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聖騎士団を追放された盾の英雄、平和な町で最期の戦いに挑む

作者: アポロ
掲載日:2026/04/27

戦場の音が消えた日、アレストは自分の居場所も同時に消えたことを悟った。


王城の会議室は、戦時中よりも静かだった。

壁に掛けられた地図は、もう赤い印で埋まっていない。

若い文官が羊皮紙を震える手で差し出す。


「……これからは、組織力の時代です。

 あなたのような“個の強さ”は……その……」


言葉は最後まで続かなかった。

アレストは文官の目を見ない。

ただ、机の上に置かれた盾に視線を落とす。


二十年。

この盾の裏で、どれほどの叫びを聞き、どれほどの刃を受け止めてきたか。

仲間の命も、国の命運も、すべてこの一枚に集まっていた。


だが今、その盾はただの“重い金属”に過ぎない。


アレストは静かに手を離した。

盾が石床に触れた音が、乾いた響きを残す。


その音が、彼の役割の終わりだった。


文官は安堵とも罪悪感ともつかない表情で頭を下げる。

アレストは何も言わない。

言葉を持つべき場ではなかった。


廊下に出ると、若い騎士たちが遠巻きにこちらを見ていた。

かつて彼の背中を守られていた者たち。

頼もしさと同時に、どこか“人ならざるもの”を見るような畏怖を抱いていた者たち。


誰も声をかけない。

かければ、自分も切られる。


アレストは一度だけ振り返り、王城を見た。

二十年守り続けた場所。

だが今は、ただの石の塊に見えた。


「……時代が変わったか」


呟きは風に溶けた。

アレストは剣も盾も持たず、王国を後にした。


王国を離れて三日目、アレストは小さな町に辿り着いた。

国境近くの、地図にも載らないような場所だった。


畑の匂いがした。

土を耕す音、子どもの笑い声、家畜の鳴き声。

戦場では聞こえなかった音ばかりだ。


アレストは町の入口で立ち止まった。

盾も剣も持たない自分が、ここにいていいのか分からなかった。


「旅の方? 休んでいきなよ」


声をかけてきたのは、井戸端で水を汲んでいた中年の女性だった。

彼女はアレストの体格を見て驚いたが、すぐに笑った。


「まぁ、立派な身体だこと。兵隊さんかい?」


「……昔は」


それだけ答えると、女性はそれ以上聞かなかった。

戦場の話を求める者はいない。

血の匂いを嗅ぎ分ける者もいない。


アレストはそのことに、少し戸惑った。


宿屋は質素だったが、温かい食事が出た。

硬いパンでも、戦場で食べた乾燥肉よりはずっとましだった。

夜、窓を開けると、虫の声が聞こえた。


戦場では、夜は静かすぎた。

死者の気配だけが漂っていた。

だがこの町の夜は、生きている音がした。


翌朝、アレストは町を歩いた。

井戸の石が欠けているのを見つけ、無意識に修理を始めていた。

手を動かすうちに、周囲の人々が集まってくる。


「すごい力だねぇ」

「助かるよ、こんな重い石、誰も動かせなくてね」


アレストは答えず、ただ石を積み直した。

戦場で盾を構えるときと同じように、黙々と。


その日から、彼は町の手伝いをするようになった。

畑の柵を直し、倒れた木を運び、子どもたちに木剣の構え方を教えた。


「こうだ。腕ではなく、腰で受ける」


子どもたちは真似をして笑った。

その笑い声に、アレストは胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


戦場では、守るべきものは“国”だった。

だがここでは、守るべきものは“生活”だった。


夜、宿屋の主人が酒を差し出した。


「この町は争いとは縁がない。

 あんたも、ゆっくりしていくといい」


アレストは酒を口に含んだ。

喉が熱くなり、胸の奥に沈んでいた何かが少しだけ溶けた。


「……争いのない場所か……」


呟きは誰にも聞こえなかった。

だがその夜、アレストは久しぶりに深く眠った。


町の静けさが、彼の心の空白を少しずつ満たしていった。


その朝、町の空気はいつもより重かった。

風が止まり、鳥の声が消えていた。

アレストは畑の柵を直していた手を止め、遠くの地平線を見た。


土煙が上がっていた。

規則正しい揺れ。

軍靴の列が踏み鳴らす、あの独特の振動。


戦場の匂いだった。


「アレストさん……?」


背後から声がした。

昨日、木剣の構えを教えた少年だった。

少年の手は震えていた。


アレストは少年の頭に手を置き、静かに言った。


「家に戻れ。家族と一緒にいろ」


少年は何か言いかけたが、アレストの表情を見て口を閉じた。

