義妹で病弱でお邪魔な私
「申し訳ない、メリンダ。朝からアイリーンの具合が悪いんだ。今日は両親もいないし一人では可哀想だから、僕が看てあげないと」
義兄のフランはそう言いながら、ベッドに横たわる私の頭を撫でた。
瞼を閉じていても、フランの婚約者であるメリンダの強烈な視線が突き刺さるのを感じる。
「お義兄様……私は大丈夫なので、行ってください……」
私は懸命に、ゼェゼェという息苦しい呼気の合間を縫って、心からの言葉を口にした。
今日は、フランとメリンダのデートの日だ。
よりによって、なんでこんな日に朝から発熱したのか、私。
「ねぇ、フラン。今日の観劇はとても人気で、半年前から予約しないとチケットが手に入らないのよ」
「ああ、それはわかってる。だけど、たかが観劇のために屋敷を空けて、いつ病状が悪化するかわからないアイリーンをひとりにしてはおけないよ」
お願いだから、メリンダと一緒に観劇に行って欲しい。
本・当・に・心・か・ら。
義兄が傍にいても、実際に動くのは使用人だ。
人との約束を反故にしてまで枕元にいられたなら、こちらが寝ていいものかと気を遣う。
そもそも病に伏せている人間の部屋の中で、延々と同じやり取りをしないで欲しい、と思うのは我儘な話なのだろうか。
私はゴホゴホと咳き込みながら、なんとか重たい腕を持ち上げてフランの袖を引っ張り、一生懸命目で訴えた。
お願い、行って。
そして、私を休ませて。
「うん、大丈夫だよ。ここにいるから」
いや、違う……!!
義兄の優しさの押し売りに、気が遠くなりそうになる。
しかしそれは贅沢な悩みなのだ、きっと。
義兄に悪気はなくとも、メリンダが私を恨む気持ちは、わからなくもない。
私は病弱で、義妹で、二人の邪魔をする存在だから。
元気に起き上がって、着飾った二人に行ってらっしゃい、と言えたらどんなにいいか。
だけど常に胸には圧迫感があるし、食欲はないし、発熱は続くし、倦怠感に襲われている。
腕ひとつ持ち上げるのも億劫なのに、これ以上話していたくないのに、なんなら私の部屋から出て行って痴話げんかは外でやって欲しいくらいなのに、原因が私である限り、それは許されないのだ。
「先日の船遊びの時だって、そう言って約束を破ったじゃないの。アイリーンさんも、先日の夜会では、随分と調子良かったみたいだけど!?」
「それは、いつも夜会の前だけ、両親がアイリーンに治癒士をつけるから……!」
それは、フランの言う通りだった。
私は所詮、この容姿だけで養子にして貰った、身売り確定の義娘なのだ。
だから夜会では豪華にこの身を飾り、笑顔を振りまき、この伯爵家にとって利益となる家門との橋渡しの道具として機能しなければならない。
そのためだけに、夜会前にはわざわざ高いお金を払って治癒士を付けてもらえるのだ。
因みに治癒士は、本来ならば病気を完治させることができる。
しかし私の場合、いくら治しても治しても、また体調が悪くなってしまうのだ。
医師も匙を投げた私の身体は、おそらく長くは持たないだろう。
それでも子を産む時間くらいはあるだろうと、両親はさっさと私を高値で売りつけようと、その身売り先を探している真っ最中なのだ。
「夜会で早く、相手、を……出て行き、ます、から……」
こんな病弱な義妹がいる家に嫁いでくるのは、嫌なことだろう。
メリンダがこの屋敷に来る前までに、さっさと嫁ぎ先を見つけて、出て行ってあげたいとは思っている。
ただ、こんな嫁の面倒を見る羽目になった相手の家門には、申し訳ないと思うけれど。
か細い声でも辛うじて本心から言葉を紡いだのに、義兄が「アイリーンが気にすることじゃない!」と余計なことを言った。
「アイリーンは、ずっとこの家にいていいんだよ! 僕が一生、面倒見てあげるから!」
義兄の精一杯の優しさで、メリンダの額に青筋が浮かぶ。
本当にお願い、空気を読んで、フラン……!
