の頭の中で色んなことが急に思い出されたんだ。お前はドアや机に体をよくぶつける。何度かすごい音を立てていたから、記憶に残っていたんだな」
逃げようと、手を振りほどこうと引っ張るが、先生の力の前になすすべもない。先生は椅子から腰を上げようともせず、ただわたしをつかむ手に力を込めている。
「そして、お前に俺の目を見つめるように言ったとき、俺は確信したんだ。お前は、内斜視だとな。まっすぐ俺を見ているようで、右の黒目は大きく内側にずれていた。しかし……」
それから先生はもう片方の手でリングファイルをめくる。
「桜田には、過去、斜視だった記録がひとつもない。わが校の中等部での健康診断でも、目に関して何の異常もなかった。それが、なぜ今になって、突然斜視として表れているのか……」
もうやめて、わたしのことを探ろうとしないで。
頭を抱えてうずくまりたくなった。けれど、腕をつかまれているので自由がきかない。
「こういうのを扱ってる友人に訊いたところ、頭に強い衝撃――それもちょっとやそっとじゃない、ものすごいダメージを受けると後天的にも斜視になることがあるらしい。脳や中枢がやられた結果だそうだ。なぁ、桜田。お前も、そういう経験あるんだよな」
それで、か……。さっきの質問は、それを尋ねるためのものだったのか。
「俺は確信したよ。異常な数の足のあざ。後天的な斜視。腕をつかんだときの表情。体育をさぼりつづけ、部活にも入らなかったという事実。すべてがつながって、はっきりとわかった」
わたしはうなだれ、肩を落とした。終わった。なにもかもが、終わってしまったのだ……。
きっと本人は、善意でやっていることなのだろうけれど、わたしにとっては迷惑以外の何物でもなかった。
わたしの腕を離した先生は、最後にこう言った。
「今日、お前の家に行く。絶対に逃げるなよ」
放課後、わたしは一目散に家に帰り、玄関のドアのカギを閉めた。
何時頃かまではわからないが、今日先生が来てしまう。その結果次第では、私の生きる意味が崩壊することになる。なんとか対策を考えなければならなかった。
でも……何も思いつきそうになくて……。
だってもう体のあざを見られてしまった。いくらわたしが否定しても、全身の痛みが雄弁に語ってしまう。わたしをいたぶる存在がいることを……。
そして、そのことを知ったあの熱血先生は、いくら止めても勝手に糾弾しようとするだろう。
いっそのこと、わたしの思いのたけをすべてぶちまけてしまうべきか……。すべての事情を話せばもしかしたら思いとどまってくれるかもしれない。わたしは、暴力を望んで受け入れているということ、もしそれが世に発覚すれば、わたしたちはめちゃくちゃになってしまうということを。
……………いや、無理だ……。
わたしはぶんぶんと首を振った。そんなふうにしてもめているうちに、結局わたしは、わたしたちは破滅の道に追いやられることになる。
靴を脱いで上がり框を乗り上げた。リビングのなかを覗けば、お母さんが料理を作り始めているのが見える。包丁の刻む音、窓から差し込む赤日と、ソファや食卓の下に伸びる影。静かで物寂しげで、けれどわたしが大好きなこの光景。それが、今日、消えてなくなるのかもしれない。
ふと、お母さんが顔を上げてこちらを見た。
「あら、美香。帰っていたの」
包丁をまな板のうえに置き、エプロンで手をぬぐいながらお母さんが近づいてきた。
「どうしたの? 美香、泣きそうな顔しているわよ」
台所仕事で冷たくなった手をわたしの頭において、微笑んでいた。
「ううん、なんでもないの」
顔を上げることはできなかったけれど、なんとか動揺を隠してそう言えた。
「そう? でも、疲れているなら部屋でゆっくり休みなさい」
「う、うん」
お母さんが離れ、再び台所に引っ込んでしまう。わたしは、心の奥底からわきあがる感情に気づいて、あぁ、とため息に似たつぶやきを漏らした。
あぁ、やっぱりわたしは守らなければならないのだ。
わたしの生きる意味。わたしが、ここにいる意味。それを、これからも続けるために。
日はゆっくりと暮れていく。料理を作るお母さんの姿を、目に焼き付けるように眺める。