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1.ギャル母、異世界転移する


 光浦有那(みつうら ありな)は、その日ご機嫌だった。

 久しぶりの晴れた休日で、気力もみなぎっている。朝からボリュームたっぷりのサンドウィッチを作って平らげると、食後の歯磨きをしている息子の海渡(かいと)に声をかける。


「自分から歯磨きするなんてエラいじゃーん。さっすがあたしの子。ねーカイト、公園にサッカーしに行く?」


「……いく」


 シャカシャカとテレビのお手本みたいにじっくり歯磨きをしている息子は、一拍間を置いた後にぼそっとつぶやいた。洗面台に向かう、その少し伸びぎみの襟足を見て有那はニコニコと微笑む。

 先日5歳になった息子の海渡は、口数少なく表情もあまり豊かではないが、決して感情が乏しいわけではない。今も有那が声をかけたら歯磨きのスピードが速まった。これは、嬉しくて早く行きたいという気持ちの表れだ。


(ちょーっとシャイなだけだよね。うんうん、悪くないよー。おしゃべりならいいってモンでもないし)


「かーちゃん。こないだのボール、使っていい?」


「もっちろん。そのために誕生日にあげたんだし。上手くなって選手になるんでしょ?」


「うん。そしたらかーちゃんに、デカい家プレゼントするから」


「……っ!!」


 ぼそっと照れ臭そうにつぶやかれた言葉に有那は口を覆った。まだまだ小さくて細いその体を抱きしめると、ぐりぐりと頭に頬ずりをする。


「イケメン……! 性格がイケメン! 尊い!」


「ちょっ……! いたい、かーちゃん! 耳のやつあたる……!」


「あ、メンゴメンゴ。ピアスつけっぱだったわー」


 軟骨のフープピアスが食い込んでしまったらしい。海渡の肩を離すと、息子は迷惑そうな顔をしながらもまんざらでもなさそうだった。

 狭いアパートの一角に設けたお着替えスペースで靴下を履くと、海渡は帽子をかぶって玄関に急ぐ。


「かーちゃん、いこ」


「ういーっす。……あ、ちょい待って。そのまま出かけたいから荷物持ってく。カイトの着替えも入れなきゃ」



 有那は25歳のシングルマザーだ。わけあって結婚歴もないが、海渡が生まれてから5年、それなりに苦労はしてきたが今はわりと幸せに暮らしている。


 ストレートの長い髪をなびかせ、有那は階段を駆け下りる。

 明るい栗色の地毛に前髪には金のハイライトが光り、メイクはバチバチ。短めのトップスにワイドのダメージデニムをまとった姿はどこから見てもギャルだ。若干トウは立っているが。

 しかしそんな有那が向かうのは繁華街でもクラブでもなく、近所の公園だった。


(公園サイコー。タダだし、体力発散して夜すぐ寝てくれるし、何より世界一のイケメンと一緒だし!)


 貯水池の角を曲がればすぐそこが公園だ。すると少し先を歩いていた海渡が声を上げた。


「あっ! ボール……!」


「ん? あっ、待って!」


 海渡が手に持ったサッカーボールが転げ落ち、貯水池に向かっていった。それを海渡が追いかけ、有那は慌てて叫ぶ。


「カイト! 入っちゃだめ!」


「でもかーちゃん! ボールが……!」


「んなモンどーだっていいよ!」


 ちょうどフェンスが切れているところにボールが吸い込まれ、海渡がそれを追う。有那の静止も聞かず、海渡は貯水池に足を踏み入れてしまった。


「バカバカ! 上がれって!!」


「わっ……!」


 間一髪、水際で海渡の手を掴むと有那はコンクリートブロックに引っ張り上げようとした。だが足元のコケに足を取られ、バランスを崩してしまう。


「やばっ……! カイト!」


「かーちゃん!!」


 海渡を腕に抱え込むと、二人はもろともに貯水池に倒れ込んだ。冷たい水に頭まで浸かり、有那は海渡を片腕に水中でもがく。


(くっそ……! だから貯水池には近付くなってニュースで言ってたじゃん……! なんでここだけフェンスないんだよー! 税金ケチんな!)


