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30.堅物書記官の苦悩


 翌朝、ユンカースは目覚めると洗顔と朝食のためにゆっくり1階へと降りていった。


「いて……」


 昨日海渡と有那と一緒に「ヤキュー」をしたせいか肩と二の腕の裏側が重く痛い。

 発端は自分が、「最初に言われた『ヤキューちーむみたい』ってどういう意味ですか」と聞いたことだった。それで遊びと説明を兼ねて、有那お手製の小さな球で「きゃっちぼーる」なるものをしたのだ。

 そこでユンカースは、意外と自分がコントロール力が良いということを初めて知った。


(思ったより楽しかったけど、腕をやられたのは誤算だった……。仕事に支障が出ないようにしないと)


 運動不足だろうかと日頃の生活を反省しながら、ユンカースは住人用の食堂の扉を開ける。



「あ――。おはようございます」


「ああ、おはよう。……今日は早いんだね」


「はい、早番なので……」


 食堂ではミネルヴァが一人で朝食を取っていた。ユンカースが挨拶すると厨房に引っ込み、パンと目玉焼きとコーヒーを出してくれる。


「ありがとうございます。……いただきます」


 ミネルヴァも再び席に戻ると食事を続ける。テーブルの対角線上で、二人はいつも通り黙々と手と口を動かした。


(――あ。今が機会なんじゃないか?)


 いつもより起きるのが早かったから、まだ有那もレーゲンも降りてこない。ユンカースは急いで皿を綺麗にすると、食後のコーヒーを飲んでいるミネルヴァに話しかけた。


「あの、ミネルヴァさん。少し話があるのですが」


「なんだい。アリナとのことなら改まった話はいらないよ」


「いえそうではなく――。……えっ!? あっ……、アリナさんからもう話があったんですか!?」


 うっかり否定したあと、ミネルヴァの口から告げられた言葉にユンカースは目を剥いた。ミネルヴァは「何を馬鹿なことを」と言わんばかりの冷めた目でため息をつく。


「違うよ。見てりゃあだいたい分かる」


「えっ。……僕、そんなに分かりやすかったですか……」


 そんなに浮かれた顔をしていたのだろうか。……恥ずかしい。

 ユンカースが口を押さえると、ミネルヴァは呆れた視線を向ける。


「お前さんはともかく、アリナがね。……お前さんがいりゃあ目で追うし、犬みたいに寄ってくし、いなきゃいないで恋する乙女みたいな顔してるし。仕込みしながら『うへへ……ヤバッ。キャー!』なんてダンダン包丁でまな板叩いてる姿を見てごらんよ。誰だって恋してんだなって分かるさ」


「…………」


 ご丁寧に有那の声真似をしたミネルヴァがやれやれと手を振る。自分の不在時の有那を想像してユンカースもまた無言で赤くなった。


「それは……失礼しました。あの、ご報告が遅くなってすみません」


「別に報告してくれなくても良かったんだけどね。お互いいい歳なんだ、好きにしな。……ああ、アリナにも言ったがそこいらでサカるのだけはやめとくれよ」


「さっ……! ――しませんよ!」


「どうだかね」


 フンと鼻で笑ったミネルヴァが食器を持って立ち上がる。ユンカースに背を向けて小柄な老女は言い放った。


「無責任に孕ませるような同じ(わだち)だけは踏ませるんじゃないよ。相応の覚悟を持って付き合うことだね。別れたらお前さんが出ていくんだよ、ユンカース」


「……手厳しいですね」


「フン。アタシはガキには甘いのさ」








 その日の夕方、ユンカースは仕事を終えると城門へと足を向けた。しばらく待っていると、野太い笑い声と共に屈強な男たちが控室から出てくる。


「じゃあな、レーゲン」


「はーい、またねぇ。――きゃっ!?」


「レーゲンさん。……少し付き合ってもらえませんか」


 同僚と別れたレーゲンは、待ち伏せをしていた眉目秀麗な若い文官の姿に野太い声で乙女な悲鳴を上げた。




「ちょっとあんたねえ、びっくりしたじゃないのよ! 私はともかく、同僚たちは気が荒いのもいるんだから、お綺麗な文官様なんて急に来たら難癖つけられるわよ!」


「え、うちの城の治安ってそんなに悪かったんですか」


「冗談よ! ……急にどうしたの? あんたから誘うなんて初めてじゃない?」


「…………」


 突然レーゲンの前に現れたユンカースは、思いつめたような顔でレーゲンを飲みに誘った。連れてこられたのは前回も来た男だけの怪しい店だが、くねくねと寄ってくる女装美人にも今日のユンカースは反応しない。

