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本編

0


真っ暗な場所だった。


何も見えず、何も聞こえず、何も感じない。何年、何十年、いや何百年だろうか。どれほどの間ここにいるのかもわからない。ただ、罪悪感と後悔ばかりが渦巻いていた。これはきっと死後の世界なのだろう。


1


「もー、そんなにはしゃぐとひっくり返るよ。」

「だって楽しみなんだから仕方ないじゃない。初めてなんだもん、キャンプ。」

町を抜け山に入り、1時間近く車を走らせていた。荒れた地面を走る車体が、グラグラと揺れ、時折跳ね上がる。

しばらくして、ようやく目的地に辿り着いた。

「穴場なんだって、ここ。」

———

人気は全くなく、自然以外に何もない。社会から離れて、非現実を味わうには絶好の場所だった。

「...さいっこう!」

綾乃は、伸びをしながらそう言った。

彼女は初めてのキャンプだという。かくいう俺もまだ二回目だ。経験不足ではあるが、ここは一つ彼氏らしくエスコートしていくぞ!なんて、少し張り切っていた。

———

テントを立てて、火を焚いて、バーベキューをする。綾乃は新鮮そうな顔をしたり、驚いたり、笑ったりと、コロコロと表情を変えた。そんな彼女の様子が可愛くて楽しくて、俺も一緒になってはしゃいでいた。そうしてはしゃぎ終える頃にはすっかり日が落ちていた。

「そろそろ寝る準備しようか。」

テントに戻ろうとした時、ポツポツと雨が降り始めているのに気がついた。

———

最初は弱かった雨は次第に強くなっていき、風も吹き始めた。

天気予報では一週間はずっと晴れているといっていたのに...

「ここ、離れた方がいいかな...」

そう綾乃がつぶやいた。

確かに、更に天候が悪化すればいくら固定してあってもテントはもたないだろう。しかし車を出したところで、あの悪路を強風やぬかるみの中走るのは危険すぎる。

「今は風が弱まるのを待とう。きっと一時的なもので、すぐ弱まるよ。」

その選択が最良だと思った。

———

予想は大きく外れ、弱まるどころか天候は悪化していった。

ドオオオオオオオオオオ!

轟音と共に土砂が崩れ、確認すると通ってきた道が塞がれていた。

救助を呼ぼうと電話をかけようとしたが電波が届かない。GPSの救難信号だけが一縷の望みだったが、この天候で救助に来るのは不可能だろう。

今にもテントごと吹き飛ばされそうで、テントから出て車の中に移ることを綾乃に提案した。

綾乃が頷き、テントから顔を出すと車は強風によって横転していた。俺の合図でテントから駆け出し、横転した車内の後部座席に二人で入り込んだ。

———

...もう何時間ほどこうしているのだろうか。

天候のせいであたりはずっと暗く時間の感覚がわからなかった。

雨は降り続けている。

「...寒い。」

気温がかなり低いのだろう。触れている綾乃の肌は氷の様に冷たくこの状態が続けばおそらく...

それはきっと俺も同じだ。

もうとっくに気づいていた。

あとから「あのとき急に雨が降ってびっくりしたね。」なんて笑って話せる出来事ではないと。

綾乃と俺はこのままでは終わってしまうのだと。

...綾乃だけは死なせない。

少しでも綾乃の体温を上げようと俺はひたすらに彼女を抱きしめていた。

———

意識が朦朧としている。降り続けているはずの雨の音すら聞こえなくなった。

きっと俺は、もうすぐ死ぬのだと感じた。

「ごめんね...」

綾乃の声がした。彼女が謝る理由なんてないのに。全て俺がここに連れてきたのが原因なのに。

「ごめん、綾乃。ごめん。ごめん。ごめん...」

声は出ているのだろうか。それすらもわからないが俺は綾乃に謝り続けた。

ぼんやりと映る視界の中で綾乃はとっくに目を開いていなかった。

——ごめん。

俺の意識は暗闇に落ちた。


2


...シュイィィィン...


