その時
桐島と渡部は名古屋へ帰っていた
名古屋駅に着き、渡部の家に向かって2人で足並みをそろえて歩いていた
ジンクスを確かめ、失敗した2人は実はやり直していた
渡部の懇願で、もう一度最初のゲートから歩き直し、そして最後のチャペルまで到着していた
そんな事をしても意味の無い事だと分かってはいたが、どうしても渡部の気が済まなかったのだ
そしてその後、葉花の里の中にあるレストランで夕食をとり、桐島が事前に予約しておいたバースデーケーキを2人で堪能した
「今日はありがとー!すっごい楽しかった!」
渡部は満面の笑みで改めて桐島にお礼を言った
「そうか?なら良かった」
渡部のあまりの元気な笑顔に、桐島もつられて表情が綻んだ
「今までの誕生日の中で、いっっっちばん!楽しかったよ!」
「ははっ、分かったって」
桐島はくしゃくしゃっと荒っぽく渡部の頭を撫でた
(こうしてると、、、すごく思う)
渡部は隣にいる桐島の横顔を眺めながら考えていた
(誠哉君の事が好きで、、、大好きで、だから、ずっと一緒にいたい、って、、、)
そんな渡部の脳裏に浮かぶのは、母親である由美の言葉だった
『誠哉君とは別れなさい』
「、、、、、」
渡部は小さく頭を振りながらこの言葉をかき消そうとする
「、、、?どした歩?」
深刻な表情をする渡部を、桐島は心配そうに見る
「、、、ううん!なんでもないよ ただちょっと、、、」
「ん?」
「ちょっと、、、帰りたくないなって、、、」
渡部は言いにくそうにゆっくりと口にした
「え、、、?」
桐島は少し焦ったような表情で渡部の方を振り向いた
「、、、な、なんかちょっと寂しいなーって、、、ね!もっと、誠哉君と、、、」
渡部は口に出しながら言葉を探っていた しかし、上手く桐島に伝えることが出来ない
(もっと、、、話したい事がいっぱい、、、いっぱい聞きたい事があるのに、、、)
「、、、歩?」
言い淀み、迷った表情をする渡部を桐島は気遣いながら呼びかけた
「あっ、、、あとさ!えっと、、、恭丞さん?に会ったよ!」
渡部は無意識の内に恭丞の名を出し、話をしようとしていた
「、、、っ!?」
桐島の動揺したこの反応に、渡部はしっかりと気づいていた しかし、話し出そうとする自分を止める事が出来なかった。
「あの人、私のお母さんの知り合いだったらしくて、、、あの、、、」
この話を桐島にしてはいけない事を渡部は分かっていた 何故ならあの日、桐島と恭丞と響子が会っていたあの日の帰り、桐島は渡部に何も話さなかったのだ
(分かってるよ、、、話しちゃダメなんだって、、、)
渡部は手汗を服の袖で拭きながら目線を泳がせる
「後藤さんか、、、?後藤恭丞さん?」
「う、うん!そう、恭丞さん、、、」
桐島の確認に渡部は焦った様子で頷いた
(でも、、、そんなの嫌なんだもん、、、)
「、、、そっか、恭丞さんが、、、」
桐島は小刻みに頷きながら考え込んだ表情をする
「、、、、、」
渡部は怖くなるほど速くなる鼓動を感じ、少し気持ち悪くなっていた
(誠哉君と、、、隠し事しあって付き合っていくなんて、、、絶対嫌なんだもん、、、!)
桐島はゆっくりと顔を上げ、渡部の方を見ながら口を開いた
「っ!?」
どんな言葉が出るのか、渡部は身構えた これはおそらく桐島にとっては踏み入られたくない部分であろう事は、渡部ももちろん重々承知していた
「どんな話したんだ?恭丞さんと?」
「、、、え?」
桐島のあまりに軽い口調に渡部は拍子抜けした
(あれ、、、?)
「あの、、、最初はね、、、?お母さんがなんか話してて、、、」
(なんだろ、、、この、変な感じ、、、)
渡部は違和感を覚えながらも間を作らまいと言葉を選びながら話し続けた
「それで聞いてみたら、、、誠哉君の、お父さんとも友達だって、、、!」
「、、、、、」
桐島は歩きながら合間に相槌を打ち、渡部の声に耳を傾ける
「、、、知ってた?恭丞さんと私のお母さんと誠哉君のお父さん、幼馴染で、、、友達だったんだよ?」
「、、、ああ、後藤さんから聞いた」
桐島は前を向いたまま、淡々と質問に答えた
「っ、、、だよね、、、」
(じゃあなんで、、、その事、私に話してくれなかったの、、、?)
