第21話 帰路
「さて……まあ、呼び方なんてどうでもいいんだが」
「どうでも良くありません! 私にとっては大切な事なんですっ」
ジュノーンが話を戻そうとすると、早速リーシャが抗議してくる。
名前の呼び方を決めただけで少しだけ距離が縮まった気がするのだから、不思議なものだった。
「まあ、ともかく、だ。いくら俺の傷が回復したところで、関所を俺一人で突破するのは不可能だ。現状、リーシャ王女──」
言いかけた時、リーシャがむっとした表情をしたので、言葉を詰まらせた。
「……リーシャをハイランドまで届ける事も無理だ」
言い直すと、リーシャはうむうむと嬉しそうに頷く。
名前の事で嬉しそうに頷いている場面でもないだろう、とジュノーンは若干呆れたが、青髪の王女はそれに異論を唱えた。
「えっと、その事については問題ありません」
「え? 問題ないって、どういう事だ?」
ジュノーンが怪訝そうにリーシャを見ると、そこには少し呆れた様子の王女がいた。
「先程、後でちゃんと説明するとお伝えしたじゃないですか。私がお話したかったのは、聖魔法についてではないんです」
王女の言葉に、ジュノーンは益々首を傾げた。
「そもそもの話になってしまうんですが……私はローランド領に入る際に、関所を通っていません」
「はっ?」
ジュノーンは思わず自らの耳を疑った。
ハイランドとローランドは国境を境に、等距離もある関所を通過せねば、行き来できない。また、近年対立が悪化した事から、その関所を抜ける許可は両国どちらも出さないのだ。
そんなさ中に相手国に入る事ができたとすれば……それは関所や国境の存在の無意味化を意味する。
「考えてみて下さい、ジュノーン。もし私が堂々と関所から入っていたら、その時点で大事になってると思いませんか?」
「それは確かにそうだが……」
だが、如何せん他に方法が思いつかない。そのような抜け道があるなら、必ずそこを巡る戦いが起こっているはずなのである。
だからこそ、ローランド首脳陣はリーシャの扱いをどうするか、あれほど悩んでいたのだ。また、彼女がどの経路から入ってきたのかについては想像すらついていない。
なお、リーシャはローランド陣には国境を通ったと伝えており、それを聞いた首脳陣は、その確認の為に関所の見張り兵を帝都に召集していたのである。
リーシャの脱獄は、そのほんのわずかにできた猶予の中で実行された。まさに、〝何か一つでもボタンを掛け違えていれば上手くいかなかった〟綱渡り状態だったのだ。
(とは言え、リーシャはどこから来たんだ?)
ジュノーンはハイランドとローランドの地図を頭の中で思い浮かべた。
ハイランドから関所を避けて国境を抜けるには、二つしか道がない。一つは東の〝魔の谷〟を抜ける事だが、リーシャ一人で谷越えをできるとは想像できない。
「まさか〝帰らずの森〟……?」
「正解ですっ」
消去法で出たもう一つの選択肢を半信半疑で言うと、リーシャが小さく拍手をした。
彼女は満面笑顔であるが、ジュノーンは到底その答えに納得などできなかった。
「バカな! あそこは一旦入れば出てこれない魔の森だろ? その証拠に、過去ローランド帝国からは何度か探索部隊を送ったものの、誰一人として帰って来なかったと記録がある。あの森を通り抜けるなんて不可能だろ」
それは、ジュノーンが生まれる前の話だ。戦争が長引くと懸念したローランドは、ハイランドへ奇襲をかけるべくして、何度か〝帰らずの森〟に兵を向けた事がある。
しかし、森を抜けた者も、帰った者もいなかった。誰一人としてその森から抜けた者などおらず、それ故に〝帰らずの森〟の近辺にはもはや誰も近付かないのだ。
「えっと……それは仕方ないと思います。あそこには結界が張ってあるんです」
「結界だって?」
「はい。その結界の中に普通の人が入ると、中から出てこれない仕組みになってます」
リーシャはジュノーンでさえも知らなかった新事実を事もなげに話した。
彼からしてみれば初めて聞く事で信じがたいが、実際に抜けてきたリーシャが言うのだから間違いないだろう。
「あの森には昔から、人間を忌み嫌う種族……エルフが住んでいて、彼らが森に結界を張っています。〝帰らずの森〟はエルフの里でもあるんです」
「何てこった。国境付近の森にエルフの里があったのか」
ジュノーンは驚きを隠せなかった。
彼は直にエルフを見た事はないが、このルメリア大陸にはエルフも生息しているし、実際に見た者もいるという。だが、その里がまさか自国領土内にあったとは、夢にも思わなかった。
「はい。本当は結界も解いてはいけないんですけど、ここしか道がないので……私が通る間だけ結界を解かせてもらっちゃったんです」
出る時にまた結界を張り直すのに少し時間がかかるんですが、とリーシャは頬を掻いて、微苦笑を浮かべた。
「エルフの結界なのに、そんなに簡単に張ったり解いたりできるものなのか?」
「うーん、どうなんでしょう? でも、そのくらいなら私でもできました」
マルファ=ミルファリアの子孫ことリーシャはあっけらかんとして答えた。
ここで、ジュノーンは彼女の言う『そのくらい』が『どのくらい』なのか知りたくなってきたところである。高名な司祭が何年もの修行の末にようやく会得したものでも、リーシャなら『そのぐらい』とやってのけそうな気がしてきたのだ。
「リーシャ……もしかして自力で牢獄を抜けられたんじゃないか?」
ジュノーンは疑いの視線を送るが、リーシャが両手を前に出して首を振り、慌てて否定する。
「そ、それはさすがに無理です。私ができるのは結界を解く事くらいですから。鍵みたいな物理的なものは、どうにもなりません」
「そうか、なら良かった。俺が助け損をしたのかと思ったよ」
「もうっ! ジュノーンったら、ひどいです!」
リーシャがぱしっとジュノーンの腕を叩いた。
半分は冗談っぽく言ったが、ジュノーンの本音でもあった。彼なりに一大決心のつもりでリーシャを助けたが、それが自力で出来ましたという話になれば、ジュノーンは今すぐにでもここから立ち去るだろう。
「よし……ともかく、関所を抜けるんじゃなければ帰れるな」
「はい。〝帰らずの森〟はすぐそこですから」
リーシャが地面に近辺の地図を書いて、〝帰らずの森〟がある場所を指差す。
子供っぽいところが散見される彼女であるが、しっかりとローランド領の地図を頭に入れた上で侵入していたのだ。やはり、ただの愚者ではなかった。
「それなら、早速行こうか。森に入る前にローランド軍に見つかったら厄介だ」
「はい、ジュノーン様っ」
「おい」
「えへへ、どっちがいいですか? 私はジュノーン様とお呼びするのも、結構気に入ってるんですけど」
リーシャはからかう様にジュノーンの顔を覗き込んで、楽しそうに笑っていた。
先程まで生きるか死ぬかという立場にあったのに、気楽なものである。こうして銀髪の美青年と青髪の王女は、ハイランドへ向かうべく、〝帰らずの森〟へと赴くのだった。




