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一文字の変な女

 その時期は俺はひそかに荒れていた。


戦前は財閥と呼ばれた名家、戦後は財閥解体されたものの今なお巨大企業グループとして世界の経済に影響を与える一族。その直系として生まれたのは、何も俺のせいじゃない。それなのに家にも周りにも跡取りとしての自覚と態度と努力をいつも求められる。この家の血筋を受け継いでいるせいか、苦労しなくても学力や体力を始めいろんな能力が高いのは助かったが、それでも鬱積とする思いのぶつけどころが時々必要になる。


 そんなわけだから、家の者や幼馴染の間では俺は勝手気ままな悪ガキと認識されていたが、まさか中学に入ってまでは、それを出すわけにはいかない。俺の学校は京城学園といって日本でも有数の名門私立。自由・闊達な校風が優れているだけでなく、決して勉強だけを重視しないし、生徒たちは各々自分のやりたいことを追及している風なのに、進学実績も日本で5指に入る。


 だから、この学校で得た知り合いは将来に渡って、仕事の場でもプライベートでもいたるところで交わることが予想される。したがって、あくまで爽やかな「できる男」を印象づけなければならない。それが友菱の直系たる俺の務めだ。


 ま、とはいっても、京城での6年間は面白かった。自由で刺激的で、いろんなヤツがいて。学園祭なんかのイベントの時は死ぬほど盛り上がる。できる奴らは遊びにも手を抜かない。教師は押さえつけるのではなく、生徒たちの若い情熱をおもしろそうに見ている。指導なんてほとんど入らない。入るのは、狭い世界の中で暴れまわっている若さをつついて、視野を広げる手助けだけだ。


 5年(高2)の時は生徒会長をやった。生徒総会の会長スピーチは毎年見せ場だ。京城の生徒会長は毎年すごい人物が歴任している。俺も中一で初めて会長スピーチを目にした時は、こんなすごい人が同じ学校の同じ生徒にいるのかと驚き感動した。ちなみにその時の生徒会長は今同じオフィスに働いている春山という男だけど。


 スピーチは完璧のハズだった。京城生活で一番の見せ場なんだから、俺もひそかに努力した。原稿は完璧に仕上げたし、暗記も完璧。ところどころ入れるユーモアや賛同を得るための呼びかけもごく自然に配置した。オバマの大統領選挙戦のスピーチよりよくできてたのではないか?と自分では思うくらいだ。生徒たちの賞賛のまなざし、教師たちの誇らしげな顔、女生徒の頬を赤らめての熱い視線。どれもが心地よかった。だけど、俺は気づいた。前から8列目の36番の席からのいやに冷静は視線に。あの娘だ。第三校舎裏で会ったあの娘だ。


 その頃の俺の鬱々としたモヤモヤは限界だった。それまでの友菱の跡取りとしての態度や振る舞いの求めには、ときどき酷い悪戯を家の者にぶちかませてガス抜きしながら、なんとか応えていた。だけど、そんな極限まで我慢を重ねて取りつくっていた友菱が役に立たないどころか、かえって問題になるとたしなめられたのだ。



 それはSSHスーパーサイエンスハイスクールの海外での研究発表の場での出来事だった。京城学園は文部科学省認定の理系重点校で、海外での英語を使っての科学研究発表や交流会を毎年行っている。友菱の名をかたれば、簡単に一流の科学者に個人的に教授してもらえる俺としては、その選抜メンバーに選ばれた美味しさがあまりない。


 それならいっそ一般の生徒に機会チャンスを譲ると担任に申し出たのだが、学校の選抜だからと拒否権はないと断られた。そして渋々発表メンバーの一人として行ったタイ王国で、タイの高校生の一人の女に衝撃的に恋をしたのだ。花のようにキレイで物腰が艶やかで、それでいて機転がきく同じ年のその女。同じ研究班になって、バディを組み、学園都市内を案内までしてもらった。彼女の言葉は甘い砂糖菓子のようだった。同じ英語を話しているのに他の女とは全く違う。速攻で彼女を落とそうとした。だが、すぐにそれは周りから拒絶された。彼女は王の3番目の娘だった。つまり王女だ。友菱の名前をもってしても、成人した大人同士ならまだしも、将来がまだ見えないただの高校生にどうにかできる相手じゃない。いや、余計友菱の名前があるからこそ、まずい。ヘタをすれば外交問題に発展する可能性すらあると言われた。だからあきらめろ、第一彼女は政略的な婚約者がいる。こっそり護衛としてついてきていた友菱家の手の者に、散々たしなめられ、翌日から彼女にも陰についてたSPが表だってきっちりガードにつくようになった。もちろんその後は一言も言葉を交わすことさえ出来なかった。



