モフモフと少女
「おい」
ああ、かわいい。本当に可愛い。
あのピンとまっすぐと空に向けて立った耳。
モフモフしたい。今すぐこの腕で抱き上げたい。
「おい、おい!聞いているのか、カレン=クロッカス」
ああ、逃げてしまった。
でも、逃げていくところもまた可愛らしい。遠くから耳をぴくぴくさせて周りを警戒している。きっといきなり聞こえてきた大きな声に驚いてしまったのだろう。
ああ、なんてかわいいの。
「カレン=クロッカス!」
「はいはい。なんですか王子様」
私のことを呼ぶこの男はこの国の第3王子にして私の婚約者様らしい。らしいというのはこの婚約が私の意思を全く無視して行われた婚約で、そもそもいつ婚約したのかさえも私は知らない。
私が彼と婚約しているかもしれないことを知ったのは、友人と恒例のお茶会をしているときのことだった。
その日、私の一番の友人、サリーはなぜか怒っていた。
貴族のご令嬢の手本ともいうべき彼女がなんと大股でこちらに向かって歩いてきたのだ。サリーの長い髪は左右に揺れ、今にもズンズンと音が鳴るかと思ったくらいその時の彼女は怖かった。
サリーの付き人が彼女のふるまいを注意しないほどに。
サリーが何に対して怒っているのかは分からなかった。だが、怒りの矛先が私に向いていることは誰が見てもわかることだった。
夜会にデビューもしていないというのに夜会では彼女の噂がたびたび出るのだとお姉さまが言っていた。それほどにまで美しい彼女が怒りをあらわにしている。
私はなるべくサリーがこれ以上の怒りを示さないように注意しながら「サリー、今日はいい天気ね」とどうでもいいような話をしてみた。
それがいけなかったらしい。
うん、まあわかってたけど……。わかってはいたけど都合よく彼女の気をそらせるような話などなく、ありきたりなこんな話しか出てこなかったのだ。
「カレン?」
彼女のうかべる笑みは友人で嫌というほどに彼女の顔を見慣れている私が見ても見とれるほどに美しかった。そして怖かった。美しいものに恐怖を覚えるとはまさにこのことだろう。背筋には電流でも走ったかのように震えその場から動けなくなってしまった。
「私に何か言うことあるわよね?」
サリーは動かなくなった私に諭すように優しい声で言った。
何か? 何かって何だろうか?
わからない。
わからないがサリーがこんなにも怒っているのだ。きっと重要なことに違いない。
サリーが怒るくらいに重要なこと……。
私のこと?
私が言うのは少しおかしいかもしれないが、サリーは私のことが大好きだ。
* * *
遡ること6年、それは王妃様主催のお茶会のこと。
私は盛大に転んだ。
私のドレスの裾をある男の子が踏んでしまったからだ。
その男の子は私よりも体が小さく、こちらを青ざめた顔で見ていた。きっと初めての公の場で緊張していたのだろう。私もお姉様とサリーがいなかったらこんな場で緊張してしまうに決まっている。だから、男の子に気にしないでと手を差し出そうとしたときのことだった。颯爽と後ろからサリーが現れてこういった。
「カレンを傷つけるなんてどういう神経しているのかしら?」
会場全体が凍った。そして次第に広がる声からその理由を知った。その男の子はこの国の第3王子だったのだ。
王子様をこんな場で攻め立てたらそれはもう周りが固まるのも無理はないだろう。
次第に大きくなる周りのざわめきで彼の正体を知ったときには背筋が凍った。私もサリーもそのことは知らなかったのだが知らなかったでは済まされない。
不敬罪に問われても仕方のないことをしてしまったのだ。一体これからどうなってしまうのだろうと汗が噴き出た。
けれど、私たちが周りから責め立てられることはなかった。
無事に屋敷に戻れることを安堵しながら馬車で気が抜けている私に向かってサリーは「あの男、許さない」と言い放った。
「サ、サリー?」
私は自分の耳を疑った。私の聞き間違いでなければ王子様相手に許さないと言ってのけたのだ。
「だって、あの男。カレンを転ばせた挙句謝罪もないのよ!?」
聞き間違いではなかったようだ。
王子様は悪気があったわけではない。それに王族というものは軽い気持ちで謝ってはいけないのだと聞いたことがある。王族とは常に気高いものなのだと。
だから、仕方のないことなのだ。
この後も延々と王子様のことを悪く言うサリーをなだめながら、これが王さまの耳に入りませんようにとただただ願いながら家路についた。
* * *
彼女が怒ったところを見たのはその時くらいで。それ以外のことでは彼女が怒ることはなかった。
私がモフモフを追いかけてサリーとの約束をすっかり忘れていた時ですら彼女は怒らなかったのだ。むしろその様子を見ていたのに私に声もかけずにニコニコと椅子に腰かけていた。
なのに、今彼女は怒っている。
怒りの矛先を私に向けて。
今ならあの時の王子の気持ちがわかる。あの時の彼の頭の中はきっと恐怖で埋め尽くされていたことだろう。
そう思うと不憫になってくる。が、今は人の心配をしているところではない。自分のことが優先だ。
えっと、私に関することで最近何かあったかな?