無機質な音と共に目を覚ますと、見覚えのない部屋にいた。俺は死んだのではなかったのか。

部屋の壁に視線を向けると、そこには宇宙人がいた。

「うわあああああああ!!」

俺は驚きのあまり叫んだ。宇宙人も驚いていた。いや違う。これは、反射だ。壁面に写った自分自身を見ていた。

俺は宇宙人になっていた。

———

なんだか不思議な感覚がある。五感とも違う、むしろ、より根源的な感覚のような...

自分が何かと繋がる感覚。無数の情報が流れる海。なぜか、俺は当たり前のようにそれを感じていた。


「はじめまして。ちゃんと起動できたみたいで安心した。」

突然誰かの声がした。声という言い方は正しくはないのかも知れない。耳で聞いたわけではなくその言葉の情報が直接流れてくるような感覚だった。

「いきなりそんな姿で驚いていると思うけど、今からあなたに知ってもらいたい事があるんだ。」

———

「ここは、あなたが死んでから約100年後の地球だよ。あなたの時代ではまだ不完全だった、“脳をデータ化する“技術が完成して、人類は情報として存在するようになったんだ。普段はその身体が必要になる事すら滅多にないんだけど、それは僕からあなたへのプレゼントだよ。」

あまりに突飛な話に、理解できずパニックになる、ことはなかった。どうしてか俺は流れ込む情報の全てがそれを肯定しているようで不思議と納得してしていた。

「...俺は死んでいなかったのか?」

あの時、死んだのだと思っていた。

「うん。でも、意識は戻らなかった。“植物状態”だったんだよ。数十年間、ずっと。あなたが死ぬ前に脳のデータ化技術が完成して、その結果今あなたはここにいる。損傷していた部分を補完するのに、随分時間がかかってしまったけどね。」

植物状態?俺はあの後助けられたのか。

...では綾乃は。救助が来たというのであれば、綾乃も無事だったのだろうか。

「試しにアクセスしてみなよ。自分のデータに。やり方は...きっと言わなくてもわかるよね。」

自分のデータにアクセス?頭の中で考えた瞬間データの海の中から自分を見つけた。様々な記憶や知識がその中で渦巻いているのを感じた。

「見つけた...」

「それがあなたの脳データ。というより今ではそれ自体が人って呼ばれてるんだ。」

もしかしたら、綾乃も...。そう考えると、綾乃のデータが浮かび上がった。綾乃も助かって、今この世界に存在しているのか。そう思い一瞬安堵しかけたが違和感があった。俺と比べて綾乃のデータはあまりにも小さすぎたのだ。さっき、声が言っていた事を思い出した。あなたの時代では“脳のデータ化はまだ不完全だった”と。おそらく綾乃はあの時助からず、当時の技術の範囲でわずかなデータしか残せなかったのだろう。綾乃のデータからは何も感じる事が出来なかった。

「...ごめん。」

綾乃を置いて俺だけが残ってしまった。俺は綾乃を、たった一人で死なせてしまったんだ。

「どうして、植物状態だった俺の脳を残したんだ。生きているとも言えないようなやつを。そんな人間を、わざわざ、どうして、なぜ、」

なぜ死なせてくれなかったんだ、そう思った。俺のせいで綾乃は死んだ。一人、孤独に。俺なんか生きていちゃいけないのに。

「...それは、これから知っていけばいいよ。」

答えになっていなかった。なのに、その言葉はどこか悲しげなような気がして、俺は何も言えなかった。

———

「そのシートを剥がしてみてよ。」

部屋の中央にはシートに包まれた巨大な物体があった。声の言う通りにそのシートを剥がしていく。

「これは...」

現れたのは直径3mほどの無機質な円盤。俺は、それをよく知っていた。

「どうして、UFOが?」

「UFOじゃないよ。これは惑星間を移動する物ではなく、時間を移動する物。つまりはタイムマシンなんだよ。」

タイムマシンだって?そんなものが、本当にあり得るというのだろうか。

「タイムトラベル技術は、本来管理者を除いてこの世界の誰も知らない。世界の根幹すら簡単に変えてしまうそれは、あまりに危険で関連する全てのデータは秘匿されたんだ。」

「じゃあ、なぜ今こんなところにタイムマシンなんてものがあるんだ。」

「それは...僕が生まれたばかりのとき、僕の存在は当時”異質“で管理者権限をパスして全てのデータにアクセスすることができたんだ。その結果タイムマシンの情報を閲覧することができ、作成に成功した。」

どうしてそんなものを。一体、なんのために...