どうか、勘弁して欲しい……!!
そう思いながら、私は眠りにつくように気を失った。
***
私は物心つく前の頃、森の中で一人倒れているところを、フランに発見されたらしい。
その森は、魔物や妖精が住むと言われている『太古の森』と呼ばれている場所だった。
王家主催の狩猟大会に参加していた両親についてきた子どもたち。
当時八歳だったフランも、『太古の森』の少し入ったところで護衛をつけられながら遊んでいた。
そして数人の令息たちが護衛の目を盗んで少し奥まったところまで探検ごっこをした結果、その中にいたフランが大木の根っこに抱かれるようにして眠っていた私を見つけたそうだ。
「アイリーンを初めて見た時はね、本当にお姫様、いや天使様なんじゃないかと思ったんだ」
その時の身なりからしてかなり裕福な家柄の子どもだと思われたらしいが、私が自分たちの子どもであると名乗りを上げる家門はなかった。
六歳くらいに見えた私が一言も話すことができずにいたので、人身売買で攫われた他国の子どもであるとか、話すことができないせいで親に捨てられたのではないかという憶測も飛び交ったらしいが、真実はわからずじまいだ。
私は孤児院に入れられるところで、「うちのフランが見つけたのも、何かの縁ですから」と今の伯爵家に引き取られ、養子にして貰えることになった。
私が肺を患うまで、不自由なく育ててもらったことは間違いない。
自分もフランと同じく愛されていると、勘違いしていたくらいだ。
だけど、私が治癒士でも完治させることのできない病状を発症してから、両親の態度はあからさまに変化した。
それで、理解したのだ。
私は結局美しいだけが取り柄の養子であり、彼らにとって売り物にならなければ価値などないのだと。
むしろ、お金を費やすだけの寄生虫なのだと。
私は両親に、今から修道院や孤児院に送って貰っても構わない、という話もしてみたが、それは法律的にも外面的にも良くない提案だったようだ。
そのあと「ここまで育ててやった恩を忘れて」と二人で話しているのを立ち聞きしてしまってからは、この家をすぐに出ることができるよう、二人が力を入れている夜会には積極的に参加することにしていた。
――なのに毎回、空気を読まずにそれを邪魔する、義兄。
「こんばんは、アイリーン嬢。どうか眩く輝く美しいあなたと、一曲躍らせてもらえないでしょうか?」
ええと、この方は確か、公爵家のご令息だったわよね。
勢いはないけれども、歴史のある家門だったはずだ。
私が「はい、喜んで」と言ってその差し出された手に自分の手をのせようとした時、フランが割って入ってきた。
「申し訳ありません、我が義妹は身体が弱く、とても一曲踊れるような体力はないのです」
「アイリーン嬢、よかったらこのあと少し二人で抜けて、庭で話さないか」
「申し訳ありません、我が義妹は肺が弱く、あまり長く話すと体調を崩しますので、今ここで手短にお話いただけませんか」
「アイリーン嬢、どうか僕と……」
「申し訳ありません、……」
私から離れてくれない、フラン。
私がちらりとメリンダを見れば、彼女はほかの令嬢たちとこちらを見ながらひそひそ話していた。
「見なさいよ、あれ。フラン様が優しいからって、腰巾着のようにくっついちゃって。普通、婚約者がいるのだから遠慮くらいするものでしょう?」
「自分が本当に貴族になったのではないかと、勘違いしてるのではないの? 単なる孤児の癖にね」
「身体が弱いとか言いながら、男漁りだけは立派なんだから」
彼女たちの言うことは、もっともだ。
私はにこ、と笑って、フランに話し掛ける。
「お義兄様。本日はとても体調が良いので、ひとりでも大丈夫です。どうかメリンダさんのエスコートをしてくださいませ」
「何を言うんだ、アイリーン。メリンダはしょっちゅうこうした社交界に顔を出しているから知り合いも多いけど、アイリーンは知らない人ばかりで心細いだろう? 僕が傍にいてあげるから、何も心配はいらないよ」
「お気遣いありがとうございます、お義兄様。けれど、私はいいのでメリンダさんを……」
「そんなにメリンダに気を遣うなんて、アイリーンは本当にいい子だね。でも大丈夫だよ、メリンダだって事情はわかってくれているからさ」
そのメリンダさんが物凄い形相でこちらを睨みつけていらっしゃるのは、目に入らないのですか!?