あ、もしかして……。
「私もうすぐおばさんになるのよ!」
私はなだらかな全く凹凸がない胸を張った。
ああ、これか。これに違いない。
最近起きた変化といえば、去年嫁いでいったお姉さまのおなかの中に子供ができたのだ。
もうすぐ姪ができる。今年中には叔母になるのだ。
サリーが来るまではこの感動をサリーにも伝えようと思っていたのだが、彼女の姿を見てすっかり忘れてしまっていた。きっと彼女のことだ。いち早くそのことを伝えてほしかったに違いない。
私も昨日来た手紙で知ったばかりだから手紙で伝えるよりも今日会って伝えた方が早いと思ってとった行動だったがサリーのことだからすでにその情報をどこからか入手していたという可能性もある。彼女の家の使用人は私の一か月前の朝食を当ててしまうほどに優秀なのだ。お姉様のことも知っていても不思議ではない。
「はあ……」
これが正解だと思ったのだが、サリーのひどく呆れたようなため息から察するに彼女が求めていた答えはこれではなかったようだ。
ため息をついたときに私の胸を見ていたからと言って、決して私の胸に呆れたわけではない。
「本当に、ほっんと~にわからないの?」
「うん」
どんなに考えてもお姉様に子どもができるのだということ以外最近変わったことはない。つまりサリーに報告すべき特出したこともない。
私の答えに呆れた顔から一転して今にも泣きそうなほどに悲しげな顔をした。
こんなコロコロ表情が変わるのはいつも私のほうなのに。今日はサリーの顔のほうがよく変わる。
「婚約したことくらい教えてくれてもいいじゃない」
「は?」
婚約? 誰が?
いや、話の流れ的に私が、だろう。それにしても誰とするというのだ。
自慢ではないが、私の誇れるものといえば賢いお姉様と強いお兄様、美しい友人そして優しい両親くらいなものだ。
つまり、私自身にはいいところなんてものはない。
何を習っても人並み以上にはなれず、どんなに勉強したところでお姉様よりも劣る。美しさではサリーには勝てっこないし、時間があればモフモフしたものを見つけては癒される。私自身はそんな自分を嫌いではないが、サリーほどのもの好きでもない限り私と一緒にいたいと思うような変わり者はいないだろう。
爵位だって、伯爵だ。低くはないが、高くもない。
伯爵家の女性なら私よりももっといい女性がいるだろう。
私の中での結論はサリーの勘違いという結果になった。
だから、私は今にも泣きそうにうつむく彼女の肩に手を置きながら言った。
「サリー、私は婚約なんかしてないわ」
できるはずないし……。
その言葉に目を見開いた彼女は「え、でも……」と少し混乱したような様子だった。
そしてしばらくして落ち着いたのか、考えるようなしぐさをして「とりあえず今日のところは帰るわ」と使用人に支えられながら帰っていった。
その1週間ほど後に来たサリーからの手紙に書かれていたことが、私の婚約者はこの国の王子でその王子というのはお茶会の時の彼なのだ、ということだった。
サリーらしからぬところどころの字のゆがみを見れば彼女の動揺がうかがえる。
いやいや、冗談でしょ?