「あっ、、、あの、写真!もう見たかな?恭丞さんに見せてもらったんだけど、、、」
「、、、結婚式の写真か?俺の両親の」
「そっ、そう、、、」
桐島は冷静に渡部に確認する 渡部はその桐島の冷静さが、心のどこかに距離を感じてしまいすごく嫌だった
(こんなに近いのに、、、遠くで話してるみたいな、、、)
「それさ!私達も写ってるんだよ、、、?お母さんに抱きかかえられて、誠哉君が真ん中で!」
「、、、ああ、それも見た 知ってるよ」
「っ、、、誠哉君は、、、っ!どう、、、思ったの、、、?」
渡部は立ち止まり、桐島の意識をこちらに向けようと強く声を出した
(教えてよ、、、お願いだから、、、)
「私は!私は、、、嬉しかったの、、、!」
「、、、え?」
立ち止まって話し出す渡部に合わせ、桐島も足を止めて応えた
「こんなに小さい頃から誠哉君と出会ってて、、、それを知らないままこうやって付き合ってるなんて、運命だと思ったし、、、すごい縁だって、思った」
(誠哉君の事、、、教えてよ、、、何を考えてて、どんな気持ちで、今、どういう思いでいるのか、、、全部、、、)
(、、、そっか、歩はまだ、、、何も、、、)
「だから私は、、、!あの、、、もっと、誠哉君と、こう、、、えっと、、、!」
「歩」
「うっ、、、」
言い淀む渡部の崩れた口調を締め直す様に、桐島は優しい声色で呼んだ
「あのっ、、、まだなんて言ったらいいか分かんなくて、、、!そんな簡単な気持ちじゃないっていうか、、、難しくて!」
「分かってるよ 歩の言いたい事は、、、俺は分かってる」
上手く言えずに恥ずかしそうにしている渡部の照れた表情が、どうしようもなく愛おしく感じた そしてそう強く感じたからこそ、桐島は辛かった
「っ、あ、、、!」
渡部は声にならない声を上げた 桐島に突然、抱きしめられたからである
「、、、歩、、、」
桐島がそう渡部の名を呼んだ瞬間、ポツポツと雨が降り始めた 外れたと思われていた今朝の天気予報が当たったのである
(すっげえ細くて、、、小さくて、、、まだ俺と同い年なのに、、、色んなもん抱えてんだよな、、、)
桐島は渡部を抱きしめ、その両腕と体で感じたモノの重さに改めて気づいた
「あ、誠哉君、、、あの、雨、、、」
「ごめん」
渡部の言葉を聞かずに、抱きしめたまま桐島は一方的に謝った
「え、、、?」
「これは、、、俺のわがままだ、、、」
「、、、?」
渡部は桐島の言葉の意味が分からなかった
そしてゆっくりと桐島は腕を緩め、渡部を抱きしめるのを止めた
「、、、、、」
沈黙が、2人の間に流れる その速さはとてもスローである事は2人の認識から外れなかったが、感じ方はまるで正反対だった
「あっ、、、じゃあ、私の家、目の前だしちょっとだけ寄っていく?凛もきっと会いたいだろうし、、、」
渡部は抱きしめられた事への照れがまだ収まっていなかった
「いや、、、いい」
「じゃ、じゃあ傘、傘だけ貸すね?返してくれるのはいつでも、、、」
「歩」
桐島は渡部の言葉を遮り、場の空気を張り詰めさせた 渡部が間違いなく、自分の言葉に耳を傾けてくれるように
「、、、なに?」
また更に雨足が強くなる 閑静な住宅街の中にたまにあるトタンの屋根に降り注ぐ雨音が特に2人の耳に刺さってきた 渡部が訊ねたその声の殆どは、その雨音によってかき消されていた
「、、、、、」
桐島は何も言わずにゆっくりと、頭を下げた
そして、この2人の間の空気がチラつかせていたある事象が起きる、今、まさに[その時]だった
(俺は、、、歩を不幸にする覚悟も、、、幸せにする決意も出来ない、、、)
「もう、、、別れよう、、、」
桐島はその言葉を口にした 今日、ずっと先延ばしにしていた[その時]の答えは、別れという選択肢へ転がっていったのだ
「、、、え、、、?」
「俺と、、、別れてくれ、、、」
桐島は頭を下げたままもう一度言った 雨に濡れる事も気にせず、渡部の顔を見れない桐島は水たまりの出来てきたコンクリートをひたすらに見続けていた
「へ、、、?なに、言ってるの、、、?」
桐島の言葉が信じられなさすぎて、もはや渡部にはその言葉の意味が分からなかった
「別れるって、、、私と誠哉君が?なんで?」
「、、、ごめん」