こういう時はどうしていいのかわからず、本当に困ってしまう。
ふぅ、と溜息をつけば、「疲れたかい? 椅子に座ろうか」とメリンダさんを置いて、私と二人で休憩室に向かおうとする始末だ。
このシーンを傍から見たら、私が義兄の婚約者にしか見えないのではないだろうか。
しかも夜会を抜けて、休憩室でいちゃこらしようとしている、逢瀬を楽しむ恋人同士に。
ただフランだけは、私が病に倒れても変わらずにいてくれた。
私が体調を崩してからは、更に過保護になった。
嬉しそうに私の面倒を見てくれる優しい義兄を、自分の立場で悪く言いたくはないし、悪く思うのは不義理なのだと思うけれど。
思うけれど!!
――申し訳ないけれども、フランの行為は、心から、迷惑なのだ。
何度か強めに「どうかメリンダさんのほうへ行って!」とお願いをすれば、フランは「メリンダから何か言われたのか!?」と疑ってくる。
隙をみて無言でフランの傍から立ち去れば、メリンダさんを放って私をずっと捜し回ったと聞いた。
もう、私にはお手上げだ。
あとはメリンダさんに頑張ってもらうしかない、フランを諭して連れ出してもらうしかない、とチラチラと視線を送って助けを求めてみれば、その意味を勘違いされて「どうやら私はここにいないほうがいいようね。それなら別で、楽しむことにいたしますわ」と去って行ってしまう。
「あの女さえいなければ、とっくにメリンダもフラン様と一緒になっていたのにね」
「本当よ、アイリーンが私たちの邪魔さえしなければ、何もかもがうまくいくのに」
違う、違うの。
私はフランを独り占めしたいわけでも、メリンダさんを傷つけたいわけでもない。
むしろ二人には、上手くいってもらいたいと思っている。
私には、無理だから。
……だって私は、叶わない片想いを、しているのだから。
***
私が片想いをしている相手は、最近伯爵家に入って来た、馬の世話係の青年だ。
二階の自室から窓の外を眺めることの多い私の視界によく入ってくるようになり、視線が合うことが増えるようになり。
馬の世話係というのだから平民なのだろうけど、立ち姿がとても綺麗で、馬にたいしてとても優しい人だった。
人にたいしても親切で、よく老齢の庭師に声をかけ、大変そうな力仕事を手伝っているのを見かけた。
私と視線が合った時はその庭師と話して花束を作って貰い、それを使用人経由で私の部屋まで届けてくれるのだ。
一度庭園で倒れた時は、彼が一番に駆け付けてくれた。
精神的なものもあってか、彼の纏う空気を吸い込んだら、とても身体が楽になって自然と呼吸が整ったことを、今でも覚えている。
彼がいないとわかっている日も庭を眺める時間が増えて、私は初めて自分の恋心を自覚した。
彼を見かけると嬉しくて、ドキドキして、身なりを整えたくなる。
彼がいないとがっかりして、つまらなくて、今は何をしているのだろうかと思いを馳せる。
伯爵家の道具でしかない私が彼と結ばれる日はないけれど、政略結婚をする前に一度、本当の恋というものを教えてくれた彼には感謝しかないのだ。
「アイリーン、お前も今度の狩猟大会には顔を出しなさい。気に入った相手がいたら、リボンを渡すんだ」
「はい、お義父様、お義母様」
そんなある日、私は両親に呼ばれ、五年に一度の王都主催の狩猟大会に一緒に行くよう命じられた。
夜会はいつもフランが私に近付く相手を撃退してしまう、と誰かから聞いたのかもしれない。
狩猟大会であれば、それに参加するフランは、私に付き添っていられない。
前回は留守番をしていた、狩猟大会。
狩猟大会は、まだ未婚で婚約者がいない令嬢令息の、夜会以上のビッグイベントだ。
令嬢は、気になる相手にリボンをお守り代わりに渡す。
そして令息は、気になる令嬢に獲った戦利品を渡すのだ。
リボンと戦利品がお互いに交換するかたちになれば、二人は晴れて王家公認のカップルとなるらしい。
過去には同じ貴族ながらも身分差のあった令息令嬢が、このイベントで結ばれたこともあるという。
「ねえ、アイリーンは当然僕に、リボンをくれるんだよね?」
伯爵家が用意した天幕の中で、にこにこと笑いながら私に手を伸ばすフラン。
ええと、兄妹でリボンを渡すことは、もしかして当たり前なのかしら?
