「ファックス」の正体
前回のエピソードを書いていて、ひとつ疑問が残った。リソグラフが登場する前、学校の印刷物はどう作られていたのだろうか。定期試験は確実にあったはずである。
リソグラフ登場前から教員をやっていた方で今も連絡が取れる人などほとんどいないのだが、昔、お世話になった校長先生を始め、何人かの先生から断片的な話を聞くことが出来た。曰く、
「白紙に書いた原稿を輪転機に巻いて読み取らせると、隣の輪転機に巻いたロウ紙に『金属の爪』が写し取る」
「なんか筒みたいなものに巻いていた。」
「ファックスと呼んだ機械を使っていた。」
断片的な証言をつなぎ合わせ、さらにネットで調べる情報を総合すると印刷の歴史が浮かび上がってきた。
その昔は謄写版である。ロウ原紙と呼ばれる原紙をヤスリ盤の上に載せ、鉄筆で文字を書き版を作る。その版を謄写器に固定し、下に用紙をセットし、上からインクを付けたローラーを圧着することで印刷する。この謄写器は亡くなった祖父が持っており、戦友会の会報や名簿を印刷していたのを私も見ているので何となく原理は分かる。これまた文章でイメージが出来ない場合は画像を検索してもらうしかないのだが。ただ祖父が鉄筆で版を作っていたのは残念ながら記憶に無い。和文タイプライターで版を作っている姿は記憶しているのだが…。ロウ原紙とは別にタイプライター原紙というものがあり、和文タイプライターで版が作れたのである。そう、ここでも活字を打つのは和文タイプライターだった。なお祖父と一緒にヤスリ盤を買いに出かけた記憶はあるので、祖父が自分で原紙を切っていたのは間違い無く、たまたま見なかったか記憶に残らなかっただけである。
その後、謄写器は手回し印刷機、電動印刷機へと進化したが、版を作るのは手作業だった。つまり私の父母の小学校時代の先生は、1種類の印刷物を作るたびに、原紙を切って版を作っていたのである。(製版作業は原紙を「切る」と言われた。)
昭和31年頃に自動製版機が登場。左右のドラムに原紙と原稿を巻き付け、光センサーで読み取った原稿を電気信号にして送り、原紙に穴を開けるのである。おそらくこれが「白紙に書いた原稿を輪転機に巻いて読み取らせると、隣の輪転機に巻いたロウ紙に『金属の爪』が写し取る」「なんか筒みたいなものに巻いていた。」の正体。そして昭和42年、理想科学工業から感熱式製版機が登場。この商品名が「RISOファックス」、これが「ファックスと呼んだ機械を使っていた。」の正体である。
その後昭和55年にシルクスクリーン印刷機「リソグラフ」が登場。初代のリソグラフは製版機と印刷機が分かれていたという。昭和59年に印刷・製版を一体化、昭和61年からリソグラフはデジタル孔版印刷機となった。
言われてみれば思い出した。小学校の頃だったか中学校の頃だったか、はたまた教育実習のときだったか、印刷するときに機械で版を作って、その版を別の機械にセットして印刷した覚えがある。その版もかなり貧弱で、1学年分を印刷する前に破れてしまうので途中で製版し直した。もしかしたらこれが製版機と印刷機が分かれていた時代のリソグラフだったのか、もしかすると「RISOファックス」と電動印刷機だったのか、記憶が曖昧で今となっては分からない。
こうやって文章を書いていると、床に謄写器を広げ、戦友会の名簿を印刷していた祖父を思い出す。祖父は最後までワープロやパソコンを使わず謄写器だった。和文タイプライターは祖父が亡くなるより先に故障してしまい、私が貰い受けてきた。作った会社は存在するが、もう修理して貰えないらしい。稼働しないが今でもうちにある。謄写器は最後まで現役だったので貰えなかった。謄写器の印刷物には独特の味があった。あれこそ貰っておけばよかったと、今でも少しだけ思う。




