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影の錬金術師  作者: 犬野空
第一章 夜会に咲いた藍の蕾
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【001】毒の影と、最下層からの召喚

 王都ルミナス。その名の通り、光り輝く街の中心に聳え立つ王宮で、レティシア第一王女は完璧な仮面を被っていた。


「わたくしは、国民の皆様の繁栄のため、この契約を承認いたします」


 公務で書類に署名をするレティシアの表情は、どこまでも穏やかで、優雅だ。しかし、その内側では、絶え間ない痛みが彼女の体を蝕んでいた。


(また、毒の症状が……)


 数年前からレティシアを襲っている奇病は、治癒魔法も薬草も効かず、宮廷医師団は手の施しようがないと匙を投げた。彼らの誰もが「原因不明の難病」と診断したが、聡明なレティシアは知っていた。これは病ではない。王位継承権を持つ自分を静かに葬り去るための、宮廷内の毒殺未遂なのだと。


 感情を露わにすれば、それは弱みとなり、陰謀の徒につけ入る隙を与える。だからレティシアは、冷徹な仮面を被り続けた。常に国民の模範であり、誰にも頼らない、孤高の『太陽の王女』として。


 その夜。公務を終え、自室に戻ったレティシアは、仮面をそっと外した。鏡に映る顔は、昼間の優雅さとは裏腹に、疲労と、かすかな黄味がかった影を帯びていた。


「ハァッ……、ゴホッ、ゴホッ……!」


 激しい咳込みが喉を襲い、思わず手で口元を覆う。掌に溜まったのは、血の混じった微かな唾液。


(あと、どれくらい、もつかしら……)


 王族の誰が、どのタイミングで毒を盛っているのか、いまだに特定できていない。このままでは、国を狙う隣国の傲慢な婚約者候補や、宮廷の権力者たちに、すべてを奪われてしまう。


 レティシアは決意した。最後の賭けに出る。常識と魔法の枠外にいる、たった一人の男に。





 首都の薄暗い貧民街。王宮から最も遠い、光の届かない場所。


 アベルは、崩れかけた木造小屋の中で、ひたすら実験に没頭していた。彼の周りには、使い古されたフラスコや、貧民街で集めた薬草、さらには用途不明の鉱物片が雑然と並んでいる。


 彼は自らを『錬金術師』と呼ぶ。この世界では魔法が主流だが、彼は魔力を持たず、化学、薬学、そして論理的思考という、この世界の貴族や魔術師が軽視する知識を唯一の武器としていた。


「この薬草のアルカロイドを、特定の金属イオンと組み合わせれば、より強力な解毒剤になるはずだ……」


 カチャリ。ガラス器具を扱うアベルの手つきは、驚くほど正確で繊細だ。彼の知識は、その身分の低さにもかかわらず、多くの命を救ってきた。そして、その噂は、ついに王宮の奥深くまで届いた。


 扉が激しく叩かれたのは、真夜中のことだった。


「アベル!いるか!」


 王室護衛団の隊長が、汗だくになって立っていた。


「何の騒ぎだ、隊長。貴方方が私の小屋を壊すなら、当然対価をいただきますよ」


 アベルは振り返らず、冷静に言った。


「そんなことを言っている場合ではない!王女殿下がお前を召集している。いますぐ来い!」


「王女?身分制度の頂点に立つ人間が、最下層のゴミに何の用がある。断る」


 アベルは冷たく言い放ち、作業を続けた。王族や貴族に対する彼の不信感は根深い。彼らの依頼はいつも、己の傲慢を満たすためか、卑劣な陰謀の片棒を担がせるためだと知っている。


 しかし、隊長が発した次の言葉が、アベルの心を一瞬で引きつけた。


「彼女は、原因不明の毒に侵されている。宮廷医師団では誰も治せない!頼む、お前の力が必要なんだ!」


「毒……?」


 アベルの手が止まった。魔法でも治癒でもない、毒。それは、彼の化学の知識こそが真に必要とされる、論理的な謎だ。そして、それはアベルの知識欲と、底辺の人間に対する侮蔑を打ち破るチャンスでもあった。


 アベルは立ち上がった。


「案内しろ。ただし、私を召集した対価として、王女殿下には相応の契約を結んでもらう」




 レティシアがアベルと対面したのは、王宮の奥、人の目のない秘密の離宮の一室だった。


 豪華な調度品に囲まれた部屋で、レティシアは公務の時のドレスではなく、簡素な薄いガウン姿で座っていた。彼女の顔には、化粧で隠しきれない疲労の色が浮かんでいる。


 護衛団が退出すると、レティシアは静かに口を開いた。


「ようこそ、アベル。貴方がこの部屋に来たことは、王宮の誰も知らない。そして、私の病のことも、極秘事項よ」


 アベルは、王女の前に立ちはだかり、鋭い視線で彼女を観察した。


「私とて、貴族遊びに付き合う暇はありません。単刀直入に申し上げます。王女殿下は、ただの病ではありません。これは、金属錯体の蓄積による中毒症状と見て間違いない」


 レティシアの瞳が、驚きに見開かれた。


「……なぜ、それを」


 何人もの宮廷医師が「難病」としか言わなかったものを、この青年は一目で見抜いた。


「私の知識は、魔法より正確です。殿下は、ゆっくりと、しかし確実に、死に向かっている」


 アベルは冷徹に言い放った。


「治癒には相応の対価が必要です。私の対価は、金でも爵位でもない」


 レティシアは、疲労を忘れ、身を乗り出した。


「わかっているわ。貴方の望みは何?」


 アベルは、床に跪くこともなく、レティシアの目を見据えた。彼の声は、静かだが、鋼のように揺るぎなかった。


「この国の身分制度の改革を、私との契約として約束してください。私の知識が正しく評価され、貧民街の者たちにも、努力と能力が報われる社会を築くこと。それが私の報酬です」


 王女の目から、強い光が溢れた。それは、彼女自身が長年、王女の立場では叶えられないと諦めていた夢だった。この青年は、自分の命を救う力を持っているだけでなく、自分の魂の望みまで見抜いている。


「……いいでしょう。契約成立よ、アベル」


 レティシアは力を込めて頷いた。 


「私は貴方と、この国の未来を賭けた契約を結ぶ。そして、もう一つ」


 レティシアは、自らアベルの傍へ歩み寄った。そして、彼の顔に手を伸ばし、彼の冷徹な表情を和らげようとするかのように、そっと撫でた。


「貴方がこの契約を成し遂げ、私の命と国を救った暁には、わたくしは貴方に最高の報酬を贈る。わたくしの、心からの笑顔を」


 彼女の、冷たい仮面を外した素顔。その真摯な美しさに、アベルの心臓が初めて大きく脈打つのを感じた。


「承知いたしました、レティシア。私は、貴方の笑顔を報酬として、この命を懸けましょう」


 王女と最下層の錬金術師の秘密の契約が、ここに締結された。それは、身分差という名の毒を解く、愛と論理の戦いの始まりだった。

お読みいただきありがとうございます。


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