満たされた想い
バーレーンへの出張? 彼女が春山の代わりに、俺と一緒に行くことになったのは偶然じゃないさ。あんなことがあった後だから、さっさと勝負つけようと思ったのは、否定しない。春山にもバレてるんだからかまうもんか。
だが、難航した商談は、意外にも彼女のコネでうまくいった。あの王族の男、名前を覚えている。確かロンドン時代に彼女に粉をかけていたヤツだ。さすがに相手がただの留学生じゃなかったので、俺のハーバード時代の友人経由で「手をだすな」と二重、三重にも釘をさした。友人はあの男の武道の師匠のような関係だった。おかげで、あの男の彼女に対する態度は「かわいさ余って憎さ百倍」に変わったと、彼女につけた護衛から報告書が上がってたっけ。
王族主催のパーティからの帰りの車で、そんなことを思い出していると、彼女は最初、俺の不機嫌モードを意識して気まずい顔をしていたけど、すぐに感情を切り替えたのか、平常心モードの表情に変わった。
この切り替えのうまさは、友菱の女主人にふさわしい資質だ。
口一文字の頃から比べると、一見同じ無表情に見えるけど、そうではない。今は穏やかで見るものに安らぎを与える静かな表情だ。何がそんなに彼女を変えたのだろう?
俺にしても留学時代の6年は、日本でがんじがらめにされていると感じていた薄い皮膜のような拘束を打ちやぶることができた、貴重な時間だった。家の束縛、立場の束縛、民族の価値観の束縛、国の束縛・・・・。多様性と人種のるつぼの中で、ただの一人の人間、「友菱 光世」として初めて存在できた。彼女にも何かそういうものがあったのだろうか?
ホテルに戻り、最上階のバーで商談成功の祝杯をあげる。ベル・エポックのグラン・ド・ブランがあったので開けてみた。グラスを手にほほ笑む彼女は、その振り袖の加賀友禅の牡丹より、よっぽど匂い立つ大輪の花のようだ。
黄地に染め上げた鮮やかな極彩色の模様。金糸の刺繍が煌びやかさを加えて、あざやかさを際立たせている。だが、それを身にまとった彼女自身の方がよっぽどエキゾチックで美しい。シャンパンではなく、彼女に酔いそうだ。
落ち着いた健やかな透明感。彼女は一体どこを見ているのか? どこを目指して頑張っているのか?
全ての男たちが彼女を見ている。いや、男たちだけでなく女たちも。この後、帯をぐるぐると俺の手で解いていくのを想像して、影でほくそえんだ。
だけど、色っぽく口説くつもりが、つい京城学園時代の話になり盛り上がってしまった。
あの頃の若さゆえの情熱的バカ騒ぎを思い出しては、二人でゲラゲラ笑った。おもしろかったイベントや、「神」と尊敬されていた、ものすごく頭がいい国語教師の話、春山がすごい生徒会長で、中一で初めて春山のスピーチを聞いた俺が京城生はすごいとビックリした話。ハーバードで教えていた春山に再会して、友菱にスカウトした話。あげくに、夢だの、将来への希望だの、うっかり青くさい話まで語り合ってしまった。気分は本当にティーネイジャー。俺は一体何歳だ?
すっかりほころんだ彼女の素の笑顔に、作戦変更。帯を解くのはまた次の機会にして、おとなしく紳士然として部屋に送る。そのほがらかな笑顔を今日は胸に焼き付けて。ちょっとヘタレな自分に苦笑しながら。
そういえば、京城の校則は「紳士、淑女たれ」だったな――――。
― 佐伯瑠璃のアメリカでの商談の成功を祝う会の夜 ―
まただ。盛大に酔っぱらっている。これじゃもう飲み会は禁止だな。酒は強いはずなのに、なんでだ?
そうか、前回も今回も、彼女自身のプロジェクトが成功した後の飲み会だからか。そりゃいつも能力の100%どころか、未知の能力の発揮まで試されている友菱頭脳だからな。そうとう無理したのだろう。そのプロジェクトの成功の安堵と喜びがこのベロベロ状態か。今後はほかのヤローにちょっかいかけられないように、注意しとかねばならない。
「ほら、送るぞ」
店を出て、手を引いて歩き出す。前の千鳥足ほどは酔ってないな。
「車呼ぶから、ちょっと待って・・・」
「友・・菱さ、ん」
「ん?」
「あの、いつも、ありがとうございます。どうしようもない苦境の時に限って影でこっそりフォローしてもらってるの、知っています」
気づいていたのか? まっ、それは本来、春山の役。それを勝手に奪っているだけなんだけど。
「せ、ん、ぱい・・・。ど、うして、ただの一社員に、そんなに親切なんですか?」
「・・・好きだから」
100%全身全霊を傾けて、目に力を入れて、ささやいた。
「へ?」
驚いて、佐伯瑠璃は顔を上げる。黒目がちの瞳が大きく色濃くなり、長い睫毛が震える。
「・・・瑠璃が好きだから」
「知ってただろう? ずっと見ていたのを。友菱に入ってからも。ロンドンでも」
彼女の頬がぽぉっと朱色に染まり、唇の力が抜け、甘い吐息があふれ出す。
「瑠璃は?」
その唇が震える。次の言葉を言いよどんでるけど、今日はもう、逃がさない。
「顔を上げて、こっちを見てごらん。俺の目を見て」
今度は素直にその瞳が俺をとらえる。
「・・・す、き。私も・・・先輩が、好き」
次の瞬間、両腕でがっちりと彼女を抱きしめた。
待って、待って、やっと手に入れた。待っている間にも彼女はどんどん成長して美しい才能あふれる大輪の花になった。4年に渡る俺の恋。いや本当は、京城でのあの日、俺のスピーチにくすりとも笑わない静かな瞳に気づいたときに、もう始まっていたのかもしれない。
生まれて初めて、心が満たされた想いでいっぱいになった夜だった。
Fin
読んでいただき、ありがとうございました。
この二人のそれからの話・それまでの話、今後も番外編(?)にて投稿していきたいなぁと思っています。
またお会いできますように♪