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37.激情


「ユン――」


 その名を口にしかけて、有那はぐっと口をつぐんだ。ユンカースがキッと有那を睨んだからだ。

 ――危ない。きっと、知り合いだと悟られない方がいいのだろう。


(来てくれた……。ユンユンが、来てくれた!!)


 有那は喜びに泣き出しそうになった。ユンカースは髪も乱れ、ところどころ制服が破れていた。そんなボロボロのなりで、自分を追って来てくれた!


(いや、でもまさか一人!? えっ大丈夫? 腕っぷし弱そうだけど)


 ユンカースは武器も持たず、戸口に立ち尽くしている。持っているものと言ったら片手に抱えた分厚い本ぐらいだ。

 後ろ手に縛られて男にロープを引っ張られている有那にユンカースは険しい瞳を向ける。


「その人を解放してください」


「にっ、2000万ギールと引き換えだ! ……部屋の中央に置け。確認したらこいつを解放する。怪しい動きでもしやがったらこの女を()るからな!」


 数メートル先の足元を指差し、髭男が短剣を抜いた。それを有那の頬に近付けると男はゲヘヘと歪んだ笑みを浮かべる。


(キモッ! くさっ! てか怖い!!)


 嫌悪感と恐怖に有那が顔を背けると、ユンカースが威圧的に告げる。


「その北方なまり――グラキエスとの国境沿いの地域出身ですね。その服の刺繍はたしか……サガン族のもの」


「なっ――。なんで分かるんだよ!?」


「北方出身の商人とのやり取りに一度立ち会ったことがあるので。――なるほど、15年前のグラキエスとの戦で内通した部族か……。戦後に国から冷遇されて、金銭的に困って再びグラキエスの犯罪組織と結びついた……というところでしょうか」


「……っ」


 ユンカースの推測は図星だったようで、髭男がぐっと言葉に詰まる。有那は髭男に拘束されながらもユンカースを食い入るように見つめていた。


(うちのカレシの記憶力えっぐ……! 静かにキレてるのもかっこいい――じゃなくて、本当に身代金あるの? 時間稼ぎしてるだけ?)


 相変わらず動く気配のないユンカースは、抑揚のない声で続ける。


「オケアノス国内における動物の窃盗、特に馬は懲役5年。人攫いは最低でも懲役10年です」


「あ……?」


「そして人質に怪我を負わせれば、少なくとも10年が加算されます。程度によっては30年かもっと。死に至らしめれば――例外なく極刑です」


「なっ……」


 淡々と告げるユンカースに、髭男が気圧されたようにひるむ。ユンカースは背後を振り返ると再び髭男に向き直った。


「このあとしばらくしたら、ヴォルク将軍配下の兵たちがここを訪れます。……学のなさそうなあなたでも、勇猛な銀獅子将軍の異名は知っているでしょう。今から逃げたところで間に合いませんよ。彼の配下に捕らえられるのと、今ここで投降するのとどちらがいいですか?」


「ふっ……ふざけやがって……! 誰がわざわざ捕まりにいくか!」


「そうですか。投降すれば刑期も少し短くなったのに――残念ですね。聞く耳を持たぬ愚か者だったようだ」


 冷え冷えとした口調で告げるユンカースに男が気圧される。ユンカースはゆっくりと部屋の中央まで進むとジャラ……と音を立てて革製の袋を置いた。


「2000万ギールです。どうぞご確認を。ただし、彼女と引き換えです」


 ユンカースが有那に向かって手を差し伸べる。髭男は有那を引いて進むと、片手を革袋に、片手を有那の背を押してユンカースの方へと押しやろうとして――止めた。


「あっ!?」


 髭男が革袋を手に取ったその瞬間、有那は手首から繋がるロープを引っ張られた。ユンカースの方へと進もうとしていた有那の体は再び髭男に引き寄せられる。


「馬鹿め! 誰がそうホイホイと渡すか! こいつは金になる。もっとむしりとってやる――!」


「ユンユンっ!」


 再び離れていく有那を見て、ユンカースは動いた。右手に持っていた分厚い本を――国王から賜った辞書を、大きく振りかぶる。




 ――ユンユン、コントロール()~! さあ満塁の大ピンチ。ユンカース選手、振りかぶって――




(――投げる!!)