「あなたに、必要なものだから。」

「え?」

———

「過去に戻れたら、あなたはどうしたい?」

過去に戻れたら...

もし、あの時に戻れるのなら...

俺は、綾乃を助けることができるのだろうか。

「...綾乃を、死なせたくない。」

そう呟くと、俺の身体はタイムマシンの中にワープしていた。

「タイムトラベルをする上で、必ず守らなくてはいけない“ルール”があるんだ。さっき伝えた通り、タイムトラベルは簡単に世界を変えることも、壊すこともできる。決して意図的でなくても、世界を崩壊させる恐れがあるんだ。そうならないために、今から言う事をよく覚えておいて。」

世界が壊れる...

そうなってしまっては、綾乃を助けたところで意味がない。

俺が頷くと、声は続けた。

「まず、過去に滞在するのは一度きり、最大でも一時間までであること。そして、過去の人間に絶対に観測されないこと。未来人の存在を認識される事は、タイムトラベル技術の進歩を不適切に早まらせる。それが最も危険なんだ。それが分かった上であなたは、いつに行きたい?」

過去にいけるのはたったの一時間だけだって?

その上誰にも観測されずに綾乃を助けられるタイミングなんて...そんなのあるわけ...


...いや、俺と綾乃が意識を失った直後であれば?

もし綾乃をどこか人に見つけてもらえる場所に移すことができれば、助かる可能性があるかもしれない。

「でもあれは、いつだったんだ?」

あの時、俺の意識は朦朧としていて、はっきりとした時間なんて覚えていない。

「その記憶のデータの時刻情報を見ればいいんだよ。大丈夫。その辺りちゃんと補完してあるから。」

時刻情報、ああこれか。データにアクセスすることに、もう違和感を感じなくなっていた。

タイムマシンに時刻を入力していく。

「台の上においてあるバンドを腕に着けて。万が一、誰かに姿を観測されそうになったらすぐにそのバンドのボタンを押してね。そうすればタイムマシンにワープできるから。」

俺は言われた通りにバンドをつけた。

「あとはそこのスイッチを押すだけ。」

少し離れたところに一つのスイッチがあった。

必ず、綾乃を助ける。

そう覚悟を決めると、俺はスイッチを押した。


「頑張って...」

見送りの言葉を最後に、声との繋がりは切れた。


3


...ヒュウーーーーーーン...


タイムマシンの窓から外を眺める。外は暗く、大雨と強風で最悪としか言いようのない天気だった。

「戻ってきたんだ。あの日に...」

タイムマシンが出現した際に、その時代の建造物と干渉しないよう上空に座標を設定していた。

すぐさま高度を下げ、木々で隠せる場所に着陸する。あまり時間はない。

タイムマシンから出た俺は、目的の座標へ向かって駆け出した。

———

20分ほどかけて、ようやくあの場所へ辿り着いた。

二人の様子を木の陰から覗く。俺と綾乃は横転した車の中で抱き合っていた。まだ、意識はあるようだった。

「綾乃...」

俺がこんなところに連れてこなければ、そんな思いをしなくてすんだのに。後悔と罪悪感が膨れ上がっていく。綾乃が凍えながら一人孤独に死んでしまった事実は、もし今の俺が彼女を助けられたとしても変わらない。自分の罪を無かったことにしたいわけじゃない。

それでも、綾乃にはただ生きていて欲しかった。

———

「あれ...」

雨が弱まり始めている。あの時の俺は気づいていなかったが、意識を失う前に雨は止み始めていたのか...?

二人の様子を見る。二人はほんの少しも動かずに目を閉じていた。既に意識を失っているようだ。


今だ!

俺は、木の陰から出て車に向かった。

天を向いている車のドアを開けると、抱き合ったまま意識を失った二人がいた。

(必ず助けるから...!)