そのまま走り去る。


町の中央に鐘が鳴り響く。

避難を知らせる音。

人々が家から飛び出し、叫び声が交錯する。


「隣国の軍だ!」

「王国軍は? 来ないのか!」

「逃げろ、早く!」


アレストは倉庫へ向かった。

そこには、誰も使わなくなった古い武具が積まれている。

錆びた剣、折れた槍、そして――


一枚の盾。


木製で、ところどころ欠けている。

戦場で使えば一撃で砕けるだろう。

だが、今のアレストには十分だった。


彼は盾を手に取り、町の入口へ歩いた。


逃げ惑う人々の流れを逆走する形になる。

誰もがアレストを見て叫ぶ。


「アレストさん、無理だ! 一人でどうにかなる相手じゃない!」

「逃げてくれ、頼むから!」


アレストは首を振った。


「……守るべきものがあるなら、盾は立つ」


その言葉は、誰にも届かなかった。

届く必要もなかった。


町の入口に立つと、隣国の騎士団が姿を現した。

鎧の光沢、槍の列、馬の嘶き。

戦場で何度も見た光景。


だが、彼らの視線はアレストを“ただの老人”として捉えていた。


「退け」

先頭の騎士が言う。

「ここは我らが占領する。お前に用はない」


アレストは答えない。

ただ、盾を構えた。


その姿は、かつて戦場で何百回も繰り返した動作だった。

だが今は、守るのは国ではない。

背後にあるのは、畑の匂いと、子どもの笑い声と、夜の虫の声だった。


騎士が嘲笑する。


「老人一人で、我らを止めるつもりか」


アレストは静かに息を吸った。

胸の奥に、戦場で失ったはずの熱が戻ってくる。


「止める。……ここは、通さない」


その瞬間、騎士団が動いた。

槍が突き出され、馬が駆け、剣が振り下ろされる。


アレストは一歩も引かなかった。


盾に衝撃が走る。

腕が痺れ、骨が軋む。

だが、足は動かない。


町の境界線だけは、越えさせない。


その意志だけが、アレストの身体を支えていた。


最初の衝撃で、古い盾の表面が大きく裂けた。

二撃目で、木片が飛び散った。

三撃目で、アレストの左腕が悲鳴を上げた。


それでも、足は動かなかった。


隣国の騎士たちは、老人一人が立ち塞がる理由を理解できずにいた。

怒号と馬の嘶きが混じり合い、槍が雨のように降り注ぐ。


アレストは、ただ受け止めた。

盾の裏に伝わる衝撃は、かつて戦場で感じたものと同じだった。

だが、背後にあるものは違う。


畑の匂い。

井戸の水音。

子どもたちの笑い声。

夜の虫の声。


それらが、アレストの背中を支えていた。


「退け!」

隣国の隊長が叫ぶ。

「老人一人に手間取るな!」


槍が突き出される。

盾が砕け、アレストの腕が折れる。

骨の軋む音が、戦場の喧騒の中でもはっきり聞こえた。


それでも、アレストは前に倒れなかった。


膝が震え、視界が揺れる。

血が指先から滴り落ちる。

呼吸は浅く、胸が焼けるように痛い。


それでも、境界線だけは越えさせなかった。


「……ここは、通さない」


声は掠れていた。

だが、その言葉は確かに空気を震わせた。


隣国の騎士が苛立ち、剣を振り下ろす。

アレストは盾の残骸で受け止める。

木片が砕け、破片が頬を切った。


その瞬間、遠くから角笛の音が響いた。


王国の聖騎士団が駆けつけたのだ。


隣国軍は動揺し、隊列が乱れる。

聖騎士団が突撃し、戦況は一気に逆転した。


だが、アレストはもう戦いを見ていなかった。


視界が白く霞む。

耳鳴りがして、音が遠ざかる。

身体の痛みも、重さも、薄れていく。


ただ、背後の町の気配だけが残っていた。


――ああ、守れた。


その確信が胸に灯った瞬間、アレストの身体から力が抜けた。


だが、倒れなかった。


盾を構えた姿勢のまま、アレストは静かに息を引き取った。


聖騎士団が隣国軍を追い返し、町の入口に戻ってきたとき、

彼らはその光景に言葉を失った。


「……立ったまま、死んでいる……?」


若い騎士が呟く。

その声は震えていた。


アレストの顔は穏やかだった。

戦場では決して見せなかった表情。

まるで、ようやく休めたかのような安らぎがあった。


町の人々が駆け寄り、アレストの身体をそっと支える。

涙を流しながら、彼の名を呼ぶ。


聖騎士団の隊長は、砕けた盾の破片を拾い上げた。

その木片には、無数の刃の跡が刻まれていた。


「ここを守ったのは……俺たちじゃない」


その言葉が、静かな町に落ちた。


アレストの盾が、地面に静かに倒れる音だけが響いた。


それが、彼の最期の痕跡だった。

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