もう一つの兄妹
「お疲れ様です」
桐島はそう言って喫茶店の裏口のドアを閉めた
渡部と別れてから気分が沈んでいた桐島だが、バイトだけは休まずに勤めていた
桐島のバイト先は喫茶店である 大通りから一本外れた落ち着いた場所にその喫茶店はあった
日が長くなったとはいえ、桐島がバイトを終える時間にはもう外は真っ暗である
桐島の表情は暗いまま固まっているかのようだった 自分の足を見ながら、明るい大通りの方へと光を求めるように一歩ずつ進んでいった 昼よりはマシなものの、夜も気持ちの悪い蒸し暑さがある 夏の始まり、本格的な温度の上昇はないが、要所で要所で季節の変化を感じていた
「、、、、、」
ふと足を止め振り返り、喫茶店の裏口を見つめた
少し名残惜しそうに見た後、小さく溜息をつき、大通りに出る角を曲がった
「、、、っ?」
桐島は角を曲がった直後、足を止めた
「、、、アルバイト、お疲れ様です」
角の先に立っている人物が、桐島にそう声をかけた
「っ、、、あっ、、、?」
そこにいたのは凛だった 凛は桐島の驚いた顔を見て楽しそうに少し笑った
「な、、、何してんだよ?こんなとこで、、、」
「別に何もしてないですよ?帰り道、こっちですよね?」
凛は桐島に背中を向け、進行方向を指差した
「、、、そうだけど、、、」
桐島は、今はあまり凛と一緒にいたくはなかった 渡部と別れたため、凛との接点がなくなりどう接していいのかよく分からず、ひたすらに気まずかった
しかし進行方向も同じなため、無理に離れることもできず、仕方なく歩き出した
「もうすぐ夏休みですね〜」
凛は片道5車線の道路をボーッと眺めながら呟いた 薄暗くなった視界を車のヘッドライトが眩しいほどに照らしていた
「、、、そうだな」
夏休み、という言葉に桐島は少し反応したが、すぐに何事もないかのように軽く相槌を打った
「何か予定でも立ててます?夏休みの」
「、、、いや特に何も、、、凛ちゃんは?」
桐島は一瞬だけ表情を歪めたが、小さく首を振り凛に聞き返した
「、、、、、」
凛は前を向いたまま何も答えなかった そしてどこか不機嫌な様子になった事を桐島は感じ取った
(、、、なんだ、、、?自分から聞いといて、、、)
凛の機嫌が悪くなった事に桐島は少しイラついた
「姉さん、どこか行きたがってるんじゃないですかね〜?」
「っ!、、、」
「海とかいいんじゃないですか?海水浴、きっと姉さん喜びますよ」
凛は桐島の数歩前を歩きながら話していた 桐島からは凛の後ろ姿しか見えず、凛がどんな表情で話しているのか見えなかった
「てゆうか、、、みんなで行きません?私も連れてってくださいよ 麻癒さんや外山さんも呼んで、、、楽しそうじゃないですか」
言葉とは裏腹に凛の声色は楽しそうではなかった ひどく落ち着き、淡々とした口調で話すその言葉からは、まるで現実味を感じなかった
「、、、あのさ、凛ちゃん、、、俺、、、」
「知ってますよ」
「、、、え?」
勢いよく言葉を切る凛に、桐島は戸惑った
「、、、姉さんとは別れたんですよね?」
「、、、!、、、ああ、、、」
桐島がそう答えたと同時に凛は振り返った
「なんでですか?」
凛は桐島の目を見て問いかけた 凛の目はあまりに凛々しく、そして桐島を睨んでいるようにも見えた
「、、、な、、、なんでって、、、い、色々あったんだよ、、、色々、、、」
凛の鋭い視線と言葉に、桐島は妙に動揺した 直接目を合わせる事も出来ず、しどろもどろな答えを返した
「、、、親、ですか?」
「っ、、、えっ、、、」
桐島は凛のその言葉に息が詰まった 凛が知るはずのない由美や誠の情報を、何故知っているのか、色んな可能性が桐島の頭の中に駆け回った
「もしかして、姉さんの母親が関係あるんじゃないですか?」
凛はさらにはっきりとした言葉で桐島に問い詰めた 一歩踏み出し、桐島との距離を詰める
「なっ、、、なんで、、、?」
「どうなんですか?」
桐島の聞き返す言葉を遮り、凛はさらに迫った 桐島は目線を落とし、諦めたように小さく息をついた
「、、、関係、、、なくはねえけど、、、」
桐島は後頭部に手をやりながら言いにくそうに口を開いた
「、、、やっぱりそうですか」
凛は再び前を向いて歩き出し、桐島に背中を向けてため息をついた
「、、、なんでそんな事、凛ちゃんが知ってんだよ?もしかして、、、歩からなんか聞いたのか?」
「、、、、、」
桐島の問いかけに凛は何も答えない 先ほどから何度か無視をされている
「、、、?なあ、凛ちゃん?」
「、、、、、」
「おい、さっきからなんで、、、」
「姉さんからは何も聞いてないです」
何度か訊ねてやっと答えた凛の声はまた機嫌が悪そうだった
「ん、、、そ、そうか、、、?」
「母と、知らない女性が家で話してるのを聞きました 盗み聞きですけどね」
凛は落ち着きながらも早口で言った やはりそれも良い気分ではなさそうで、言い方も吐き捨てるようだった
「、、、そうなのか、、、」
(由美さんと、知らない女性、、、響子さんか、、、?)