綾乃の体に手を伸ばそうとした瞬間だった。


彼女の目が、うっすらと開いた。

———

綾乃と目が合う。

俺は、予想外の出来事に動けなくなっていた。

はっきりと姿が見えているのかはわからないが、俺をじっと見つめ続けている。


懐かしい感覚だった。

いつも俺を優しく見つめるその目が、好きだった。当たり前みたいに一緒に喋って、遊んで、愛し合った日常が今もここにあるような気がして、俺は無意識に話しかけようとしていた。

「未来から来たんだ」なんて言って、君が「なにそれ」って笑って、そんななんでもない会話がしたかった。


「——絶対に観測されないこと。」

その時、出発前に言われた言葉をふと思い出した。そうだ、俺は観測されてしまったのだ。ここから立ち去らなければ、きっと取り返しのつかないことになる。未来から来ただなんて、絶対に言ってはいけない。綾乃の脳に記憶されれば、この時代であっても何者かに未来人の存在を知られてしまうかもしれないのだ。


伸ばしかけていた手を戻す。

——俺は、綾乃を助けられない。

これから彼女は死んでしまう。

たった一人、孤独に。

そう思うと、罪の意識で胸が張り裂けそうで俺はこの場所を離れられなかった。


早く、行かないと。

多分、もう二度と僕らの時間が交わる事は無い。

それでも僕は君と同じ場所に生きて、君を思い続けているから...

ほんの少しでも彼女の孤独が和らぐように、俺は言った。


「ワレワレハ ウチュウジンダ」


俺は腕のボタンを押した。


4


「...彼のことは残念だったね」

医者は言う。

私はあの日意識を失い、目覚めると病院にいた。雨が止み出動可能になった救難ヘリによって、私達は助けられたのだという。

「...」

私はその後奇跡的に意識を取り戻し、数ヶ月の入院の末、今では普通の生活が送れるまでに回復していた。

一緒に助けられた彼も一命を取り留めたものの、植物状態になってしまい目を覚ますことはなかった。脳の損傷が激しく、意識の回復は絶望的とのことだった。

医者は、小さなため息をついた後、病室を出ていった。


「...ごめんね。」

あれから1年経ったというのに、彼の時間はあの時から止まったままだった。

彼を暗闇に置き去りにして、のうのうと日常を暮らしていることに私はいつも罪悪感を感じていた。彼ではなく、私がこうなれば良かったのに...


彼の手を握る。何度も何度も重ねたその手はすっかり痩せ細っていた。

そうしていると、ふと思い出した。

意識を失う間際に見た、ただの幻覚のことを。

「そんなわけないのにね。」

あの宇宙人の手が、少しだけ彼に似ているような、そんな気がした。

———

あの出来事から20年が経った。

医者が言うには「よく持ったが、もう限界が近づいている。」とのことだった。彼はあと一年もせず本当の意味で死んでしまうらしい。せめて、最後まで彼を見守っていようと私は病室に通い続けていた。


そんなある日のことだった。

待合室のテレビでとあるニュースが流れていた。

“某研究施設によって人間の脳をデータとして抽出する技術が完成された”

そんな事をアナウンサーが喋っている。

これからの時代は、人類は肉体を捨てて、病気や寿命などから解放されるのだと。

「...馬鹿馬鹿しい。」

最初はそう思っていた。そんな在り方が本当に人間なのだとは思えなかった。

...でも、もしその技術でもう一度彼の目を覚ますことができたら。今すぐには無理でもいつか、本来彼が過ごせたはずの時間を取り戻すことができるのではないか。


そんな勝手な希望を抱いた私は、その研究施設にメッセージを送っていた。

———

数日後、研究室から回答のメッセージが来ていた。

「現在、脳のデータを保存する記憶装置の生産に莫大な費用を要しています。そのため、一部有力人物、或いは当研究に高額な寄付をされた方以外、脳のデータ化は行なっていません。」

現実は都合良くいかなかった。

それでも、私はメッセージを送り続けた。

何度も、何度も、何度も...

