29.ギャル母、清楚系に擬態する
それからさらに二週間後。ウーマーイーツを始めてから一月あまりが過ぎ、有那は貯まってきた売り上げを預けるために銀行口座を開設することにした。
しかしこの国では口座を開けるのは身元の保証された貴族や大商人に限られており、世にも珍しい「恵みの者」であっても口座が作れるかどうかはグレーゾーンとのことだった。
そこで有那はユンカースと休みを合わせ、銀行まで同行してもらうことになった。
(売上金みんな手元に置いとくとか怖くない? 知らないうちに使っちゃいそうだし。今使わない金は預けとかないと自分が信用できん)
この先、海渡が成人するまでどのぐらいお金がかかるのか分からないが、少しずつでもコツコツ貯めていこう。有那は鏡を見てヘアセットしながら気合いを入れる。
「……よし。鼻毛出てない、アホ毛出てない、巻き髪オッケー!」
銀行は雰囲気的に子連れでは行きづらそうとのことで、事情を話して海渡は保育室に先に預けてきた。
階段を下りて玄関を出ると、ユンカースが先に立って待っている。その姿勢の良い背中に有那は呼びかける。
「ユーンユン、おはよー」
「おはようございます、アリナさ――、えっ!?」
「へへ……」
振り向いたユンカースがぎょっと目を見開いた。有那の頭からつま先を眺め、茫然と口を覆う。
その反応に有那は心の中でガッツポーズを掲げた。
今日の有那はギャルではなかった。レーゲンにプレゼントしてもらった柔らかなブラウスにハイウエストのロングスカートという超清楚系のコーディネートだ。
髪は一晩かけてゆるく巻いてハーフアップにし、さらには薄化粧風メイクでウルウル涙袋まで作ってやった。露出を極限まで減らした、普段とまったく異なる装いの有那にユンカースは絶句する。
「ど、どう……?」
「お…お腹でも痛めたんですか……? 冷えて」
「いやちげーし。……レーゲンが選んだ『カレシが好きそうなコーデ』だよ。まあたぶんユンユンを想定してたんだと思うけど」
「ぼっ、僕ですか!?」
「うん。……こーゆーの、嫌い?」
こぶしを緩く握って、きゅるん、と口の前に掲げるとユンカースが「うっ」と詰まる。その悪くない反応に有那は内心でほくそ笑んだ。
「……好きなんだあ。ふーん」
「……っ! 別にどんな格好をしていても、あなたはあなたですよ」
有那がからかうと、ユンカースは少し顔を赤らめて視線を逸らした。有那はニヤニヤと湧いてくる笑みを隠しきれない。
「良かった、気に入ってもらえて。……さ、行こー!」
「……っ! えっ――」
有那はユンカースの腕に自分の腕を絡ませると歩き出した。突然の接触にユンカースがびくっと固まる。
「ちょっと、アリナさん。こんな往来で――」
「いーじゃん。なかなかできないんだし。……ダメ?」
「っ……」
腕に引っ付きながら上目づかいに見上げると、ユンカースが言葉に詰まる。ウルウル涙袋のパワーなのか、彼は有那を見下ろすとしばらく迷ったあとに顔を上げた。
「……歩きづらいです」
「ひどっ。……ちえー、ダメかー」
人前での接触は嫌うタイプだったか。有那が諦めてするすると腕をほどこうとすると、ぱっと手が取られた。
「あまり密着されると歩きづらいですが……これなら――」
「……え」
きゅ、と手が握られ、ユンカースがうっすら赤い顔で有那を見下ろした。
有那はぽかんとその顔を見上げると、一度指をほどいて一本ずつ絡め直した。手のひら同士を密着させるとユンカースがまた固くなる。
「こっちの方がいいな。……ユンユン、可愛いじゃん」
「うるさいですよ……」
眼鏡をくいと押し上げ、ユンカースが無言で歩みを進める。子連れではなかなかできない、普通の恋人同士のような距離感に有那は満足しながらゆっくりと歩いた。
「へへへ……初めてのデートだね。嬉しい」
「でーと?」
「んー、恋人同士のお出かけ? みたいな」