 初めて「きゃっちぼーる」をしたあの日有那に褒められたフォームのままに、ユンカースは鈍器にも等しいその辞書を髭男の顔面目がけて投げつけた。


「――ぐほっ!!」


 狙い通り、辞書という名の鈍器は男の鼻面にクリーンヒットした。思わずロープを離した男の隙を見逃さず、ユンカースが有那を引き寄せる。


「アリナさんっ……!」


 ユンカースが指笛を吹いたのと、男が手にした短刀をめちゃくちゃに振り回したのがほぼ同時。

 ユンカースに固く抱きしめられたまま引きずられるように小屋の外に連れ出され、有那とユンカースはもろともに地面に倒れ込んだ。その横を、複数の軍靴が素早く駆け抜けていく。


「――突入! 逃げたもう一人も捕らえろ!! ユンカース君、下がって!」


「……っ、はい!」


「……よし、無事だね。良かったー! これで怪我でもさせてたらオレが将軍に怒られるとこだったー!」


 地に伏せたまま仰ぎ見ると、見知らぬ茶髪の軍人がニカッと笑って小屋の中へと入っていった。



「えっ……と。あの――」


「…………」


 状況がさっぱり分からない有那が起き上がってユンカースを見上げると、彼は有那の背後に回り込み手首を掴んだ。無言でザリザリとロープを断ち切られながら有那は問いかける。


「あっ、カイトは!? 無事なの? 家着けた?」


「カイトは自力で帰ってきました。怪我もなく、ミネルヴァさんが見てくれています」


「そっか。良かったぁ~!」


 一番気になっていたことを教えてもらい、有那は安堵で脱力した。やがてロープが断ち切られ、両手が解放される。


「ユンユン、ナイフとか持ってたんだ」


「護身用です。服の下に隠していました。僕だって完全に丸腰で乗り込むほど馬鹿じゃないです」


「いや、さりげに鈍器も持ってたじゃん……。てかあれ、王様の辞書じゃないの? 宝物なのにあんな使い方しちゃダメ――」


「アリナさん!」


 正面に座ったユンカースが吠え、有那はびくっと肩を波立たせた。見上げると、ユンカースが今まで見たことがないような怖い顔で有那を睨んでいる。


「僕は、怒ってるんですよ! なぜ泥棒に立てついたんですか! 諦めて手放せとあれほど言ったのに……! カイトまで危険に晒して、本当に万一のことがあったらどうするつもりだったんですか!?」


「ご……ごめん」


「知らせを聞いて、僕がどんな気持ちで追ってきたか――。生きた心地がしなかった! 短剣を突き付けられるあなたを見て、僕はあいつを殺してやろうかと思った……! あんな、あんな思いは二度とごめんだ!」


 むき出しの激情をぶつけるユンカースに有那は圧倒され、身が竦んだ。

 ユンカースの表情が怒りから恐怖、そして泣き出しそうな顔に変わるのを見て有那は傷付いた手をユンカースに伸ばした。その頬を両手で包み込む。


「ごめん……。心配かけて、本当にごめん。もうしないから――」


「……許しません」


「え? ――んぶっ!?」



 小屋の中の髭男を拘束し、オルニスたちが出てきた。向こうの木立からはもう一人の犯人が同じく兵士に連行されてくる。

 そんな精鋭の男たちがわらわらと集まってくる中で、ユンカースは有那の顎をがっちり掴むと噛みつくように口付けた。


「んッ!? んむーっ!!?」


「あー……。うん、後ろ向こっか」


 兵たちの視線などものともしないような濃厚なその接吻に、オルニスは部下たちにそっと背中を向けるよう促した。




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