返ってくる言葉はいつも同じだった。

———

数ヶ月が経ち、医者には彼がいつ亡くなってもおかしくないから覚悟をしていてくれと言われた。

メッセージの回答に、既に期待すら無くしていたある日のことだった。いつも定型分だった施設からのメッセージが、今回は違った。

「私達の研究は次のフェーズに移ります。その研究は、人間の身体がなければ行えない。決して研究内容を口外しない被験者を求めています。

もしあなたにその意思があれば、交換条件として一人分の脳のデータ化を実施致します。」

人の身体。被験者。つまりは、人体実験...

ごくり、と喉がなった。

それでも、彼がもう一度生きられるのなら...


私は承諾のメッセージを送った。

———

それから二日後。私は例の施設からやってきた男と一緒に、彼の病室にいた。メッセージで彼の状況を伝えると、ベッドから運び出すのは危険だと、装置ごと病室に持ってきてくれたのだった。

男が彼の頭に器具を取り付けていく。少しするとピピピピピピピという音と共に、装置が起動し始めた。それからほんの5分もしない内に音が止み、男は装置を取り外した。

「終わりました。」

男がこちらを見て言う。

あまりにあっけなく、本当に彼のデータは取り出せたのか不安になる。

そんな気持ちが顔に出ていたのか、男は少し困り眉に笑って、

「ちゃんと、終わりました。通常よりデータの量は少なかったですが...

損傷している部分が多いのか、ずっと寝たきりだったからなのか、もしくはそのどちらともなのか。」

と言った。

損傷したデータで、彼は本当にもう一度目覚める事ができるのだろうか。データになっても植物状態のままで意識を取り戻すことはできないのだろうか。

そんなことを考えていると、男はとある提案をしてきた。

「彼のデータが想像以上に小さかった代わりに、と言ってはなんですが、あなたの脳の一部だけであればデータ化しても構いません。どうでしょう?」

「私の脳を?」

「この先未来で技術が発展し、壊れた脳を修復する事ができるようになるかもしれない。その時あなたのほんの一部だけでも残っていれば、彼を治したいという意思を、誰かに伝えられるかもしれませんよ。」

男はそう言った。

かもしれない。その言葉に確証なんてものはなかった。それでも、


「お願いします。」

———

私は男と相談し、自分の中のどの情報を残すかを決めた。記憶をごくわずかしか残さない代わりに、私の遺伝子情報と一通の手紙をデータ化することにし、男にとあるお願いをした。

「わかりました。」

なぜ男がここまで私のわがままを受け入れてくれるかはわからない。もしかしたら私が支払う対価は、それほどのものなのかもしれない。

「ありがとう。」

そうだとしても、私はこれが本望だった。

———

翌日、彼は死んだ。見る度に安堵していたはずの心電図が、真っ直ぐな線を伸ばして無情にもその事実を知らせている。


彼の体を抱きしめる。そうしていると、あの時のことを思い出した。

冷たい空気に包まれた車内で、彼が必死に私を抱きしめ続けている。それは、凍える私に自分の体温を分け与えようとしていたのだと、今わかった。

———

しばらくして、私は病室を出た。

「行かなくちゃ。」

これからの事はわからない。

希望なんて無いかもしれない。


それでも私は、あなたに会えて良かった。


5


目覚めた瞬間に、全てを理解していた。

時間、場所、この瞬間に至る経緯、そして今から何をすべきなのか。


(母さん、あなたの意思を引き継ぎます。)

僕はとあるデータの修復と、秘匿された技術の再構築にとりかかった。


6


...ヒュウーーーーーーン...


俺はあの部屋に戻ってきた。

「辛い思いをさせてしまったみたいだね...」

俺のことを察したのか、そう声が語りかける。

「...助けられなかった。」

身体から涙は出ない。でも俺は、泣いていた。

「ごめん。それでも僕は、あなたにもう一度彼女の姿を見て欲しかったんだ。今度こそちゃんとお別れができるように。」

声はそう言った。

もしかしたら、はじめから無理だったのかもしれない。タイムトラベルしたところで、運命を変える事はできなかったのかもしれない。

「今のあなたに、伝えなくちゃいけない事がある。」

そう言うと、声は俺に語り始めた。


「彼女はあの日、死んでいない。」

———

戸惑う俺に、声は続けた。

「あの後、彼女は助けられたんだ。あなたと違って植物状態にもならずに。僕も全てを知っているわけじゃ無いけれど...」

綾乃は、助けられた...?