「用事があるから外出してるのですが……。お出かけとは違うような」
「いーの! 二人で行けばデートなの。誤差だって」
「誤差って……」
銀行への道すがら、二人は他愛ない話をしながらゆっくりと進んだ。やれあそこの工事現場でたくさん注文してもらえただの、やれ注文数が増えてきたから今度レーゲンの休日に手伝ってもらうだの。
ほとんど有那がしゃべっているのをユンカースがうなずきながら聞く。そんな二人は中流階級の新婚夫婦のようだった。
銀行の手続き自体は、ユンカースが国王直筆の証明書を用意してくれたおかげで難なく終わった。一応相手の信用を得る目的も兼ねてこの清楚コーデにしたのだが、あまり意味はなかったようだ。
ちょうど昼時になってしまったため、二人は飲食店の多い通りへと足を向けた。
「何か食べていきましょうか。何がいいです?」
「辛いもの! カレー、スパイス、麻辣味! カイトと一緒だと行けないとこがいい!」
「マーラーってなんですか……。分かりました、たしかフランマ国の料理を出す店があったはず……」
「それって辛いの?」
「ええ、とても。僕も一度行ったきりですが」
ユンカースが案内してくれたのは、内陸のフランマという国の郷土料理を出す店だった。スパイスの効いた刺激的な味付けが特徴で、真っ赤に煮立ったスープを前にして有那は満面の笑みを浮かべた。
「からーっ! うまっ! 辛くてウマい! 汗出る~!」
「そうですか……。すごい色ですね」
「これでブラウスにシミ付けたら恥っずいね。気を付けなきゃ……うんまぁー。幸せ~」
ハフハフと息を吐きながら中の具を食べる有那を、正面に腰かけたユンカースが少々引き気味の目で見つめる。彼はあまり辛いものは得意でないようで、辛くないスープを注文していた。
「ごめん、あたしばっかガツガツ食べてて。ユンユンも気にせず食べてね」
「はい。……辛いもの、好きなんですね」
「基本なんでも食べるけど、たまーにすっごい辛いのが食べたくなるんだよね~。カイトも食べる料理には入れらんないじゃん? だから、向こうでも一人で昼に食べに行ってた。あとは辛いもの好きな友達を誘ったり」
「そうですか」
白いブラウスの、いかにも淑女然とした格好で庶民的な激辛スープをかき込む有那は不釣り合いではあったが、ユンカースはおかしいとは思わなかった。むしろ、美味しそうに食べるなと感心していた。
「あー、なんかジャンクなものが懐かしくなってきた……。ピザとか食べたいなー。意外と簡単に作れるかも」
「アリナさんは好きな食べ物がたくさんあるんですね」
「うん。あとね、あたしフラッペが好きなの! 季節ごとに新作が出るから、そのときだけはカフェ行ってー」
有那は元の世界で好んで食べていたものや好きなカフェの話をした。生活に余裕がない中でも海渡と分け合った、ささやかな贅沢を。
グラデーションに爪紅を塗った指を組み合わせて楽しげに語る有那を、ユンカースが穏やかな目で見つめる。
「あとタピオカも好きなんだ。ミルクティーもいいけどあたしのオススメは烏龍茶ベースでー。そこにミルクフォームを乗せるのが美味しいんだよねー、カイト。……あっ」
有那が横を振り向き、はっと口を押さえた。ぽっかりと空いたその席にはもちろん誰も座っていない。
「ご、ごめん。いつものノリで……」
「いえ……」
「今は二人なのにね……。あは、やっぱ子持ちが清楚系に擬態するのは無理があったかぁ……」
二人きりの時間に水を差してしまった後ろめたさに有那が苦笑すると、ユンカースは穏やかに微笑んだ。
「奇遇ですね。あなたと二人の時間も新鮮で楽しいですが――僕も、なんだか少し物足りないとも思ってたんです。ここに彼がいないと……僕もちょっと、寂しいです」
「……ユンユン」
「おかしいですよね。僕は親じゃないのに。――あ。あなたと二人の時間がつまらないという意味じゃないですよ。これはこれで大事ですが」
「うん……分かるよ」