勝手がわからず目を瞬く私に、フランの少し後ろから、メリンダさんがこちらを睨みつける。
え、わからない。
それは、さっさと渡しなさいよ、という意味?
それとも、渡すわけないわよね、という意味?
「何を言っているの、フラン。あなたにはメリンダ嬢がいるでしょう?」
その時お義母様が助け舟を出してくれて、私のリボンはフランに奪われずにすんだ。
ホッとしながら、私はすこぶる調子の良い身体に感動しつつ、ドレスの裾を翻す。
「お義母様、私は少し、ほかの方々と交流を図って参ります」
「ええ、そうしなさい」
「なら僕も一緒に……」
「フラン! いい加減になさい、あなたは今日一日、狩り以外ではメリンダさんと一緒にいるのよ!」
私は三人を置いて天幕の外へ足を踏み出し、温かな日差しを浴びた。
『太古の森』に来てから、驚くほど体調が良い。
治癒士がいなくとも息苦しさから解放されるなんて、夢のようだ。
私は令息たちからの視線を避けながら、きょろきょろと辺りを見回して、馬の世話係の青年の姿を探す。
『太古の森』で行われる王家主催の狩猟大会は、豪華な景品が用意されていることもあって、各家門が力を入れて準備に望む。
だから今回は、狩猟大会に必要となる馬、そしてその馬の世話係も、ここまで一緒に来ているらしいのだ。
天幕から少し離れたスペースに、馬たちがそれぞれ適度な距離を保って寛いでいた。
そんなところに近づく令嬢なんていないのか、ほかの世話係や馬の様子を見に来た令息たちからジロジロと見られて、頬が赤くなる。
だから見慣れた姿を見つけた時は、ホッとした。
「アイリーンお嬢様、なぜこんなところに」
「こんにちは、ジル」
「体調はいかがですか? 外に出ても大丈夫なのですか?」
「心配してくれてありがとう。この場所に来てから、とても快調なの」
にこ、とご機嫌で笑えば、ジルもにこ、と微笑み返してくれた。
長い前髪に隠れているから最近まで気付かなかったけれど、ジルは造作がとても整っている。
なのに、誰それが素敵だというお話好きの使用人たちがジルをカッコイイと噂することがないので、いつも不思議に思っていた。
私は逆にジル以外の人だと、顔の判別はできるけれども美醜についてはどうこう感じたことがない。
使用人たちから言わせれば、フランは少し頼りない感じだけれどもカッコ良くて、メリンダさんは普通らしい。
ありがたいことに私は、人間離れしている美しさ、だそうだ。
「ジル、これを貰ってくれる?」
「可愛いリボンですね、ありがとうございます」
ジルは貴族ではないから、私がリボンを渡したところで戦利品が戻ってくるわけもなく、なんの進展があるわけでもない。
リボンを渡す意味すら、わからないだろう。
似合うはずのないリボンを渡されたのに、彼はなんの疑問を抱くことなく、私にその意味を問うこともなく、あっさりともらってくれた。
両親の言いつけに、私は初めて逆らったのだ。
だけど、自分の気持ちに終止符を打つために、どうしてもこのリボンだけは、ジルに渡したかった。
私は病弱だと知られているけれども、今回の狩猟大会で誰かはきっと、私に戦利品を贈るだろう。
私の容姿には、それだけの価値があるらしいから。
そしてその中から、両親が一番だと思う家門を選ぶのだ。
そこに、私の意思や意見は必要とされない。
「今まで、ありがとう」
「アイリーンお嬢様?」
流れそうになった涙を振り切るようにジルに背を向け、私は私がいるべきところへ戻った。
***
「今回の狩猟大会は、特別な来賓をお招きしております!」
狩猟大会の開催宣言が行われる直前、司会進行の声と共に壇上に上がった人物を見て、私は呆けた。
