『Cats play』
図書館のカウンターの前、俺はあることに気づきしまったと心の中で小さく呟く。
せっかく借りたい本を見つけたというのに、肝心のカードが財布の中から忽然と姿を消していた。
あれだ、この前借りた時に財布から抜いてそれっきりだったから……
「や、やっぱし止めます」
仕方なく本を棚に戻しながらこっそりため息をつく。
この本は、俺のお気に入りの作者さんの本。
文章の参考にと久々に読みたかったのに。
それと、こっちは廃墟の写真集。
珍しいから借りて情景を描く参考にしようと思ってたのに。
それとこれも、あとこれと、あれと……
半ば諦めきれない思いだが借りれないものは仕方ないわけで、借りようと手にしていた全ての本を元の棚に戻す。
がっくりと肩を落としながら正面玄関を外に出て曲がって、また曲がる。
ここはいつも来る図書館と違って隣に大きな公園があって、天気が良い時は外で読書したりもする俺のお気に入りの場所。
予定では図書館で本を適当に吟味した後、池の傍の東屋でのんびりと読書をするつもりだったのに。
たった一枚のカードを忘れて全部がパーだ。
しかし久々の遠出ということもあり、せっかくなら少し歩こうと、どんよりとした歩みではあったが公園内を散策することにした。
木々の合間を縫う散策路を往き、お気に入りの東屋を視界に映す。
げ、先客がいる。
東屋で仲睦ましく談笑を交わす男女の姿に、諦めてそのまま東屋を通り過ぎ池正面のベンチに座る。
春であれば春風が寒くて座れない、しかし真夏じゃ炎天下を直撃。
そして秋以降であれば座っているだけで幸せの訪れるベンチ。
なぜなら――
「にゃーん」
草の陰から一匹の野良猫が飛び出し、のんびり読書する俺の膝下にちょんと乗っかってくる。
ここの公園の野良猫はすごく人に慣れていて、理由は主に夕方にここに来る近くのおばさんのせい。
猫可愛さに、缶詰やキャットフードを惜しげもなくばら撒くもんだから、ここに来る人間はみんなご飯を持ってきてくれるとでも思いこんでいるんだろう。
その実、俺もそんな人間の一人なわけで。
「なけなしのクリームパンだ、食らえ」
あえてクリームのない部分だけを適当に千切っては投げ、千切っては投げを繰り返す。
手元で直接あげてもいいのだが、野良猫は加減と遠慮を知らないので本気で噛みついてくることがあるので危険だ。
この前も、幼稚園児くらいの女の子がここで号泣してるのを見たことがある。
その女の子の手には引っかき傷が出来ていた。
人がご飯を与えているとはいえ彼らは野生の生き物。
それぐらいの強かさはあって当然だろう。
というか、ないと喧嘩に負けて生き残れないだろうし。
「……ぁおん」
「ん……?」
ちょうど読みかけの本に栞を挟んで伸びをしている時、不意に何処からか切ない鳴き声が聞こえてきた。
辺りを見回してみたが、何もない。
しかしその声は助けを求めるかのように尚も鳴き続けている。
「ぁおん……ぅにゃぁうん……」
「何処だろ……?」
首を動かし、ふと近くの木の根元に見覚えのある黒い体を見つける。
アイツは、と腰を上げてそっと歩み寄ってみると薄緑色の瞳と目があった。
「ふにゃ」
「む。やっぱりお前か」
俺の姿を見るなり立ち上がる一匹の黒猫。
この公園に初めて来た時からずっと俺に懐くヤツだ。
名前は確か、誰かがクロだとか安易な名前をつけていたような気がする。
少なくとも俺だったらそんな名前は付けない。
黒猫ならジジと相場が決まっておろうに。
「何してんだおまうおわ!? いきなりしっこかけんなっての!」
おかげでジーパンの右半身ビショビショだ。
というか開幕マーキングとはいい度胸してるじゃないか小娘。
ちなみにコイツはメスである。
「って、鳴いてたのはお前か? どうせまた腹が減ったとかなんだろ。クリームパンとかクリームパンとかしかないけど食うか?」
ホントはバッグの中に虎の子のホットドッグがあるがコイツはダメ。
それに、猫が獅子になる瞬間というのは意外と恐ろしいもので。
「……いや、お前じゃないな」
