第一話 来店
「やぁ、ナディー。ご機嫌いかがかな?」
「また来たの?機嫌は普通だよ。トイフェル、お茶をお願い」
「分かりました」
また。その言葉どおり、この男が店に顔を出すのは実によくある事だった。
もはや定位置となった1人用のソファに腰掛けて、向かいに座る店主、ナディーの呆れた視線を受け止めている男は、人好きしそうな笑顔を浮かべたまま口を開いた。
「繁盛しているようだね。上も、君のことを気にかけていたよ」
「この店が繁盛すればするほど、世界が荒れている証明になるからね。そりゃ気にかけもするでしょ」
「違いないね。でも、君たちのおかげで最低限の秩序が守られているのもまた事実だ。悲惨な現場を見なくて済む分、ワタシとしても君に感謝しているんだよ」
「……どうだか」
本当に達者な口をしているんだから。
飲み込んだ言葉はきっと、この男自身がよくわかっているだろう。
国際魔法警備局アヴニール帝国本部所属、アンヘル・カルンヘラ。ナディーの高等教育学校時代の同期であり、試験では良いライバルとしてそれなりに切磋琢磨した男である。
誰にでも優しく、警戒心をいだかせ無い微笑みを常にうかべるアンヘルは、29歳にして魔法警備局の警部補に昇進している。若い警部補は世間から信頼を得やすいし、実際勝ち得ているのだよう。そうでなければ、こうも堂々とナディーの店を訪れることは出来ないだから。
「失礼します。お茶、おまたせしました」
「どうもありがとう、トイフェルくん」
「ありがとうトイフェル。ごめんなさいね、雑用係でもないのにあなたに頼んじゃって」
「気にしないでください!できて損は無いことですから」
お茶を運んできた少年、トイフェルはそう言ってニコリと笑った。
トイフェルは現在15歳。本来ならば中等教育学校に通っていなければならない年齢なのだが、過去の事情から通学を拒否している。学校に通わない分の勉学は、ナディーが師となり教えることで補っていた。
中等教育学校への通学を辞めてから日に日にに表情が明るくなっていたトイフェルを見ていただけに、アンヘルも特になにか口を出すわけでもなく見守っている。
トイフェルの入れた茶は渋みの強い茶葉を軸に使っているようだが、すっと通るフルーティーな香りが上手いこと絡み合っていて、中々味わい深い茶に仕上がっていた。
しばし茶を嗜んでいた二人の間に訪れた沈黙を破ったのは、この店の主であるナディーのほうだった。
「それで、今日は何の用?」
「……少し相談があってね」
「私は何でも屋の主人じゃないわよ」
念を押すようにナディーは言った。
アンヘルは、買取屋の業務から逸脱した“仕事”を持ってくることもある。優秀なナディーならばこなせてしまう仕事ではあったものの、本業から逸脱した仕事はあまり受けたくはないのだ。
そんなナディーの警戒をアンヘルもよく分かっているのだろう。彼は苦笑してから、分かっていると口にした。
「買取屋の中で最も高ランクの最高位を持つ君だから、話を持ってきた。とりあえず聞いてくれないかな?」
「拒否しても勝手に話して帰っていくくせによく言うわ……トイフェル、少し席を外してちょうだいな」
「分かりました」
「いや、トイフェルくんにも一緒に聞いていて欲しい」
「……なに?この子を巻き込むの?」
底冷えした声で問いかけたナディーに、アンヘルは過保護だなぁとぼやいて、ナディーの後ろに控えるトイフェルを見遣った。
「トイフェルくん、君は今いくつになったのかな?」
「え?この間15歳になりました、けど……」
「うん、そうだよね」
アンヘルの話の意図が読めず、トイフェルは困惑の表情を見せた。ナディーが大きく息を吐く。
「トイフェルくんは自宅学習をしているからあまり関係ないと思うかもしれないけど、15歳っていうのは中等教育学校の最終学年の在籍年齢でもある。未来に大きな影響が出始める高等教育学校に向けた最終段階の時期だ。買取屋の綺麗なところだけでなく、折り合いをつけないといけないようなところも知らなくちゃいけない」
「折り合いを、つけないといけないようなこと……?」
「今まで君に席を外してもらっていたのは、子供に聞かせるような内容ではなかったからだ」
「でも、あなたがこのまま私の弟子として買取屋を目指すのなら、いずれは触れなければならない内容でもある。…つまりこいつは、トイフェルを一足飛びに大人にさせたがってるのよ。まったく、嫌な大人だわ」
珍しく吐き捨てるようなナディーの口調を受けてもなお、アンヘルはいつもの優しい笑みを浮かべたままだった。いや、もしかしたら厳しい表情をしなくてもいいと思われているのかもしれない。
だって彼が所属しているのは国立警備局ではなく、世界各国でその力を奮うことの出来る国際魔法警備局なのだから。いくらナディーが優秀な魔法士であろうとも、国際的権力を持つ彼の前ではハエのようにあしらわれてしまうのだろう。
「さて、では早速、本題の話に入らせてもらうよ。ナディー、今回君には、この女の子の相手をお願いしたい」
「…コードネーム、ダグル・ララ…そう、ダグルの構成員、また捕まえたのね」
「ダグル?」
「世間を騒がせている国際盗賊組織の名前だよ。トイフェルくんが馴染みがある呼び方は、“根無し草”かな」
ぞわりとした悪寒が、トイフェルの背中を駆け下りた。
