表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

緊急電話連絡網と(呼)

我々が小中学生の頃にあって、今の小中学校にはおそらく存在しないものに「緊急電話連絡網」がある。新しいクラスが発足すると早々に、クラス全員が6つほどのグループに分けられ、AさんがBさんに、BさんがCさんに、という具合に連絡を回す順番が書かれた紙が配られた。そこにはクラス全員の電話番号が掲載されていた。個人情報も何もあったものではない。

もっとも、クラスメイトの電話番号をわざわざ聞きに行かなくても済むという点では便利だった。実際、中学を卒業して3年後に同窓会をやろうという話になったとき、当時の連絡網をまだ持っていた人がいて、ほとんど手間をかけることなく、ほぼ全員に連絡を取ることができた。


やがて過渡期が訪れ、連絡を回す順番だけが書かれた「連絡網」が配られるようになった。電話番号は生徒同士で聞きなさい、という生徒任せ、ある意味で個人情報保護の責任逃れのような仕組みである。そして平成15年の個人情報保護法制定以降、学校で「緊急電話連絡網」が作られることはなくなった。


その緊急電話連絡網の中に、今ではまず見かけない表記があった。電話番号の横に「(呼)」と書かれているのである。小学生時代のことなので記憶はあいまいだが、

松本○○(児童名・仮名)

0XXX-XX-XXXX(呼)山本

といった具合だったはずだ。意味は分かるだろうか。

これは、松本くんの家には電話がなく、この番号は近所の山本さんの家の電話番号なのだ。余所の家の子どもの学校からの連絡を受けて、山本さんはどうするのか。今さらながら気になって母に聞いてみたところ、

「そういうところはだいたい“長屋”だから、電話がかかってきたら山本さんが松本さんを呼びに行くのよ」

とのことだった。

家に電話がないという事実が、クラス全員に配られる紙にそのまま印刷されていた松本くんの心境はいかばかりだったろうか。


一人一台どころか複数台の携帯電話を持つことも珍しくない令和の世の中からすると信じられないかもしれないが、昭和末期には電話のない家もまだ残っていた。おそらく私より一世代上になると、「緊急電話連絡網」自体が存在しなかったはずだ。電話のない家が多く、「電話連絡」という仕組みそのものが成立しなかっただろうからである。


昭和末期、多くの家で電話は固定電話、一家に一台だった。電話のない家もあり、携帯電話など存在しないから、訪問先の家で電話を借りることもあった。電話機は玄関に置かれている家が多かった。これなら、呼ばれた松本くんも山本さんの家に上がることなく電話を受けることができる。今から思えば、実に合理的である。そして以前述べたとおり、その電話機も電電公社からの「借り物」。電話機は電話台という台にうやうやしく載せられ、下に布を敷き、使っていないときは上にも布が被せられていた。ただ、家の人が使うには不便な点もあった。私がまだ幼稚園くらいの頃、祖父母に声を聞かせるために電話をかけるとき、玄関が寒かった記憶がある。

電話がない家であっても、かける側はあまり困らなかったはずだ。今と違い、昔はあちこちに公衆電話があったからである。


電話が一家に一台だった時代、友だちの家に電話をかけるのは緊張する行為だった。本人ではなく、まず親が出るからである。特に異性の家にかけるときはなおさらだ。時代は少し下るが、大学を卒業した後、同期の女性の家に電話をかけたことがある。卒業後なのでPHSもあった時代だが、エリアの関係でいつでもつながるわけではなく、携帯電話もまだ高価で、誰もが持っているものではなかった。固定電話がまだ主役だった頃の話である。

母親が出たので、恐る恐るまずは名乗る。

「○○大学で○子さんと同期だった、AsaPi!と言います」

「あら~、Asaちゃん?」

どうやら在学中から私のことは家族に話していたらしい。しかしこの反応は何だ。そのまま30分ほど、機関銃のように話が続いた挙げ句、

「○子ねぇ、仕事でまだ帰ってないの」

……ヲイ、である。

どうやら私は母親世代に好かれるタイプらしく、その点では電話はかけやすかった。ただし当時、電話料金は距離によって異なり、遠距離通話は馬鹿にならないほど高かった。夜間にNTTで100km以上の相手にかけると22.5秒で10円。30分話すと約800円である。

平成10年にKDD(現在のKDDI)が「001国内電話サービス」という6秒1円の格安通話を開始したが、それでも30分で300円。一人暮らしの学生にとって、実家に電話をするのも痛い出費だった。

昭和の終わり頃はさらに高く、平日昼間に320km以上の相手にかけると4.5秒で10円だった。公衆電話はあちこちにあったが、遠距離に電話をかけるときには、電話機の上に10円玉を積み重ね、ガンガン投入しながら、手短に用件を伝えたものだ。


最後に緊急電話連絡網を回したのは、阪神・淡路大震災の日だった。当時私は大阪に住んでいた。「今日は学校は休校です」という内容が回ってきた。電話が輻輳し、不要不急の電話を控えましょうと呼びかけられている最中に、である。「当たり前のことをわざわざ回すか?」と思った。

「緊急」と言いながら、どうでもいい連絡も多かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