由美と響子の顔を同時に思い浮かべ、桐島は曇った表情をした しかしそれも一瞬で、もう自分は関係ないと言わんばかりに小さく溜息をつき、なんでもない顔をしていた
「それで?なんで姉さんと別れたんですか?母とどんな関係があるんですか?」
凛は相変わらず前を見たまま桐島に質問をぶつけた 桐島にとっては踏み込まれた質問だが、凛は軽い口調で訊ねていた
「、、、まあいいだろ?別に、、、そんなの聞くもんじゃねえぞ」
桐島は凛の後頭部に向かって口を開き、テキトーにごまかしていた
「、、、じゃあ、、、」
凛は急に立ち止まった それを見た桐島が首を傾げたと同時ぐらいに凛は振り返り、桐島の胸に飛び込んだ
「っ、、、!え、、、」
突然抱きついてきた凛に桐島は慌てた あまりの予想外の行動に桐島は何も身動きが取れなかった 車のヘッドライトが抱き合う男女としての2人の姿を影に映していた
「私と、、、付き合ってくださいよ」
凛は桐島の胸に顔を埋めたまま、ボソッと呟くように言った
「はっ、、、え、何言って、、、」
「姉さんと別れたんでしょ?じゃあ私と付き合ってください」
「いや、、、そういう問題じゃ、、、」
凛は両腕を精一杯伸ばして桐島の背中に手を回していた 離されないようにギュッと強く桐島の体を抱きしめる
「私は、、、親なんか嫌いです 2人とも嫌いです だから、姉さんと違って私は関係ないです」
「、、、、、」
凛のその言葉に、桐島はピクッと反応した
「関係、、、あると思ってる 俺は」
「絶対ないです!あんな両親、、、いつでも縁を切ってもいいと思ってます」
凛は桐島の胸に直接言葉をぶつけるように強くはっきりとした口調で言った
(そういう意味じゃない、、、凛ちゃんの、本当の母親も、きっと関係があるから、、、)
桐島はその言葉をぐっと飲み込んだ そんな事を今、凛に向かって言う必要は全くないと思ったからである
(きっと1年半前も、、、歩と凛ちゃんには上手く隠しながら話したんだろうな、、、それでいいって、俺も思う)
桐島は、桐島にしか分かり得ない事に気付いていた そしてそれは、誠が由美を抱きしめていた理由そのものでもある
しかし、桐島は当然、その何一つとして口にする必要はないと考えていた そうでなければ、渡部と別れた意味が無くなってしまうからである
「、、、からかうなよ、あのさ凛ちゃん、、、」
「それやめてくださいって言ってるじゃないですか、、、!」
凛は桐島の言葉に反応し、強く怒鳴った
「え、、、?」
「そうやってちゃん付けするの、、、やめてくださいって前言いましたよね、、、」
「、、、、、」
以前、バイト先の喫茶店で確かに凛とそのような会話をした事を桐島は思い出していた 子供扱いされているようで、凛はこの呼び名が気に入らないと主張していた
「なんで、、、姉さんと別れちゃうんですか、、、」
凛は震えた声で桐島に訊ねた 桐島を抱きしめる力もだんだんと弱くなってきている
「言ってたじゃないですか、、、私の事、妹だって、、、兄貴に頼っていいって、、、言ってくれたじゃないですか、、、!」
凛は涙を流しながら桐島の服を掴んでいた 強く服を握る凛に、桐島は何も言わずに耳を傾けていた
「もう嫌なんです、怖いんです!、、、家族が、、、いなくなるのは、、、」
凛は小学4年生の頃、両親と姉である渡部と突然別れる事になったのだ 理由も分からず、ただ親と姉妹がいなくなり、一人になった期間が6年間もあったのだ
「誠哉さんまで、、、私を置いていくの、、、?もう嫌だよ、、、1人になるのは、、、」
凛は手をスッと降ろし、額だけ桐島の胸にもたれるようにつけていた 息を引きつらせながらたまに涙を拭う姿は、普段の強気で生意気な年下の凛からは想像もつかず、かけ離れているものだった
(普段の姿からはかけ離れてるけど、、、普段から、中にこういう意識を持っていた子なんだよな、、、)
桐島は泣きじゃなくる凛の両肩を持った 初めて凛の両肩を手で感じ、桐島はあることに気がついた
(小さいな、、、歩と同じだ、、、こんな小さい肩に、どんだけのもん背負ってんだよ、この子は、、、!)