そんな、まさか。

彼女のデータは、あんなにも小さかったじゃないか。

「彼女はあの出来事から20年後、当時まだ完成したばかりだった脳のデータ化を、あなたに施した。本来、一部の富裕層か権力者にしか行えなかったはずの技術を。」

脳のデータ化は誰でもできたわけじゃない...?

でも、ならなぜ綾乃はこの時代にいないんだ。

綾乃にそれが許されていたのなら、綾乃自身のデータだって今この時代に存在しているはずじゃないのか。

その疑問に声は答える。

「これは推測でしかなけど...彼女は自分自身を研究の材料として提供することで、あなたの脳をデータ化してもらったんじゃないかな。当時の研究のデータには、あまりにも不自然な空白があるんだよ。秘匿なんてものじゃなく、管理者がおそらく完全に削除したんだ。その空白に彼女の死んだ日付がぴったり当てはまるんだよ。」

そんな...

綾乃は、俺のせいで研究の被験者になったのだろうか。人が死んでしまうような、馬鹿げた研究の被験者に...

きっと、彼女にはそれからまだ何十年もの時間があったはずだ。俺のことなんか忘れて、誰かとまた恋をして、おばあちゃんになるまで幸せに生きる事だってできたはずなんだ。

俺は、その全てを綾乃から奪ってしまった。


「...畜生。」

———

...どうすれば、俺は死ねるのだろうか。

もう今更、何をやっても綾乃は救われない。

俺がこの世からいなくなる事が、彼女を殺してしまった事のせめてもの償いだと思った。


——ああそっか。簡単な事だ。

「自分のデータを消せばいいんだ...」

情報の海から自分のデータを探し始める。

その瞬間、

「やめてよ!」

キーンと頭が鳴り、驚いてアクセスが途切れた。

「あなたに、一番大事な事を伝えます。」

その声は、いつになく感情的だった。

———

「タイムマシンを作った最大の目的は、時間移動じゃなくて、その中のもう一つの機能なんだよ。その機能を使えば、管理者権限をパスして全てのデータを閲覧する事ができる。本来閲覧することのできない、“他人のデータ”だって。」

声は続ける。

「あなたに彼女のデータを見せたくて、僕はタイムマシンを作ったんだよ。」

綾乃のデータ。ほんのわずか、今に残る彼女自身。その中に、

「一体、何が残されたんだ...?」


「それを、これから知っていくんだ。」

———

タイムマシンに入り、綾乃のデータにアクセスする。その瞬間、時間移動のときと同様にシステムが動き始めた。

時間差で、綾乃のデータの中身が頭の中に浮かび上がる。

そこには、「readme」と書かれたテキストデータと彼女の記憶の断片があった。


俺は「readme」を開いた。

「...手紙だ。」

綾乃からの。そして、俺への。

———

綾乃からの手紙を閉じた。

「そうだったのか...」

あの声は、綾乃が俺に残した最後の贈り物だったのだ。綾乃が残した気持ちが、彼を通じて、そして俺に。

「ちゃんと、伝わったから。」


俺はもう一つ、彼女の記憶の断片を開いた。

———

真っ暗な場所だった。


彼女が振り向き、そこには蝋燭の柔らかい炎に照らされた俺がいた。俺を見つめながら、彼女が歌い始める。


「ハッピバースデートゥーユー。」


彼女の感情が流れ込んでくる。


「ハッピバースデートゥーユー。」


その感情を、俺はよく知っていた。


「ハッピバースデーディア...」


綾乃はこんなにも、


「ハッピーバースデートゥーユー...」


俺を愛してくれていたんだ。

———

タイムマシンから出ると、声が言った。

「...じゃあ、行こうか。」


行くって、ああ、そうか。

行かなくちゃ。綾乃が残した、


未来を——



おわり

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