桐島はそれ以上何も言うまいと、顔を上げすぐに後ろを振り返った
「ちょ、ちょっと待ってよ、、、!なにそれ!?なんで!?」
渡部にとっては全く意味が分からなかった ずぶ濡れになった髪から流れてくる雨水を手で拭いながら、桐島の背中に言葉をぶつけた
「誠哉君!逃げないでよ!意味分かんないよ!」
突然の事すぎて怒りも悲しみも何も無い、ただ驚きと疑問だけが渡部の中にあった そんな渡部の脳裏に、数日前の母の言葉が浮かんできた
「っ!?、、、誠哉君!」
雨の中、消えていこうとする桐島の背中に渡部は強く声を出し続けた
「私のお母さんに、、、何か言われたの、、、?」
「っ、、、!?」
桐島は背を向けたままだが立ち止まった
「私も言われたよ!誠哉君とは別れなさいって、、、でもそんな言葉無視したの!だから今日もこれたの!」
「、、、、、」
何も言わないが、桐島は渡部の言葉に耳を傾けている事だけは分かった
「さっきね!家に帰りたくないって言ったのもそういう事もあって、、、お母さんは絶対いい顔してないから、、、でもね!」
渡部は切れそうになった息を急いで整えた
「向き合わないとダメだって思ってるから!今日も帰るの!あの時みたいに、誠哉君に甘えないでいいようにする為に!」
あの時、とは今から1年半前の事である まだ渡部が埼玉に住んでいた頃、法事で名古屋へとやってきた時の事である
「それを教えてくれたのは誠哉君だから、、、向き合ってよ!私と!本音で、、、誠哉君の言葉で!」
渡部は思いの丈を全てぶつけ、肩で息をしていた ザーザーと強く降る雨音に負けないように、渡部は思いっきり思いを叫んだ
「、、、歩!」
桐島は言葉を返したが、やはり振り向こうとはしなかった
「っ!」
「歩のお母さんには、、、別に何にも言われてねえよ、、、」
渡部は桐島の言葉を聞こうと濡れた耳元の髪をかきあげる 桐島は顔半分だけ振り返った
「、、、じゃあな、、、?」
桐島はその言葉だけを残し、再び歩き出した
「誠哉君、、、っ!、、、なんで、、、!?」
渡部は桐島を呼び止めようとするが、もう殆ど声が出ていなかった
「うぐっ、、、ふぐぅっ、、、!」
渡部はその場に泣き崩れた 豪雨と言えるほど強くなった雨の中、膝と腰をつき、渡部はひたすらに泣いた
「嫌だ、、、!嫌だよ誠哉君、、、!誠哉君ともっと、、、私は、誠哉君じゃないと、、、!」
涙も全て雨と混ざり、同じ水となって地面の水たまりを作っていく 桐島と過ごした時間や場所が映像となって、一つ一つの言葉が頭の中に浮かんでは消えていた
『俺はいなくなんねえから、、、こうしてんのも、夢でもなんでもねえからよ?安心しろ』
『なんつーかさ、、、俺らは、絶対大丈夫だよな、、、』
『両親には気を遣っても、、、俺には気ぃ遣うな つまんねえ遠慮すんな 関係ないなんて二度と言うな 埼玉だろうが名古屋だろうが、、、助けてやるから、、、』
『ずっとここにいろよ、、、もう離れんな どこにも行くな いつも、俺の目が届くとこに、、、ちゃんといろ、、、!』
数々の言葉を思い出し、隣にいた桐島を思い出し、渡部は更に辛く、悲しく、寂しくなった
「なんで、、、誠哉君、、、」
降りしきる雨の中、座り込んだまま壁にもたれ、出ない声を絞りながら止まらない涙を拭い続けていた
「ふぐっ、、、ぐっ、、、!」
渡部に背を向けた桐島も歩きながら堪えきれずに泣いていた
2人で過ごした思い出が走馬灯のように駆け巡るのは、もちろん桐島も同じだった
「ぅぐっ、、、くそっ、、、くそ!」
言葉にならない苛立ちが桐島の喉から吐き出される
「、、、、、」
桐島はそっと、ポケットに手を伸ばした
そこには綺麗にラッピングされた四角い箱があった
渡部への誕生日プレゼントである カバンに入れておいたこのプレゼントを桐島はポケットに移動させておいたのだ
「っ、、、く、、、!」
それを見ると桐島はまた込み上げてくる感情に苦しむ 心臓の位置が正確に分かるほどにそこが酷く痛い
「うっ、ぁあ、、、くそっ、、、!ごめん、、、歩、、、!」
いくら泣いても苦しんでも足りない程に桐島の気持ちは複雑だった
泣いても泣いても、その涙は枯れない
今だけはいくら、涙を流してもいい
まるで2人にそう告げているかのように、空から降る涙は一晩中、止むことは無かった