国際盗賊組織ダグル。
この国では“根無し草”と呼ばれる、手段を問わないなんでもありの凶悪組織だ。盗賊と名を関しているが、人を殺めることにも躊躇がないのだと聞いている。
国立警備局だけでは手が打てず、国際魔法警備局が各国に対ダグル専門組織を配備する程、“根無し草”は危険な組織だとされていた。
そんなダグルの構成員の相手を、買取屋という特殊な仕事をしているとはいえ、一般人のナディーに任せるだなんて正気の沙汰ではない。
「なんで、ナディーさんがそんな危険な組織にいた人の相手を……」
「買取屋はね、望んだ人の寿命を買い取ることだけが仕事じゃないの」
「え?」
おもわず、気の抜けた声が漏れた。
「警備局から依頼を受けて、凶悪な犯罪を犯した人間の寿命を取り出すことも仕事のうちよ。まぁ、今回はそういう仕事ではないんだけど」
「……今回は?」
「アンヘルが言ったこと、思い出してみて」
「えーと、……“今回君には、この女の相手をお願いしたい”、でしたっけ」
「そうだ。今回ナディーに依頼するのは寿命の取り出しではなく、ダグル・ララの“話し相手”になること。ダグル・ララはまだ若いから、更生の余地は十分にある」
「ナディーさんがその、ダグル・ララの話し相手?となる依頼を受けることは、ダグル・ララの更生と何の関係あるんですか?」
「いい質問だね」
にこり、と、アンヘルの笑みが深まった。
「ダグル・ララは君と同じくらいか、少し年下か、そのくらいの年の子どもだ。ナディーに頼むのは、彼女の心の中にどれほどの良心が残っているかの確認、といえばいいのかな。買取屋の特殊なカウンセリングを試してみて、意思の確認を行うんだ。もしかすれば、ダグル壊滅に一役買ってくれる人材となるかもしれないからね」
筋が通っているのか居ないのか、全くの素人であるトイフェルには判断がつきかねるけれど、少なくとも危険な仕事ではなさそうだった。
アンヘルがナディーに求めたカウンセリングは、買取屋が客に施す最初の施術だ。相手を一切否定しない、全てを認めてくれるあたたかい空気に呑まれた客は、心の奥底に眠る自分の意思と向き合うことになる。
一時の衝動で寿命を買取って欲しいと駆け込んで来る依頼主は少なくない。依頼主の家族との間に起こる余計なトラブルを防ぐためにも、最初に行うカウンセリングは必須項目なのだ。
「まぁでも、安心したわ。“お相手業務”なら外部仕事が初めてのトイフェルにも刺激は少ないし、危険性も低いから。抜き取り業務を持ってこられていたら、出禁措置くらいはとったかもしれないけど」
「出禁措置は厳しいな。でも、ワタシが出禁になったとしても、また別の同僚が来るだけだろうね」
随分な物言いに苦笑するアンヘルだったが、ナディーは据わった目を隠さない。どうだか、と思い切り溜息を吐いて、肘掛けに頬杖をついた。
「高等教育学校の同期だからって理由でゴリ押しでうちの担当になった人に言われてもね。ま、頭の片隅にでも置いておくわ。……あ、そうだ。トイフェル、あなたローブ持っていないでしょ?ちょうどいい機会だし、暫くはこの人に買ってもらいなさいな」
「ローブって、正装用のやつですか?」
いい事を思いついた、と言わんばかりのナディーに、あまりピンと来ていないらしいトイフェルが聞き返す。
「そう。思ったより早く表舞台に引っ張り出されるのよ、それくらい強請ってもバチは当たらないわ。ね、カルンヘラ警部補?」
「はははっ、まぁ、お祝いのようなものだからね。最初の一着か二着くらいは贈らせてもらおうかな」
「馬鹿ね、成長期真っ只中の子に一着二着で足りるわけないでしょ」
「そうなの?確かに前来た時より随分背が伸びてたからまさかとは思ってたな。なら、ちょっと大きめのやつを探したほうがいいか」
あの店なら売ってるかな、なんて言いながら、アンヘルは定位置のソファから腰を上げた。
「今日はこの辺でお暇させてもらうよ。トイフェルくん、ローブ楽しみにしていてね」
「え、あ、はい……」
「次はいつ来る予定なのかしら?」
「上手くいけば来週かな。最近少し立て込んでいてね、見込みが中々立たないんだ。申し訳ない」
「オッケー、予約で入れとくわ。来なかったらこの仕事受けないって、あなたの上司に釘さしておいてね」
「手厳しいなぁ。了解、伝えておくよ。それじゃあね」
ひらひらと手を振って、アンヘルは店を出ていった。カラン、とベルの主がなって、バタンと扉が閉まる。しばしの静寂が、店の中を支配した。
「…正装用のローブ、高いものなのに、なんだか申し訳ないです」
「あら、お金を持っていると証明できる相手じゃなきゃ、ローブなんて普通は売ってくれないものよ?子供相手なら尚更ね」
「そうなんですか?」
「えぇ。あなたが言った通り、正装用のローブは高いからね。社交界に出なくちゃいけない貴族の子供なら売ってくれるだろうけど、その支払いは親がやるものだから当然と言えば当然よね」
先程トイフェルが入れたお茶はすっかり冷めていたけれど、ナディーは気にすることなくティーカップを傾けた。
「第一、あなたは本当ならまだ外部仕事に出なくても良かったはずなのに、中等教育学校最終学年在籍年齢だからとか色々言って引っ張り出してきたのはアンヘルの方よ。あっちにもその負い目はあるっぽいんだし、素直に甘えときなさいな」
「は、はい…」