「でも今日は、僕はもう十分堪能しましたから――」
ユンカースが伝票を持って立ち上がる。振り向くと、彼は有那に手を差し出した。
「カイトを迎えに行きましょう。時間ができたら『ヤキュー』を教えてもらう予定だったんです」
レストランから保育室のある侯爵邸までは、歩いていける距離だった。再び手を繋いでしばらく歩くと侯爵邸の生け垣が見えてくる。
無意識のうちに歩みが遅くなり、有那の口数は徐々に減っていった。
(あー……デートもこれで終わりかぁ……)
二人の総意で海渡を早めに迎えに行くことにしたのに、終わりが迫ると急に「もう少し二人でいたかった」という気持ちが顔を出す。
一番は海渡なのに、母親に戻らなければいけないのに、もう少しだけ――と思ってしまった。
(ダメじゃん。恋に盲目なシンママとかほぼほぼ悲劇フラグだって。ユンユンだってカイトのこと考えてくれてるんだし、笑顔で――)
「――アリナさん」
「ふぁいっ!?」
有那が顔を上げたのとユンカースが話しかけてきたタイミングがかち合い、思わず声がひっくり返った。人通りの少ない路地で足を止めるとユンカースも驚いた顔で立ち止まる。
「だ、大丈夫ですか」
「う、うん! ごめんビックリして。……なに?」
「あの、今日帰る前にこれをと思って――」
そう言ってユンカースがポケットから出したのは、小さな紙袋だった。受け取って手のひらにひっくり返すと、丸い金属がコロンと二つ転がる。
「え……。ピアス?」
「はい。前に街を歩いているときに見つけて、その、あなたに似――。…………」
説明途中でユンカースが口ごもってしまった。照れ臭そうに口をつぐんだ彼の言葉の先を有那は代弁する。
「似合いそうだと思って……?」
「……はい……。あ、でも今日の服装には似合わない……ですね。すみません」
「そんなことないよ。……これ、月? 赤い石ついてる……かわいー」
金色の平べったい輪っか状のピアスの真ん中に赤い石が揺れている。輪の下にも地金のモチーフがきらめき、民族調のデザインが非常に有那好みだ。
「あ、僕は太陽みたいだと思って――」
「太陽……」
つぶやいて日の光にかざすと、なるほど円形と透明な赤い石が陽の光のように見える。そんなデザインのアクセサリーを似合いそうと言われ、有那は赤くなった。視線を戻すとユンカースもどこか恥ずかしそうにしている。
唇が勝手に緩み、有那はピアスを胸に抱くと小さな声でつぶやいた。
「あたし、カレシにプレゼントとか貰ったの初めて……。……すごい嬉しい。ありがとう」
「そんな――特に高価なものでは……」
「値段とか関係ないよ。ユンユンがあたしのこと考えて選んでくれたってのが、嬉しい。……大事にするね」
「……っ」
にこっと微笑むと、ユンカースの頬が染まる。人気のない路地で有那はふいに肩を引き寄せられた。
「あ――」
「……すみません。少しだけ――」
抱きしめられ、ユンカースの腕の中にすっぽり収まる。ユンカースは頬を有那の髪に押し付けると深く息を吐いた。
「すみません……。しばらく、顔を上げないでくたさい」
「……? なんで?」
「見られたくないんです。今の顔。……たぶん、すごく情けない顔してるから――」
ユンカースの声に引かれ、有那はその言葉に逆らって顔を上げた。腕の中から見上げると、ユンカースはうっすら顔を赤らめて眉を下げ――どうしたらいいか分からないというような顔をしていた。
視線を逸らす、その困りきった表情に有那の胸は強く疼いた。
「見るなって言ったのに……ひどい人だな」
「だって見たいもん。……情けなくなんかないよ。サイコーじゃん。最高にカッコよくて可愛いあたしのカレシだよ。……大好き」
背伸びをしてユンカースの頬を包むと、有那は素早くその唇に口付けた。チュッと音を立てて離れると、目を見開いて赤くなったユンカースにニッと笑いかける。
「チャージ完了! 満たされた〜。さ、カイト迎えに行こ!」