きっとサリーの家の使用人でも情報を間違えることがあるのだ。
ただ、少し心配でしばらく屋敷を留守にしていたお父様が帰ってきたときに聞いてみることにした。
さすがに王子が私の婚約者なのか、そんな失礼なことは聞けない。
「お父さま、私ももう14だけど婚約者っていないのかしら?」
だからあたかも嫁ぎ遅れを気にする娘を装うことにした。
そんな私を励ますかのようにお父様は私の両肩に手を置き「カレンには素敵な人がいるから安心してほしい」と満面の笑みを浮かべた。
……こんなことなら早くお父様に手紙でも書けばよかった。
この時、すでにサリーから私に婚約者がいるといわれたときから1年以上の時間が経過していた。
そしてその1年後、というか数日前にその婚約者様こそ第3王子なのだと聞かされ今に至る。
それは現実を逃避してモフモフに癒されたいと思ってしまっても仕方ないだろう。
「カレン=クロッカス。お前は何をしているのだ! お前は俺の婚約者という自覚はないのか!」
そんなものはないといってやりたい、が王子様相手にそんなことは口が裂けても言えない。サリーならば彼に文句の一つや二つ言ってしまうのだろうが、私にそんな勇気などない。私は遠くに行ってしまったモフモフの生物から仕方なく目を移動させ、昔とは変わり果てた王子のほうを見た。
「えっと、何かご用ですか?」
「何かって、お前な!」
王子は何故か怒ったように顔を真っ赤にさせて私の腕をつかんだ。
「今日は結婚式の打ち合わせだろう! 花嫁がいなくてどうする!」
「え!? それは大変ですね。私もお探しします!」
「お前のことだろう!」
ああ、そうだった。つい。
悪気があったわけではない。ただ、気を抜くとこの人が私の婚約者様であることを忘れてしまうのだ。
仕方ない。
私、物覚え悪いから。
「ん? 花嫁?」
聞き間違いだよね? 私と王子は婚約者であってまだ結婚しない。
サリーからは私と王子は婚約しているのだと聞かされたのは1年以上前でも、お父様から聞かされたのは数日前のことだ。いきなり結婚なんてそんなことしないよね。
「そうだ、花嫁だ」
「えっと、どなたの?」
「私の花嫁に決まっているだろう。お前は私の嫁になるのだから」
え、本気ですか?
ちょっと待ってほしいと思う私のことなど無視をしてこれ以上話すことはないとばかりに私の腕を引っ張り自分の腕の中におさめ、人を物のように運んでしまう王子。
王子に横抱きにされながら、こんな強引な態度をとれるようになるとは人の成長というのは凄いものなのだと他人ごとのように思った。
** *
『サリー、あの時あなたの言葉を信じなかった私に呆れているかしら。
この手紙を果たしてあなたが読んでくれているかわからないけれど、今回もいつも通り私のことを書かせてもらうわ。
私は前の手紙を書いた時と変わらず元気よ。サリーも元気にしているかしら?
前回から変わったことといえば、私ね子どもができたの。今度の春には生まれてくるってお医者様がおっしゃってたわ。
この子にサリーを紹介したいわ。
私の親友なのよって。
別にすぐじゃなくていいの。
あなたが来たいときに来てくれればいいのよ。
いつまでだって待っているから。
あなたの親友 カレン 』
怒って我が家を訪れた日以来、私はサリーの顔を見ていない。
王子が私の婚約者であると書かれた手紙以来、サリーからの手紙は一通も来ない。いくら手紙を送っても一向に返事が来ることはないのだ。
それでも、私は今日も彼女に手紙を書き続ける。
いつかまた会える日を願って。