ゴリゴリと体を押し付けてくる黒猫はごろごろ喉を鳴らしているだけで切ない声など微塵も出していない。
しかもあの声は、と考えかけたところで俺の頭上からあの声がまたしても響いた。
「あおぅん……うにゃあおぅん……」
「……そういうことかい」
目の前には一本の木、そして切なげな声は自分の真上から聞こえてくる。
このことから考えられる事象はただ一つ。
首だけ上を向け確認。
案の定、一匹の猫が木の最上部一歩手前辺りの枝にしがみ付いていた。
猫は元来高いところは平気な生き物なはずなのだが、何故か時々こういった感じで自分が登った木から降りれなくなるということがある。
登るのが平気だが、降りるのはダメ。
人間にも、時々こんな人がいるのではないのだろうか。
「しかし高いなぁ……」
何の木なのかは知らないが、猫のいる場所まではかなりの高さがあった。
手を伸ばしても半分も届かないし、登ろうにも木の表面が妙に滑って思うように足が引っかからない。
飛んだり跳ねたり、何度か木の枝に飛びかかろうとしたりしたがダメだった。
表皮がやけに脆い、それに枝も細く人間が体重をかけたらあっさり折れてしまいそうでこれでは登るに登れない。
「……しょうがない。フェンリルを踏み台にして使ってみようか」
あれこれ悩んだ末の結論。
流石にこのまま放っておいて帰るのもアレだし、出来ればちゃんと解決してから帰りたい。
図書館の駐輪場に走りフェンリル(注・自転車。主に人力と根性で動くものを指す)の鍵を外してそのまま乗らずに走る。
元の場所に戻ると、そこには見知らぬ女の人が俺と同じく木の上の猫に手を伸ばしていた。
「ほら、大丈夫だから降りておいで……あ」
「自転車、踏み台にするから下がってて」
「あ……じゃあ、私が支えるよ」
「ん、お願いします」
とりあえず女の人だということだけ適当に確認すると自転車を木に横付けしてサドルに足を乗せる。
だがしかし、腕の長さよりも背が足りない。
どうにか猫の体に触れることは出来るのだが、爪でしっかりと抱きついているので一向に離れる気配が無い。
しがみ付く猫と格闘しているうち、根元の柔らかい地面のせいで自転車の方が沈みかけてきた。
仕方が無いので飛び降りると、今度はその女の人が自転車に足をかけた。
「支えてもらっていい?」
「わかった」
よくよく見れば女の人はかなり背が高い人で、意外とあっけなく猫に手が届いていた。
……微妙に悔しい。
低身長を恨むなんてのは初めてな気がする。
「あぁ、暴れちゃ、ダメだってば……あ!」
「ふしゃー!」
助けてもらったくせに、何故かご立腹の猫が女の人の腕の中で暴れまわり、遂にはその腕を振り解くようにして飛び出した。
そのままシャープな軌道を描き猫は着地し、ホッと安堵した瞬間休む間もなく、今の今まで根元で休んでいた黒猫に追いかけられ猛ダッシュで走り去っていってしまった。
呆気にとられて思わずポカンとしてしまう俺と女の人。
「喧嘩してた……のかな」
「かも……しんない」
そしてやれやれといった直後、再びあの切ない声が聞こえ始めてきた。
今度はさっきよりも高い木の枝にしがみ付いてこちらを見降ろしている。
二人して苦笑しながら見守っていると、今度は自力で何とか降りてきた。
が、またしても黒猫が襲いかかり結局二匹とも公園の何処かへと姿を消してしまった。
「まぁ……いっか。猫助けるの、手伝ってくれてありがとね。私も猫飼ってるから心配でさ」
「俺も猫は好きだし別にいいよ。そっちこそ、手伝ってくれてありがと」
女の人に餞別がてら残ってたパンを御礼として手渡し、それから時間も時間だったので帰り支度をして……
「ぁおん……ぅにゃぁうん……」
「……もう助けられんぞ」
声はやっぱり、木の上の方から聞こえてきた。
~おしまい~
読んでくださった方々、こんにちはこんばんわ。
元々はミクシィの日記で書いたお話なのですが、ちょっとした気分転換にこちらでも公開してみました。
しかし猫って可愛いですよね。
野良猫は飼い猫とまた違う魅力があっていいです♪