どこからどう見ても……馬の世話係の、ジルである。
ただしその格好は馬の世話係の時とは全く違い、普段下ろしたままの長い髪を後ろに流して、貴族のような狩猟スタイルで立っていた。
ジルを見た令嬢たちは、きゃああああ、と一斉に悲鳴のような声を上げる。
「あんな素敵な方、いらっしゃったかしら?」
「全然気づかなかったわ、なぜリボンをあの方に差し上げなかったのかしら!」
ざわつく令嬢たちを尻目に、司会進行はそのまま紹介を続けた。
「今回は、妖精界からの来賓でいらっしゃるジルベスター王子も参戦いたします。王子はこの『太古の森』を熟知していらっしゃいますので、どうぞ皆さん、頑張ってください!」
「妖精界の王子ですって? 百年前から親交がなかったのに、急になぜかしら?」
その後国王の開催宣言が行われ、令息たちは太古の森の中へと駆けて行った。
――大きな事故や怪我の報告もなく、狩猟大会は午前の部、午後の部と滞りなく終了した。
優勝者は、ジルである。
「さてジルベスター王子、これらの獲物を差し上げたい令嬢がいたりしますか?」
「はい」
ジルは剣に巻き付けたリボンを会場にいる令嬢令息たちに見せながら、高らかに宣言した。
「私はこれらの戦利品を、アイリーン嬢へ捧げます」
壇上にいるジルは真っ直ぐに私を見つめ、会場は一気に沸き上がる。
「ちょっとアイリーン、どういうこと?」
お義母様に話し掛けられても、何も答えることはできない。
私だって聞きたい。
えっと、どういうこと?
気付けばジルは私の目の前まで移動し、観衆が見守る中、跪いた。
「アイリーン嬢、どうか私と一緒に、妖精界へ来てくれませんか?」
「あ……」
彼が差し出した手に、自分の手をのせようとした時、お義母様が「ちょっと待ちなさい」と私の手首を掴む。
「アイリーンは、私たちの大事な娘よ。こんな戦利品だけでそちらの世界へ渡すなんて、思わないで」
「ええ、もちろんです」
ジルは一度立ち上がると、部下らしき人たちに「あれを」と指示した。
「これまでアイリーン嬢を保護してくださったご両親には、こちらを差し上げます」
「これは……妖精の涙?」
妖精の涙、とは、妖精界にしか存在しない宝石のことだ。
百年前から交流や交易をやめ、人間界に一切介入することがなくなった今や、幻の宝石と言われている。
これ一つあれば、両親はこの先、働かなくても死ぬまでお金に困ることはないだろう。
そして両親はすぐに、その宝石に夢中になった。
「やあ、流石私たちのアイリーンだ! 私たちの大切な娘を、どうかよろしくやってくれ」
ニコニコと笑いながらジルと握手を交わす、お義父様。
やがて呆気にとられながらもことの成り行きを見守っていた周りの観客が拍手をし出して、大団円で幕が閉じようとした時、フランの大きな声が響き渡った。
横にはメリンダがいて、フランを引き止めようとしているのが見て取れる。
「ちょっと、フランってば……!」
「駄目だ! アイリーンは、そんな得体のしれない奴になんか渡さない! アイリーンは僕のものだ! 僕が見つけたんだ!」
そして私の両肩を掴んで身体を揺さぶり、必死の形相で縋りつくようにして尋ねた。
「なあ、アイリーン。君の幸せは、僕と一緒にずっと伯爵家にいることだろう?」
「お義兄様……」
「私は嫌よ、フラン! アイリーンがいる限り結婚はしないって言ってるじゃないの!」
「フラン、下がりなさい! アイリーンの嫁ぎ先はもう、決まったのよ!」
「うるさい! ……ジルベスター王子、アイリーンは身体が弱いのです。もしかしたら、大事な世継ぎを産めないかもしれません!」
とても繊細でプライベートな発言を観衆の前でされてしまい、私の頬がカッと染まる。
