コラムサーフィン
電車などのちょっとした待ち時間、外食時に料理が来るまでの待ち時間、手持ちぶさたになると、私はスマホで社説やコラムを読むことが多い。ネットサーフィンならぬコラムサーフィンといったところか。
ここでいうコラムとは、新聞や雑誌に載っているちょっとした読み物というか、与太話の総称である。なろうで言うエッセイ集と思えばいいだろう。
社会面に書かれた世間の出来事ほど重くなく、社説ほど力がこもっていない。長さも手頃である。
以前はこれらは図書館で読んでいた。地元の図書館に行けば、朝日、毎日、読売の主要三紙+日本経済新聞、そして地元紙が置いてある。バックナンバーもある。もっとも、いちいち図書館に行くのが億劫で、読まない日も多かった。これは今でも変わらないが。
ありがたいことに、ネットならばその新聞や雑誌のホームページに行けば、大抵コラムなどをまとめたページがある。もっと単純にネットでコラムを検索すれば、いくつものまとめサイトが出てくる。
ぐっと手軽に読めるようになったのはいいが、数が多くてとてもではないが読み切れない。私が主に読むのは先述した新聞などのコラムをネットにまとめたものである。
ところがこれにはひとつ壁がある。全国紙などはコラムを読もうとすると「会員限定」になっていることが多い。ネットで読みたければ有料会員になれと言うことらしい。
新聞社には悪いが、いちいち有料会員になっては懐が持たない。そこまでして読もうとは思わない。結局、今のところ私が有料会員になっているのは2紙だけである。
コラムで面白いのはやはり切り口だ。
最近、世間を騒がしている出来事を書くのでも、捻くれているのかまっすぐ書かない。冒頭数行だけを読めば、とてもその事件について書いたコラムとは思えない。毎日新聞のあるコラムはサッカーネタに入るのに、宮本武蔵から入った。何でも武蔵は蹴鞠の達人だという説があるらしい。他にも知らなかったことをいろいろ教えてくれる。
そこがいい。その切り口が、私にとって思いもかけない知識を授けてくれる。
コラムは雑学の宝庫なのだ。書く側が知っている雑学を駆使して、世間の出来事を面白おかしく解説する。意見の押しつけにならないように、知ったかぶりの文章にならないように。
もちろん全てのコラムが「そう来たか」と膝を叩くものではない。読んでも何とも思わないものの方が多い。それだけに、大当たりのコラムを読むと強い満足感に浸れる。
全国紙のコラムはレベルが高く、真面目で重いところがあるが、真剣にその題材について書いている。
地方紙のコラムは近所のおじさんのお話っぽく個性的、とっつきやすく気軽に読める。というのが私の印象である。
最初に書いた時間つぶしで読むのは、圧倒的に地方紙のコラムが多い。
幸いにも共同通信社と全国の地方紙で作る47NEWSというサイトがある。そこへ行けば各地方紙の社説やコラムが多く読める。しかも日替わりだ。
読み比べると、それぞれの特色があって面白い。切り口としては、やはり地元のさまざまなイベントや名産、その土地出身の有名人などを使ったものが多くて、ちょっとしたお国自慢っぽい。
私が知らないことも多いが、決して不快ではない。へぇと身を乗り出してしまう気分である。
そして、その話題を最近ちまたで騒がれている出来事につなげて行く。それが綺麗に決まるのは見事な職人芸のようである。やはりプロだなぁと思う。
自分の意見をただ書くのではなく、読む人が楽しめるように工夫する。
何よりも気持ちの良いコラムは悪口がない。
むかつく奴、嫌いな奴の悪口は楽しいが、そうでない奴の悪口は不快にしかならない。そして書いたコラムは誰が読むのかわからない。
だからこそ人であれ国であれ、悪く言うのを極力避ける。書く時にはできるだけユーモアに包んで書く。
「いいな」と感じたことを感じるように文章にまとめる。
そんなだからこそ、コラムを読むのは楽しいのだ。
新聞や雑誌などのコラムは、ちょっとした隙間においた「小さな良かった」なのかもしれない。
そうして私は、今日も空いた時間にスマホをいじって画面の中の小さな良かったを読んでいる。