2話 先生
窓際後方の席にいるわたしは、授業中も休み時間も決まって外を見ている。友達はいない。たまに話しかけてくる人はいるけれど、わたしがつまらない人間だとわかると自然と離れていく。まったく口を開かないまま家に帰ることだって何度もあった。
けれど今日はそんなわけにもいかなかった。担任教師との個人面談があったからだ。
昼休み、先生に呼ばれたわたしは第二会議室と書かれた部屋に入った。そのときにまた右肩をぶつけてしまったので、顔を俯けながら先生の前に腰を下ろした。
「おいおい、なんだか危なっかしいな」
朗らかに笑った担任教師――村田先生は、今年赴任されたばかりの新人だ。熱血という言葉が似合う人で、顔は日に焼けている。
「べつにおまえをしかるために呼び出してるんじゃないんだから、顔を上げたらどうだ? 学生時代は明るく明るく! あとから振り返ってみれば、今ほど楽しい時間はないんだぞ」
しかたなくわたしは少し顔を上げる。でも、その論理でいくと、わたしの将来は真っ暗闇のままだ。
「それで、何を話すんですか……?」
「おお、そうだったそうだった」
机の上に置かれたリングファイルを手にとった先生は、ページをぺらぺらめくり、
「うぅ~ん。成績は、だいたい平均点くらいなんだよなぁ……。まだ高校1年生だし、とりたてて言うこともないけど……そうだな、やっぱり……」
リングファイルを閉じ、まっすぐにわたしを見据えた。
「体育だな。見学ばかりだから」
あぁ、その話か……。わたしは嘆息する。
なんでよりによって、担任教師が体育教師なのだろうと思う。他の科目は最低限やっているけれど、この教科だけはどうしようもないのだ。
今までだって、村田先生には何度も理由を尋ねられた。病気ってわけでもないのに、なんで体育をずっとさぼっているのかと。わたしはずっとごまかしてばかりで、本当の理由を伝えたことは一度もなかった。
わたしは腕をさすった。目線をどんどん下に下ろしていった。
「体育ってのはな、人によっては軽視されたりするがな」
「はぁ……」
べつにわたしは軽視なんてしてないけど、反論するとややこしそうなので口をつぐむ。
「運動は体にも心にもいいものなんだ。走りこめば体力がつくし、精神的な持久力も身につく。球技をすれば、色んな筋肉が鍛えられるし、チームプレイから協調性を学ぶこともできる。社会で生きていくときには、そういったものが役に立つんだよ」
「そうですか……」
「あぁ……だから体育に出よう、桜田!」
熱く語りかけてくるのがうっとうしくて、ついつい眉をひそめてしまう。
走りこんで体力がついたところでどうしようもないし、精神的にも「足おっそ~」と笑われて傷つくのがオチである。球技にいたってはボールが回ってこないだろうし、あからさまに迷惑がられるだけだろう。
たぶん、こんなこと言っても、村田先生にはわからない。
「桜田には体育が必要だ! な?」
「……」
「桜田~」
「……用件がそれだけなら失礼します」
椅子を引いて立ち上がると、「待ってくれ」と腕をつかまれた。ひそめていた眉をさらにしかめて、先生を見つめた。
「わ、悪い。つい……」
手をあわてて離した先生は、右手を後頭部にまわして笑う。
「と、とりあえず、なんかあったら先生に言え! な?」
きっと先生は悪い人ではないのだ。それが分かっていただけに無下にできず、小さくだが「はい」と返事をした。これでようやく解放されると思って踵を返した瞬間、右ひざを椅子にぶつけて転んでしまった。
「……っ」
丈の長いスカートだけど、顔から床に衝突した瞬間、とっさに手が裾をおさえていた。そのかわり、顔に鋭い痛みが走る。
「だ、大丈夫か!? ……!」
もう片方の手でなんとか上半身を持ち上げる。そして、先生のほうを振り返ったときにわたしは内心汗をかいた。先生は、目を丸くし、同時に顔を真っ青にしてわたしを見ていた。早く逃げようと思ったが、体が動いてくれない。
「おい、桜田!」
大声に身をすくませると、いつのまにか先生の顔が目の前にあった。
「俺の目を、ちゃんと見て言え!」
床に尻をつけたまま、わたしはうなずいた。先生の目に目線を合わせる。
「お前、俺に隠していることないか? なにか、悩みがあるんじゃないか?」
きっとこれは、わたしをためしているのだ。目をそらして嘘をつくのか、それとも……
だからわたしは目をそらさずにはっきりと言った。
「ない、です、なにもないです」
「そうか……」
真剣な面持ちのまま先生は椅子に座り直した。それからファイルをまくりはじめる。
まずいことになったかも……。
背筋が凍るような思いを抱えて、わたしは第二会議室をあとにした。