 普通の高校生なら、彼女に恋したとしても、そこまで拒絶されないだろう。王女様、おもてになるから・・・、位の話で済むだろうけど、俺の場合はかえって中途半端で微妙な話なので徹底的に拒絶され疎んじられた。そのことは俺に少なからずの衝撃を与えた。


 誇りになるはずだから、努力してふさわしくあろうとしていた友菱の名がかえって足かせになった。


 そして、それ以来、時を選ばず、心に鬱積とした黒いものが押し寄せてくることがあった。学校では発散できるところがないので、仕方なく人が来ない第三校舎の裏で、気がすむまでボールを全力で壁に打ち付けてしのいだ。何度も何度も腕が、躰が疲れるまで。疲れて黒いモヤモヤを忘れるまで。


 ―― 誰かに見られてる。そう思って振り返ると、立ち去る女生徒の後姿があった。それまでの濃厚な気配が一瞬にして軽いものに変わったので、見られてたのは一瞬じゃない。誰だ、あれは? 長くつややかなストレートの黒髪。背は高くスラリとしている。中学部の制服だ。おかしなことに見られている時はその視線に気がつかない。彼女がいなくなる時に、空気が変わるので気が付くのだ。そんなことが3回あった。そして彼女のことを考えているうちに、黒いモヤモヤは治まった。

 顔も見てないのに、だけどハッキリわかった。


 彼女だ。俺のスピーチの間、表情を変えずにじっと見入ってる。そこは笑うところだろう、そこは感嘆の声をあげるところだろう、意識して狙ったスピーチの間の小技が彼女だけには通用しない。



 佐伯瑠璃さえきるり―― 彼女の名前だ。彼女は結構有名人だった。

「・・・これ誰?」

「3年の佐伯瑠璃だよ、知らないの? 会長? 疎いね~学園情報に」

 ニヤニヤしながら机の上に女生徒の写真を並べている変態・熊谷。彼は国立理系選抜クラス一の情報通。机には彼が選んだ学園ベスト10の女生徒の写真。一枚100円で売ってる。バカか。だが男どもにはこの写真販売は結構人気があって、飛ぶように売れている。佐伯の写真もだ。他の女はカメラ目線で意識してほほ笑んでいる。佐伯だけが許可をもらえなかったらしく盗み撮りだ。口は横に一文字に結ばれていて愛想のかけらもない。もともと6学年で1800人もいるマンモス校だが、女生徒はそのうち400人。頭はいいけど、外見まではまだ気が回らない地味な女が多い中、存在自体が艶やかに異彩を放つ女もいる。その数少ない容姿端麗の女生徒の中に佐伯も数えられているということだった。一文字の女 ――、変なの―― その時はそう思っただけだった。






「この中から10人選べ」

 ある日、祖父に呼ばれて、50枚の写真付の書類を渡された。

「なんですか? これ」

「お前の花嫁候補だ」

「はぁ? ご冗談を。結婚相手は自分で選びますよ」

 あきれて言い返した俺をニッコリ愉快そうに見る祖父。

「いや、好きな相手ができたら、もちろん自分で選んでいいさ。これは保険だ。この者たちは日本中から選んだ秀でたモノを持っている高校生だ。容姿だけでなく知力レベルが目立っているもの。そして家庭や性格的にも難がない50人だ」

「どうやってリストアップしたんですか? 芸能事務所のオーデションじゃあるまいし」

「簡単だよ、国内外の学生向けの学術コンテストをチェックさせたんだよ。論文コンテストや科学賞なんかの応募作から面白い視点で論じている優秀作をリストアップさせ、そこから本人を調査した。他には国内外の名門校の優秀な生徒もチェックさせたぞ。友菱の女主人になるんだから美貌だけじゃなくて、まずは知力が際立ってないとな」


「はぁ~、またお祖父さんは変わったことを。で、10人選んでどうするんですか?」

「留学の給費生の話をする。大学は欧米の好きな大学で学んでもらい、それなりのバックボーンや人脈をつけてもらう。そしてその中で一番いいのをお前が選べばいい」


 バカバカしいの一言だ。あきれて言葉もない俺に祖父さんはニヤリと笑った。

「まあ、年寄の道楽だ」


 祖父というより友菱の会長の考えに異を唱えるだけ時間の無駄だ。俺はおとなしく、10枚を選んだ。顔の好みだけじゃ、選べる写真が少なすぎる。胸の大きさや髪形だけでも数枚選んで、最後の枠には変わった一枚を滑り込ませた。あの一文字の女だ。確かに京城学園の有名人だから、一文字が50枚に混じってても不思議がない。そして、選んだっきりその後の6年間、そんなことは忘れていた。


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