凛の境遇に、桐島はずっと自分と近しいモノを感じていた 両親のいない淋しさや辛さを知っている共感者だと思っていた しかし、それは全く違うという事に今の凛の言葉を聞いて改めてよく分かった
(俺は孤児院って場所で育って、最初から両親がいなかった、、、そういう境遇で育ったから周りの人達にもそういう認識をされて、そういうヤツらばっかりの中で育った、、、)
桐島は頭の中に鈴科と水野、そして今まで孤児院で過ごしてきた仲間たちを思い出していた
(でも、この子は違う)
桐島は泣きじゃくる凛の顔を見ながら、両肩をしっかりと支えた
(ずっと一緒にいた両親と姉が突然いなくなって、、、その母親は実は血が繋がってなくて、、、でも周りからは普通の家族だって思われてる、、、両親も姉もいて裕福な、幸せな家庭で育った子供だって思われてる、、、)
事実はそうでなくても周りがそう思っているならばそのように演じなければならない、という凛の真面目さが、現実と認識のギャップを生んでいた そしてそれが何より、凛の心をここまで追い詰めていた
(全然違えよ、俺とは、、、最初から親がいねえ俺と、目の前の家族が失くなっていったこの子じゃ、、、受けるショックが違う、、、!)
桐島はそっと優しく、凛の体を抱きしめた
「、、、、、!」
凛は突然の桐島の行動にドキッと胸が鳴ったのが分かった 桐島とここまで密着して初めて、桐島の体の大きさに安心している自分がいることに気がついた
「、、、何言ってんだよ、、、お前は、、、」
桐島は落ち着いた声で吐息に交えるように呟いた 距離が近い二人にはその程度の音量で充分に会話が出来た
「俺が歩と別れたって、、、俺とお前の関係は変わんねえから、、、」
「え、、、、、」
凛は真っ赤に腫れてしまった目を恥ずかしそうに下を向いて隠した
「血縁は関係ないって、、、前も言ったろ?大事なのは縁だって、、、少なくとも、俺はそう思ってる」
「で、、、でも、姉さんがいたから私と知り合って、姉さんの妹だから私を、、、」
「あーもうごちゃごちゃ言うなって!」
桐島は凛の体をぐっと引き寄せて言葉を遮った
「妹は兄に甘えていいんだよ 余計な事考えんなって 大体こんなめんどくせえ妹ほっとけるかよ」
桐島はぶっきらぼうにそう言いながら凛の頭を優しく撫でた
「いつも無理しすぎだ たまにはこうやって弱音吐いていいんだぞ?凛」
「っ、、、、、う、、、、、」
凛はこらえきれずに再び泣き出してしまった 今までずっと【良い子】だった凛がこんなに安堵感を覚えたのはもしかしたら初めてだったのかもしれない 思春期にすべきだった親に甘えるという事、反抗するという事、何も出来ずに過ごした凛にとって、桐島はその全てを受けて入れてくれる存在だった
ただ抱きしめてくれるだけで、頭を撫でてくれるだけで、凛は泣きじゃくってしまうぐらいに嬉しかったのだ
「とりあえずさ、もう夜遅いし帰るぞ」
「、、、私、自転車で来たので送ってくださいっ」
「えぇっ?ニケツかよ、、、」
「その方が速いですから♩」
「〜〜!まあいいけどよぉ、、、」
「おおっ?さすがはお兄ちゃんですね!」
「、、、妹の権利を最大限に使う気だなお前、、、」