令嬢たちくすくすと嘲り嗤うような声と、同情しながらも見下すような令息たちの視線が、私の耳と視界に入った。
――フランがこんな、失礼な人だとは思わなかった。
しかし、フランが言ったことは、事実だ。
私の身体が弱いことはジルも知っているはずだが、彼に誠実でいたければ先にしっかりと確認すべきことだったのかもしれない。
「あの、ジル……」
「問題ありません。アイリーン嬢は、私がずっと探していた大切な人なのです。彼女と一緒にいられるのならそんな些細なことは気にしませんし、彼女の病気は私たちの世界へ来ればきっと良くなるはずですよ」
「そんな、根拠のないことを……っ!」
フランがまた何かを言おうとした時、「皆の者、静まりなさい」という声と共に、ぱんぱん、と手を叩くような音が響いた。
国王の発言に、誰もが口を閉ざす。
「この二人をきっかけに一度断たれた人間界と妖精界の交流が再び始まるならば、こんなに素晴らしい話はないではないか。よし、私の名において、ジルベスター王子とアイリーン伯爵令嬢の結婚を認めるとしよう」
「ありがたきご裁可、謹んで拝受いたします」
「……ありがとう、ございます」
鷹揚に宣言した国王へ、頭を下げるジル。
私もそれに倣って、一緒に頭を下げた。
こうして国王にも認められた私たちの関係だったが、それでもフランは諦めてくれなかった。
「僕は認めない……!」
「いい加減にしてよ、フラン!」
いつも私の味方で、優しくしてくれたフラン。
彼のためにずっと、我慢していた言葉がある。
でも、もう、いいだろうか。
そろそろ、フランのためにも、メリンダのためにも、目を覚ましてもらわないと。
「お義兄様」
「アイリーン。大丈夫だよ、僕が守るからね。君を妖精界になんて、行かせてたまるか」
「お義兄様、よく聞いてください。今私は、心から、迷惑しています」
「え?」
こんなにたくさんの人の前で、子どもが望めないと言われたことも。
メリンダさんをないがしろにして、逆恨みされたことも。
初恋の人と結ばれる機会を、台無しにされそうになったことも。
「ですから私は、迷惑しているのです。私はジル……ジルベスター王子と一緒に、妖精界へ行きたいと考えているのです」
「アイリーン……?」
「それから、メリンダさん」
呆然とするフランをそのままに私がメリンダへ視線を向けると、彼女はハッと我に返ったようにこちらを見た。
「遅くなって、申し訳ありません。どうぞお義兄様と、お幸せに」
義妹で病弱でお邪魔だった私さえいなければ、何もかもがうまくいくと言っていたのだ。
今はまだ私の身体を心配してくれているフランも、私がいなくなればメリンダさんだけに目を向けてくれるようになるだろう。
お世話になった両親も満足しているようだし、私も結ばれるはずがないと思っていた初恋の人と一緒になれるし、みんなが幸せになる未来が待っているのだ。
私は満面の笑みを浮かべ、ジルに寄り添った。
「フラン卿、アイリーンは我々の世界へ連れて帰りますが、また五年後の狩猟大会には顔を出しますから」
「アイリーン!」
え、と思った瞬間には、私はジルと一緒に馬上にいた。
そしてその馬は太古の森に向かって、一気に駆け出したのだった。
***
初めて足を踏み入れたはずの妖精界は、どこか懐かしい感じがした。
そして馬は、二人の妖精の前で、立ち止まる。
『ああ、お帰りなさい、私たちの愛しい娘……』
『メーディア……いや、アイリーンと呼んだほうがいいかな?』
ぶわり、と私の瞳に涙が溜まった。
この、感じ。
もしかしたら……もしかして。
「アイリーン、二人が何を話しているのかは、理解できますか?」
