第2話 イースリッドの捕食者
“苦悶の劫火に身をゆだねなさい。絶望こそはわたしの源であり、さらなる絶望の炎を燃え上がらせるのよ。――紅蓮を操る者、ルージュ”
―イースリッドの捕食者―
「……それにしても、わたしたちの姿を誰にも見られちゃいけないなんて、ほんと無茶な注文よね」
深紅の長い髪をした女が煩わしそうな声で言った。彼女はまさに妖艶というものを体現したような風貌をしていた。その魅惑的な顔には、光さえも飲み込んでしまうような灰色の瞳があった。胸元には深紅の宝石のネックレスが耀いている。
「……仕方あるまい、盟主の命じだ。この任務には隠密性が要求される。我々の姿を見た者は消せばよかろう」
もう一人の漆黒の髪をした男が冷静な声で言った。彼もまた灰色の瞳をしていた。彼の表情からは冷徹さそのものが伝わってくる。頬には深い傷跡が斜めに刻まれ、彼の両腕には手首から肩にかけて黒い鎖が巻きついている。そして、右手の親指には藍色の宝玉がはめ込まれた指輪が耀いていた。
「でも、いくら盟主の命令だからって、あんなデカブツを連れ歩いてたら目立ちすぎるわよ。この森の中に入るまでに何十人殺したか……。動作テストだか何だか知らないけど、なんでわたしたちがそれの御守りをしなきゃいけないのよ。あいつらがやればいいじゃない」
赤い髪の女が彼女ら二人の後ろを指差しながら不満げに言った。そこには、不気味な機械音を立てて動く巨大な人型の影があった。それは薄暗いイースリッドの森の中でも目立つほどの漆黒の装甲、そして、高さ8メートルはあろうかという巨大な機械人形だった。この『黒き巨像』とも言うべき、漆黒の巨大な機械人形の四角い頭部には二つの小さな目が赤く不気味に光っている。その強固に覆われた漆黒の装甲の肩部には煙筒が設置され、真っ黒な煙を吐き出していた。
機械技術があまり発達していないイスタリア大陸において、この『黒き巨像』は極めて異質な存在だった。
「やつらは我々にとって有用だ。新参とは言えどもな。やつらは古代リスリア文明の技術を再現し、あの黒き巨像を蘇らせた。その点では盟主も高い評価を下している。黒き巨像はこれからの任務に役立つであろう。」
黒い髪の男が両腕に巻きついた黒い鎖を撫でながら言った。男が歩くたびに、その黒い鎖がジャラジャラと音を立てる。
「……別にわたしたちだけでも村一つ消すことなんて簡単よ。それにあの女……、いくら盟主に気に入られたからって、新参のくせに……」
「止まれ!」
鎖の男が制止した。
「何よ!いきなり……」
「周りを囲まれている。1、2……、8匹か。手荒い歓迎のようだ」
鎖の男が周囲の茂みを見渡しながら言った。彼はその冷徹な表情を一切崩さなかった。
周囲のうっそうとした茂みの中には、赤く光る眼がいくつもあった。それらはイースリッドの森に生息し、集団で狩りをする小型の魔獣、ベイロスだった。それは緑色の体色をしていることで、森の中で迷彩の役目を果たし、前足の鋭く大きな鉤爪で獲物に襲いかかる。
ベイロス達はじっと息を潜め、二人の獲物に飛びかからんとしていた。
「……確かにいるわね。あの子たちわたしたちを食べようだなんて思ってるのかしら?まあいいわ、仕事前のいいウォーミングアップになりそうね」
深紅の髪の女は周囲を見渡すと不敵な笑みを浮かべた……。
“ベイロスは狡猾な捕食者だ。やつらは集団で音を立てずに忍び寄り、その強靭な鉤爪で獲物を引き裂くのさ。――イースリッドの伐採者、コート”
それから少し時は流れ、太陽が西に沈みかけイースリッドの森の中が真の闇に包まれる黄昏時、木こり達は作業を止めた後、村に帰ろうと森の中を進んでいた。村人たちが持つ松明の明かりに照らされ、森の木々が暗黒の中で不気味に浮かび上がっている。
すると、突然、列の最後尾から悲鳴にも似た声が静寂を破った。そして、一人の村人が声を荒げる。
「ベイロスだ!一人襲われた!」
突然の事態に木こり達全体に緊張が走った。彼らはすぐさま斧を構え、戦闘態勢に入る。イースリッドの森で伐採をするということは大いなる危険が付きまとう。餌に飢えた狡猾な捕食者ベイロスは常に獲物を探し求めているのだ。
「赤く光る目に注意するんだ!やつらはまたどこから襲ってくるか分からないぞ」
コートが大声で叫ぶ。木こり達が周囲を見渡すと、暗闇の中に赤く光る2つの目が無数に確認できた。
「これは数が多いぜ。だが、怯むな!俺たちの力をやつらに見せつけてやれ!」
一人の木こりが怒号を上げると、彼ら全体から大きな声が轟き、それらがときの声に変わった。
まもなく、ベイロス達は大きな唸り声を上げ、村人たちに襲いかかってきた。戦いが始まったのだ。