 水際ならそれほど水深も深くないはずだが、なぜかいくらもがいても足が底につかない。まだ泳げない海渡の顔を必死に水面へ押し上げながら、有那は嫌な予感にぞっと震えた。


(え、これ上がれなかったら死――? ……イヤだイヤだイヤだ! せめてカイトだけで、も……っ)


 海と違って波もないから上陸できなくとも浮いてはいられるはずなのに、体がどんどん水底に引きずり込まれる。有那にしがみ付く海渡と共に、二人は深い水の底へと沈んでいった。






「――で、ブハーッてやっと浮上して息できたと思ったらいきなり景色変わっててー。ここどこ? あたし誰? みたいな。とりまカイト抱えて水から上がったら、そっちからお迎え来ててマジビビったよね。出待ちかよって」


「……はぁ」



 ――そして今、大理石でできたどこぞの館の大広間である。

 

 陸に上がった有那たちを待ち受けていたのは、ファンタジー漫画みたいな変な服を着た複数の男たちと、見たこともない中世のような景色だった。


 「また恵みの者だ……!」と口々に叫んだ彼らは丁重に有那と海渡を介抱すると、馬で街中の屋敷へと連れ帰った。

 不安そうな海渡を抱え、馬上で有那は(あたし公園じゃなくて夢の国に来ちゃったんだっけ……)と現実味のない光景を眺めていた。


 そして服も乾いた頃にこの広間へと連れ出されると、満を持してといった感じでローブをまとった中年の女性が現れた。ショーの海外キャストかと思うほど、現実離れした美貌と迫力を持つ彼女を有那は心の中で美魔女と呼んだ。


 開口一番、ここに来た経緯を話せと言われたので有那が覚えている限りのことを矢継ぎ早に話すと、美魔女は呆れたように眉をひそめた。

 年齢不詳だが、たぶんアラフィフはいってる。ふくよかなわがままボディーではあるが目鼻立ちは恐ろしく整っていて、若い頃はものすごい美人だったのだろうと推測された。


(てかメイクバチバチに盛ってんな。……あ、このアイシャドーの色いいな。どこのだろ)