ジルが私を馬から降ろしながら尋ね、私は頷いた。
「話すことは難しいかもしれませんが、何を言っているのかは、なんとなくわかります。ええと、どうぞ好きなほうの名前で、お呼びください」
そうだ。
私の本当の名前は、メーディアだ。
太古の森でフランに拾われるまでは、そう呼ばれていた。
『ああ、メーディア。よく無事に帰ってきてくれましたね』
『抱き締めてもいいかな?』
実の両親に抱き締められ、零れた涙が止まらなかった。
――ああ、ここが私の、いるべき場所だ。
私は人間ではなく、ジルと同じ妖精だったのだ。
私の身体が弱いのも当然で、人間界の空気は妖精の身体にとっては有害で、毒の霧を吸い込むようなものだったらしい。
だから治癒士が何度私の病を治しても、完治することはなかったのだ。
『太古の森』は人間界と妖精界を繋ぐ森であるため妖精にも適した空気を宿し、私の体調が良くなったのはそのおかげである。
私は本当にジルベスター王子の婚約者だったそうで、何度目かの顔合わせの日、二人で『太古の森』を散策していたそうだ。
しかしそこで、『時空の歪み』と呼ばれる人間界での地震のような、妖精界で起こる天災に見舞われ、離れ離れになってしまったという。
ひとりになった私は、森で迷った時の妖精のお決まりである、大樹の下で待機したのだと考えられた。
大樹の放つ空気は清らかで妖精と親しく魔物を寄せ付けないため、迷子になった妖精の子どもたちはそこで助けを待つよう、教えられているからだ。
しかし、同時に大樹は、妖精に近い無垢な人間の子どもも、受け入れてしまう性質があった。
そして私はフランに見つけられ、人間界へと連れて行かれたのだ。
「迎えに行くのが遅くなって、すみませんでした」
ジルベスターは、毒のような空気の人間界に身体を馴染ませるための特殊な訓練を積んで、私を連れ戻しに来てくれたという。
ついでに妖精は人間よりも容姿が優れているため、余計な面倒に絡まれることのないよう、人間が妖精の顔を正しく認識できなくなるような認識阻害の術も学んだそうだ。
馬の世話係をしていた時はその術をかけていたため、私以外には本来の容姿を悟られることがなかったらしい。
「でもどうして、私がメーディアだとわかったのですか?」
「太古の森で見つかった子どもで、病弱で、人間離れした美貌の女の子、という条件に合う子はあなただけでした。しかし伯爵家に潜入して実際にあなたを目にした瞬間、その確信は揺るぎないものとなりましたよ」
「そうでしたか……」
「メーディア。改めてあなたにお願いします。どうかこれから私と共に、人生を歩んでくれませんか」
「はい。どうぞよろしくお願いいたします、ジルベスター王子」
「はは、やだな。今まで通り、ジルって呼んでください」
「はい、ジル」
こうして私は、初恋の素敵な男性と添い遂げることになったのだった。
――その後の人間界の話を、少しだけ。
伯爵家の両親は、妖精の涙を売った莫大なお金でしばらく豪遊生活を送っていたらしいが、投資に失敗し、ギャンブルに手を出し、数年後には零落したらしい。
そしてフランはメリンダと婚約破棄をし、王家直轄地である『太古の森』へ何度も勝手に足を踏み入れ、厳重注意を受けても行動を改めることがなかったため、最終的に入域を禁じられてしまったそうだ。
なぜこうなってしまったのだろうかと、思わず溜息を吐く。
メリンダが言っていたように、私さえどこかへいなくなれば、皆が幸せになると、思っていたのに。
「結局は君のせいではなく、彼ら自身の問題だった、というだけの話だよ」
ジルはそう言って、私の頬にそっと口付けたのだった。




