昭和と令和の狭間で ― 学生の電話事情 ―
今では1人1台携帯電話を持っているのが当たり前になり、銀行口座の管理から飲食店の注文まで、スマートフォンが無いと始まらないような時代になった。しかし、ほんの40年ほど前、昭和60年代の初め頃には、電話の無い家も珍しくなかった。
時代が昭和から平成に変わり、一家に1台電話がある時代になっていった。しかし一人暮らしの学生にとって、電話は必需品ではなかった。というより、簡単には持てなかった。
当時、電話を引くためには「施設設置負担金」7万2000円が必要だった。通称「電話加入権」である。学生にとっては決して軽い出費ではない。私が大学に入学した平成7年、国立大学の年間授業料は44万7600円だったから、授業料2か月分近い金額と言えば、当時の負担感が伝わるだろうか。
この電話加入権は譲渡可能な権利だったため、中古パソコンショップなどで売買されていた。私も中古パソコンショップで、わずかに安い電話加入権を手に入れて電話を引いた。中にはさらに強者もいて、税務署で滞納処分として差し押さえられた電話加入権を公売で手に入れた先輩もいた。ただし、滞納者に未納の電話料金があった場合、その支払い義務も引き継ぐことになる。なかなかの賭けである。
そんな事情もあり、学生の一人暮らしで固定電話を引くのは、まだまだ敷居が高かった。
そこに現れたのがPHSだった。平成7年にサービスが始まり、新規加入料と契約事務手数料を合わせても7200円。固定電話とは1桁違う安さだった。キャンペーンと称して端末代が無料になることも多く、下手をすると初期費用0円で持てた。
もっとも、通話エリアは狭く、障害物にも弱かったので、窓際でないと使えないことも珍しくなかった。それでも、固定電話を持たず、PHSだけを持つ学生は多かった。もっと言えば、安いPHSですら料金を滞納して止められている学生も、珍しくはなかった。
我々が大学から大学院に通っていた頃、PHSは持っていても圏外は当たり前、止められているのも当たり前だった。だから、誰かと遊ぼうと思ったら事前に連絡を取ることはあまりせず、ふらっと相手の部屋に行く。いなければ、別の友人の部屋に行く。それが普通だった。
平成半ばというとポケットベルのイメージが強いかもしれないが、我々が高校生だった頃は、まだ文字送信のできる機種は一般的ではなかった。大学に入ってからも、一人暮らしで電話を引くので精一杯で、意外にもポケットベルには縁がなかった。
インターネットや電子メールはすでに使える時代になっていたが、家に電話を引くこと自体が難しく、プロバイダ料金もかかる。そもそも学生の1人暮らしでパソコンを持っている人も少ない。結局、インターネットも電子メールも大学で使うものだった。電話代も高く、切手を買って郵便を出すのも面倒。そんな学生に電子メールは嬉しい存在だったが、今と違ってすぐに返事が来ると考えてはいけない。「しばらく大学行っていなかったからメール見ていなかったわ。」なんて返事も当たり前。そう。大学に行かないヤツも多かった。あと、電子メールを読むのは共用の大学の端末である。だからお熱いラブレターなぞ送って誰かに見られようものなら赤面することになる。
今から思えば、携帯電話もインターネットも存在はしていたが、まだ生活に密着してはいない、昭和と令和の狭間のような時代だった。我々は就職を機に、ようやく携帯電話を持つようになったのである。