 言葉少なにエールを飲むユンカースをレーゲンは長いまつげの下の目で見つめた。


「どうしたのよ~? 上手くいったんでしょ? アリナからなんとなく聞いてるわよ」


「それは――。はい、おかげさまで……」


「まあご馳走様。ねえねえ、昨日あの服着てきたんでしょ? 良かったでしょ~」


 レーゲンがニヤニヤと笑みを浮かべ、ユンカースはうっと詰まった。彼は必要もないのに眼鏡の位置を直すと、ほんのり染まった顔でぼそっとつぶやく。


「……はい」


「キャー! あんたたち、カワイイ! そういうのが見たかったのよ~」


 度数の強いアルコールのグラスを置いたレーゲンが拳を握って身悶える。ユンカースは口ごもりながらぼそぼそと続けた。


「その……思いのほか、似合っていて。最初、誰かと思いました」


「でしょうね~。でもあの子、顔派手だけど整ってるから意外になんでも似合うと思うのよ。またあの系統の服、買ってあげちゃおうかしら。うふっ!」


 指を組んだレーゲンがキラキラした目で夢想する。ユンカースは酒を含みながら昨日の有那を思い返していた。


 ……そう、驚いた。普段とまったく系統の異なる服を着た有那に。そしてそれが意外なほど似合っていたことに。

 レーゲンから聞いた有那いわく「彼氏が好きそうなこーで」だそうだが、なるほど恐ろしいほどユンカースの、自分でも知らなかった心の琴線に触れた。不可解な動揺により、しばらく有那を直視できなかったほどだ。


「でも、僕……最初は似合ってると思ったんですが、話しているうちにだんだん『なんだか物足りない』とも思ったんです。……おかしいですよね? 他人ならともかく、恋人の露出なんて少ない方が絶対いいのに」


「……あら」


「ヘソ出して、あんな危なっかしい格好してるのに……僕、そっちの方がアリナさんらしくていいなんて思っ――」


 そこまで言って、ユンカースははっと口を覆った。無言で見上げると、レーゲンがうっとりした目で見下ろしている。


「すみません今のは忘れてください!」


「嫌よ! 言質取ったから! ふーん、そぉ。ありのままのアリナの方がいいのね~。……愛ね」


「や、やめて下さい」


 顔を近付けて迫ってくるレーゲンをユンカースは軽く押しのけた。……まずい。ほろ酔いで言わなくてもいいことまで言ってしまった。

 赤い顔で困惑したユンカースはしばらく沈黙したあと、ちらっとレーゲンを見上げる。


「あの……恥ずかしい思いをしたので、この際一つ質問があるのですが」


「なあに?」


「その……女の人って、あんなに急に見え方が変わるものなんでしょうか。アリナさんが何か変わったわけじゃないのに、なんだか最近、ふとした瞬間にすごくかわ――。…………」


 途中まで告げて、やはり恥ずかしくなりユンカースの声が途切れた。視線を逸らして俯くと、レーゲンが穏やかに言葉を続ける。


「……可愛く、思える?」


「……っ。はい……。別にいつもじゃないんですけど……たまにすごくかわ…いくて……」


 レーゲンが見つめるとユンカースは口を覆い、目をつぶってしまった。言うんじゃなかったと後悔している顔だ。

 レーゲンは激しい胸のときめきに感謝した。こんな身近にこんなにじれったく悶えさせてくれる相手がいるなんて!

 ニマニマと震える唇を隠しきれないまま、レーゲンは告げた。


「それはアリナもだけど、あんたが変わったのよ。そういう気持ちを、『愛しい』って言うの。そのまま言ってあげればいいじゃない、可愛いって。きっと喜ぶわよ」


「む…無理ですよ……」


「できるできる。『しごできユンユン』ならできる!」


「ちょっと、あの人の真似するのはやめて下さい……!」


 うりうりと顔を近付けてくるレーゲンを手で押しのけ、ユンカースはエールをまた口に含んだ。

 暗い店内とアルコールでふわふわと思考がまとまらない。


 有那の顔が思い出される。久しぶりの酒を美味そうに飲み干す姿。親離れできるだろうかとベショベショに泣いた顔。ユンカースに気付いて明るい笑顔で寄ってくる姿。口付けたあと、赤面して照れる――意外なほど女らしい顔。

 ……会いたい。ユンカースは口を覆うと止まらぬ感情の奔流にうなだれる。


「僕……馬鹿になってますよね……。こんなわけの分からない質問して――」


「しょーがないわよ、馬鹿にもなるって! 初めての恋ならなおさらよぉ」


 レーゲンがバンバンと肩を叩く。屈強な大男に叩かれる痛みに理性を少し取り戻すと、ユンカースは続けた。


「僕――こうなってから、時々自分が分からなくなるんです。あの人、過去に嫌な思いをして……だから僕は、彼女を大事にしたいんです。怖がらせたくない。……だけど、急に理性が危うくなる時があって――」


 有那と二度目に口付けをしたとき、そして昨日もそうだった。

 有那の言葉で、もしくは表情で、ふいにガクッと理性が揺らぐことがあるのだ。そして衝動的に彼女に触れてしまう。


 男に急に触れられることが苦手な有那を怖がらせたくないのに、はっきりとした男の欲を彼女にぶつけてしまいそうになる。ユンカースはそんな自分が怖かった。


「まあ、男だからねえ……」


「僕……おかしいですか」


「いや普通でしょ。よく我慢してる方よ。私だったら食っちゃうわよ。……それとも、私で練習しとく?」


 低いささやきと共にスリ…と頬を撫でられ、ユンカースは後ずさった。ぞわっと鳥肌を立てた若く生真面目な青年にレーゲンは破顔する。


「なーんてうっそー。やーん、カワイイ! 今初めてもったいないと思っちゃった」


「冗談はやめて下さいよ……!」


 ほろ酔いが吹っ飛んだらしいユンカースが叫ぶ。レーゲンはグラスを飲み干すと、バンとユンカースの背を叩いた。


「さ、帰りましょ! 今日はまだ会ってないんでしょ? おやすみの接吻でもブチかませ!」


「無理です……!」




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