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カセットテープ

私のパソコン歴は40年以上になる。

昭和50年代にパソコンはあったのか、と思うかもしれないが、あった。当時は「マイクロコンピュータ」を略した「マイコン」と呼ばれることが多かったが、昭和54年に発売されたPC-8000は「パーソナルコンピュータ」と名乗っており、すでに昭和50年代には「パソコン」という言葉も存在していたことになる。


我が家にやってきた最初のパソコンは、シャープのMZ-2000という機種だった。昭和57年発売とのことなので、私が小学校に入学する前後に購入されたものだと思われる。今となっては型番は少しマニアックだが、家庭に一台置くにはかなり早い時期の、いわば草創期の家庭用パソコンだった。

メモリは64KB。今のスマートフォンのエントリーモデルでも4GBあるので、容量としては65536分の1になる。それでも翌年発売されたファミリーコンピュータのメモリが2KBだったことを考えると、当時としてはかなり大きなメモリを積んでいたことが分かる。ディスプレイは白黒ならぬ緑黒で、カラー表示はできなかった。

「パソコン歴40年以上」と言うと、「フロッピーディスクの頃ですか?」と聞かれることがあるが、フロッピーディスクなどはまだ高嶺の花だった。当時の主な記憶媒体は、あの音楽を聴くためのカセットテープである。当然、読み込みには時間がかかる。ものにもよるが、BASICを読み込んで使えるようになるまでに15分ほどかかった。パソコンで遊ぼうと思ったら、まず電源を入れ、カセットテープの読み込みを始めて、あとは別のことをしながら待つ。それが当時のルーティンだった。先に書いた「テレビの予熱」と同じで、当時はテレビもパソコンも、すぐに使えるものではなかったのである。

小学校高学年の頃、PC-8801を持っている友人がいた。彼の家に遊びに行って「『信長の野望』やろう!」となると、まずカセットテープをセットして再生ボタンを押す。そしてマンガを読みながら待つ。30分以上経って、ようやくゲームが始まる。「信長の野望」が発売されたのは昭和58年で、最初はカセットテープだった。


我が家にフロッピーディスクがやってきたのは昭和61年のことだ。MZ-2000は下取りに出され、代わりに前年発売されたPC-8801mkⅡFR(以下PC-88)がやってきた。MZ-2000最後の日、これまで遊んだゲームや自分で作ったプログラムを動かして、名残惜しい別れをしたことを覚えている。そして初めてPC-88を起動したとき、あまりの速さに驚いた。電源を入れて、ほとんど待つことなく使える。今と違って余計なものを読み込まない分、当時のフロッピーディスク起動は本当に速かった。

その後、我が家にハードディスクがやってきたのは私が高校生の頃だ。父が突然100MBのハードディスクを買ってきた。「100MBも何に使うんだ」と言ったものだが、Windows 3.1を入れたら、あっという間に半分以上が埋まり、動作も目に見えて遅くなった。結局、一番速かったのはPC-88時代のフロッピーディスク起動だったと思う。今のWindows 10も、起動にはそれなりに時間がかかる。それでも、カセットテープの時代と比べれば、はるかに速いのだが。

この消えてしまったかのように見えたカセットテープ、実はずっと後までコンピュータの世界で生き残っていた。ハードディスクのバックアップ用途としてである。バックアップ用途に限れば、記録に時間がかかるとか、読み込みが大変という欠点は問題なく、大容量で安価という利点だけが残るのである。


MZ-2000を手放したあと、家にはたくさんのカセットテープだけが残った。記録方式の違いなのか、PC-88では読み込めず、そのまま捨ててしまった。今になって思えば、実にもったいないことをしたと思う。当時すでにプリンタはあったのだから、プログラムを印刷しておけば打ち直すこともできたし、カセットテープを残しておけば、今ならWAVファイルとして取り込んで解析することもできただろう。


ちなみに当時のパソコンには、市販のソフトウェアなどほとんど存在しなかった。それではどうやって遊んでいたかというと、パソコン雑誌である。雑誌にはプログラムがそのまま掲載されており、面白そうなものがあれば、それを一行ずつ打ち込んでいく。後にフロッピーディスク付、CD-ROM付、ダウンロードへと進化していくが、当時はそれが当たり前だった。

令和になってから、当時遊んでいた「PITMAN」というゲームが掲載されたパソコン雑誌のコピーを手に入れた。このゲームは後にゲームボーイやニンテンドーDSにも移植されているが、もともとはパソコン雑誌に掲載されたものだ。プログラムのソースコードさえあれば、今のパソコンに移植するのは難しくない。37年ぶりにPITMANで遊び、初めて全面クリアした。

国会図書館に行けば、当時のパソコン雑誌は今でもコピーできる。昭和50年代に遊んでいたゲームを、令和のパソコンで遊べるのである。これは、後のフロッピーディスクやCD-ROM、ダウンロードの時代にはない、不思議な利点だと思う。

そんなに簡単に移植できるのか、と思うかもしれない。だが昭和50年代に「パソコンをやっていた人間」は、ほぼ例外なく、自分でプログラムを書く側だった。使う前に、まず作る。あの時代のパソコンは、そういうものだった。

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