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的場総司が帰った後、響とミラノは火輪と話し合うことになった。そこにはさらに八千流が加わっていた。
「御厨……マリノ?」
その名前を思い出そうとするように、ミラノは呟いた。
「知ってる?」
「知らないわね」
当然のようにミラノが答える。
「ミラノさんのお姉さんなんじゃないの?」
「知らないと言っているでしょ。私は一人っ子よ」
「前にミラノさんの部屋を見せてもらったことがあったよね。あの時、部屋に写真が飾ってあった。あそこに写っていたのはお姉さんなんじゃないの?」
「さっきから知らないって言ってるのが聞こえないの?」
ミラノは少しイライラしているようだ。
「お姉さんについての記憶を失っているんだよ」
「私を病人扱いするつもり?」
「ミラノさん、真面目に聞いてくれる?」
「私はずっと真面目よ」
「まあまあ、響君」
火輪が間に割って入る。「これはね、ただ記憶を失っているというだけのことではないよ」
「他にも何かあるんですか?」
「うん、実はさっきの的場さんがこの相談を一条家へ持ちかけてきたのは一週間前のことなんだそうだ。そこで私たちも少し調べてみた」
「何かわかったんですか?」
「御厨マリノという人物を私も妻も知らない。これはもともと知らないということだよ。その私たちには記録を読むことが出来た。ミラノさんよりも3歳年上のマリノさんというお姉さんは確かに存在している。ところが彼女を知っている人間は、その記録の中にある彼女の名を認識することすら出来ないようなんだ」
「認識出来ない? どうして?」
「そういう術がかけられていると思ってくれればいい」
「誰が……」
と言いかけて響は言葉を切った。それをやったのはおそらく御厨マリノその人だ。彼女は妖かしの力を持っている可能性が高い。
「ミラノさんは当然、もともと彼女のことを知っていた。だからこそそれを認識することが難しいんだよ。いや、ミラノさんこそがもっとも術を強くかけられていると思っても良い」
「どうするんですか?」
「実は、彼女に関わるものは少しずつこの世から姿を消している」
「姿を消す?」
「簡単に言えば、盗まれているんだ」
「誰が? 何のために?」
「きっと本人のやっていることだろう。御厨マリノという人物がこの世に存在していた……ということを消したいんじゃないだろうか。さっきも言ったように記憶は失われていても、記録は残っているからね」
「どうしてそこまでして自分の存在を消したいんでしょう?」
「それは本人しかわからないことかもしれない。響君、どうだろう。この件、君も手伝ってくれないかな?」
「もちろんです」
響はすぐに答えた。
ミラノの姉に関わることだ。断る理由はなかった。
「私も手伝っていいですか?」とミラノもすぐに申し出る。
「もちろんだよ。むしろ君に手伝ってもらわないと話にならない」
「何が出来るかわかりませんが」
ミラノはいつになく謙虚な言い方をした。それを見て八千流が声をかける。
「大丈夫よ。四人でならなんとかなるわよ」
少し驚いたように火輪が八千流へ視線を向けた。
「八千流さんも手伝うつもりですか?」
「何よ、悪いの?」
「いえ、悪いなんて言いませんよ。でも、八千流さんは忙しいかと思いまして」
「別に忙しいことなんて何もないわ。一日、こんな山奥の屋敷で退屈してたのよ」
「そうですか? 八千流さんは花嫁修業のためにここに来ているんですよね? 料理は? 掃除は? 洗濯は? ちゃんと出来るようになりましたか?」
「な……何よ。そんなの女性差別だわ」
八千流はまるで子供のように頬を膨らませた。
「差別なんてしませんよ。今、炊事も洗濯も掃除も全部私がやっているじゃありませんか。料理くらい出来るようになってくれないとね」
「く……で、でも、私はその猫を捕まえに行くわよ」
「はいはい」
まるで子供をあやすかのように火輪は言った。
「猫って?」
八千流の言葉が気になって響は訊いた。
「ああ、それはね、彼女に関する記録が盗まれているって話したろ? その多くの場所で黒猫が目撃されているんだ」
「黒猫?」
「たぶんそれがマリノさんだろう」
「黒猫が……でも、どうするつもりですか?」
「簡単だよ。こっちにはこのCDがあるからね」
響が訊くと、火輪はCDを手にしてみせた。
それは的場が残していったものだ。無くさないでくれと、何度も念を押して渋々置いて帰っていった。
「わざわざ、そんなものを盗もうとするでしょうか?」
「するよ。記憶は消せても、物理的な証拠は消すことが出来ない。今、彼女がもっとも消し去りたいのはこいつだからね」