 有那がじっと見つめると美魔女が無表情に見つめ返す。その紫の瞳にニッと笑いかけ、有那は快活に口を開いた。

 なにはともあれ、まずは笑顔だ。タダで物事がスムーズに進むなら、出しておいて損はない。


「おねーさんめっちゃ美人ですね。あたし、光浦有那っていいます。こっちは息子の海渡。おねーさんは?」


「わたくしはこの国の大神官、アデリカルナアドルカと申します。この星読みの館の主をしております」


「えー……と、巫女さん的な? ……オケ、なんとなく分かりました」


 名前が長すぎて覚えられる気がしない。話を先に進めたくてうなずくと、美魔女はまた眉をひそめる。


「いいえ全然分かっておりません。あなた方は星の導きで異なる世界から転移してきました。そのため、その身をひとまずこの星読みの館で――」


「うん、異世界転移してきちゃったと。そんでここは神殿みたいなとこで、あたしは保護されてる。ここまでオッケー?」


「……分かっているではありませんか。ずいぶん前回と違いますね……。あなたは自分が転移することを知っていたのですか?」


「いや知らんけど。なんか状況考えるとそうかなーって。こーゆーのアプリの漫画でめっちゃ読んだし。ド定番の展開っしょ? まさか自分がそうなるとは予想外すぎだけど」


「……?」


 有那の言葉に美魔女が首を傾げた。メタい発言をしてしまった。有那は周りを見回すと、再び美魔女に向き直る。


「……で、あたしたちはどうすれば帰れるんですかね?」


「帰る方法はありません。道が開くことはあっても、それは星の気まぐれでいつ起こるかもどこで起きるかも分からないもの。ですので、今まで帰った者はおりません」


「マ!? ……うあー、やっぱそうかー。ベタな展開キター」


「……?」


 美魔女の素っ気ない返答に有那は目を見開いたが、額を押さえるとうんうんとうなずいた。その予想外の反応にアデリカルナアドルカは三度(みたび)眉をひそめる。


「それも分かっていたのですか?」


「いやそれも知らんけど。そーじゃないかなーとは思ってました。……そっかー。生活どうすっかなー」


「チキューからの転移者は『恵みの者』と呼ばれます。この世界、ソムニウムに新しい知識や技術をもたらすとされていますが……」


「いや……そんなのないですよ。ほらどー見てもパンピーだし」


「…………」


(出た出た、スキルがなんちゃらってやつ。なんの力も湧いてこないしステータスも見えないんですけど。装備:いつものリュックとかマジ終わってる)


 期待の込もる周囲の視線をばっさりと切り捨てると、美魔女は重くため息をついた。


「分かりました。それではアリーナ、これからのことを伝えます」


「あ、アリナです。アリーナだと良席になっちゃう」


「何を言っているのかよく分かりませんが……アリナ。あなたには当面の生活資金を渡しますので、自力で住む場所と仕事を探してもらいます。詳しくは別の者が説明しますが――」

 

「えっ、待って。いきなり無理ゲーすぎん!?」


 突然告げられたなかなかハードな先行きに声を上げると、美魔女はやれやれといった顔で有那を見た。無言でまじまじと見つめると、ゆっくりとうなずく。


「あなたは図太そうだから問題ないでしょう。本当に困ったときは国が力になります」


「いやそれは助かるけど……。え、今日寝る場所もないの!?」


「しばらくはこの館に泊まることもできますが、他を当たっても構いません。補助は出します。ちなみに前回滞在した恵みの者には『子連れには向かない環境だった』と不評だったようです。まあもともとそのような用途は想定していませんでしたしね」


「マジかー。うーん、たしかに静かにしなきゃいけない施設っぽいしなー……」


 有那はお上品な母親ではないが、最低限のTPOはわきまえているつもりだ。子連れがあまり歓迎されていなさそう場所で世話になるのは、自分たちにも相手にもストレスになるだろう。


「かーちゃん……」


「……うん、大丈夫」


 不安そうな顔で海渡が見上げる。そのいつもよりもひんやりと汗ばむ小さな手を握ると、有那はぐるりと周囲を見渡した。


 広間の中には大神官アデリカルナアドルカの他にも数人の人間がいた。

 同じようなローブをまとった神官っぽい人たち、有那たちをここに連れてきた侍女たち、剣を腰に差した護衛っぽい男性、官僚みたいな中年の男性、そして机に向かってペンを走らせる若い男性が二人。その人たちに向かって有那は声を張る。


「……あの! 皆さんの中に、あたしたちをしばらく泊めてくれる方、いませんか? 迷惑はかけないんで!」


 そう呼びかけるも、シンと静まり返るばかりで応える者はなかった。冷ややかな反応に小さく肩を落とす。


(やっぱダメかー。しゃーない、ここで世話になるか……)


 ため息をついて海渡の手を握り直すと、小さな話し声が有那の耳をかすめた。


「……おい。お前んちのアパート、空室ありって言ってなかったか?」


「しっ。余計なことを言わないでください……!」


 有那はぱっと顔を上げると椅子に腰かけた若い男性二人組を見た。話しかけられた方の男性の顔を見て目を見開く。


(えっ、顔面がいい……! やばっ、めっちゃ好みだな……ご飯3杯イケそう)


 濃い青を基調とした揃いの制服に身を包み、すらっと細身のその姿は海外のモデルのようだ。その髪は短い赤茶で、こちらを怪訝に見つめる瞳は暗い金。そのすっきりとした眼差しを細ぶちの眼鏡が彩っている。

 警戒心をあらわにするイケメン眼鏡のもとへつかつかと歩み寄ると、有那は明るく問いかけた。


「ねーお兄さん、アパートの部屋空いてるって本当? あたしたち、泊めてもらえないかな?」


「……嫌です。あなた、うるさいですし図々しそうなんで」


 にべもなく即答した眼鏡に、有那は目を瞬くと「たはー」と苦笑した。




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