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16.冷たい記憶


「僕の話なんて本当に面白くないですからね。……僕は片田舎の役人の息子で――庶子って分かります?」


「ショシ?」


 ユンカースの言葉に有那は首を傾げた。初めて聞く単語を聞き返すと、彼はわずかに目を細める。


「妾の子、という意味です。父は貴族ですが、僕はその次男で、しかも正妻の子じゃないので産まれたときから父には何も期待されてませんでした」


「え……。なにそれ」


 いきなりハードな出自が飛び出し、有那は眉を寄せた。ユンカースは淡々とした口調で続ける。


「でも母はそうではなかったようで……。僕、自分で言うのもなんですけど兄よりもだいぶ出来が良かったんです。それで母が調子に乗ったのか、もっと頑張らせれば次期当主の座を狙えるんじゃないかって朝から晩まで机に向かわされて――」


「うわ……きっつ。でもユンユンの将来を想ってやった可能性もあるんじゃん?」


「そうだったら少しは良かったんですけどね。母は自分のことしか考えていませんでしたよ。僕が次期当主になれば、正妻と兄を追いやって家の財産も自分に転がり込んでくるんじゃないかって。……僕は、彼女の駒の一つでしかありませんでした。乳母に育てられたので、そもそも触れ合った記憶もないですしね」


「…………。ひどいね」


 そんなの毒親じゃん。そう喉元まで出かかった言葉を有那はぐっと飲みこんだ。ユンカースの今の言葉だけでは、彼の本心までは分からないから。

 ユンカースは諦めたように息を吐くと、有那の方をちらりと見る。


「なまじ成績が良かったもので、12歳で進学のためこの王都に来て――母と離れて、ようやく息ができた気がしました。強制されずにやる勉強は楽しかったですよ。やっと自分のために生きられたと思いました」


「そっか……。それから大学に入ったんだよね?」


「はい。王立大学を飛び級で卒業することが決まったとき、地元に帰って来いと言われましたが無視しました。……冗談じゃない、なんであんな家に。帰らない理由を作るために城の登用試験を受けて書記官になって――現在に至ります」


 静かに締めくくり、ユンカースが眉を歪ませながら有那を見た。


「ほら、面白くもなかったでしょう? 僕の半生で特筆するようなことと言ったら、陛下のそばで仕事をするようになったことぐらいですかね。……ああ、あとあなたに声を掛けたのも大きな出来事でした」


「…………」


 面白くないというよりも――寂しいと思った。親に、家に、そんな思い出しかないなんて。

 悲しい顔で有那が見つめると、ユンカースは困ったように息を吐く。


「さて、少し休憩するはずがずいぶん長くなってしまいましたね。今日はこれで切り上げ――」


「……ユンユン、すごく頑張ったんだね」


「え……」


「だってそうでしょ? 王都に来たって、成績が悪ければ連れ戻されたかもしれないし、試験に受からなければやっぱり戻らなきゃいけなかったんでしょ? でも、ちゃんと受かったから今ここにいられてる。ユンユンが子供の頃から努力してきたから、親に逆らう力を持てたんだよ」


「…………」


 予想外の言葉だったように、ユンカースが目を見開く。有那はたたみかけるように告げた。


「ユンユンは頑張った。……だからもう、忘れていいよ。そんな嫌な記憶なんて。そんな親なんて。ユンユンに――そんな顔をさせる相手なんて」


「……っ」


 ユンカースが自らの頬に手を当てる。彼は有那を見つめて問いかけた。


「僕……どんな顔してました?」


「分からんのかい。……寂しい顔。許せない、子供にそんな顔させるなんて」


「……アリナさん」


 ものすごく頭がいいくせに、自分の感情には鈍感だ。そんな彼に苦笑したあと怒りを込めてつぶやくと、ユンカースが意外そうに瞬いた。有那はその顔を覗き込むともう一度繰り返す。


「頑張ったね、ユンユン。もう忘れていいんだよ。捨てたかったら、捨ててもいい。だってもう自由なんだから。自分で勝ち取ったんだから」


「…………。捨ててもいい…のか……?」


「うん。……あ、おうちとか国の事情は分からんけど。親だったら無理やり実家に連れ帰っても合法とか、そういうことない?」


 自問自答のようにつぶやいたユンカースにうなずくと、有那は慌てて問いかけた。


「それはありませんが……。兄にはもう子供がいて跡継ぎも決まってますし、今さら僕に用はないでしょう。そもそも僕は国の機密事項を扱う立場なので、王の許可がないと、たとえ親であっても離職させることはできません」


「おおー、じゃあ問題ないじゃん! やったね!」


 ウェーイと両手でピースをキメた有那に、ユンカースが目を見開き、ついで呆れた視線を向けた。


「あなたって人は……。何も知らないくせによくそんなことが言えますね」


「そりゃ知らないけど、知らんからこそ、ユンユンの実家がなんか変ってことは分かるよ。もういいんじゃん? 自分のしたいようにして」


「…………」


 ユンカースが有那を見つめ、ふいにうつむいた。口元を手で覆うと、息を長く吐き出す。


「ふ……。はは……。あなたが能天気すぎて、なんだかもう色々どうでも良くなってきました」


「笑った……」


「え?」


「ユンユン、笑った! 超レア! 絶対そっちの方がいいよ!!」


「ちょっと、うるさいですよ……!」


 ふっと達観したような苦笑を浮かべたユンカースに詰め寄ると、彼は迷惑そうな顔でのけ反った。有那がキラキラした目で見つめると、居心地悪そうに視線を逸らす。


「もっと笑ってよ~。てかさっき、あたしのことまた軽くディスったよね?」


「知りませんよ。……変な人ですね」


 もう一度ユンカースの唇が苦笑に小さく歪み、有那は胸が温かくなった。子供の頃から閉ざされていたであろう固いドアを、少し開いたような気分だった。


「ふふっ。……最初にあたしたちに声掛けてくれたときさ、子供が泣くのが嫌だからって言ったよね。あれはどうして?」


「どうしてって……普通に嫌じゃないですか。彼のせいでもないのに。理不尽なことで泣いてる子供を見ると、自分の子供時代を思い出します。それで、なんとかしてあげたくて――」


「……昔のユンユンがしてほしかったみたいに?」


「そう……ですね。そうかもしれません」


 不条理に涙する子供を(いと)うのは、過去の自分と重ね合わせてか。それを見て腐ることなく、手を差し伸べてくれた彼を有那は強い人だと思った。

 ベンチから立ち上がると、ユンカースを見下ろす。


「じゃーあたし、そろそろ戻るね。ユンユンはどうすんの?」


「僕はもう少しのんびりしていきます。……あの、ワインありがとうございました」


「うん。じゃあおやすみ――」


「あっ。そこ段差……!」


 ひらひらと手を振った有那が後ろ足で去ろうとすると、ふいにガクンと体勢を崩した。段差を踏み外し、髪が宙に舞う。


「おわっ!?」


「危ない!」


 慌てて立ち上がったユンカースが手を伸ばす。彼の腕に支えられ、間一髪、有那は地面に尻もちをつくのを免れた。

 有那の長い髪がユンカースの腕に触れる。腰を支えられた有那は、ふっと上を見上げるとびくりと体をすくめた。


「あっ……。あ、りがとう。ごめんごめん、暗いのにうっかりしてた」


「大丈夫ですか」


「うん、大丈夫大丈夫。ごめんね、急に」


 ユンカースの腕の中から有那はそそくさと逃げ出した。足元に注意して、庭の入り口へと戻っていく。


「じゃあまた明日!」


 いつもの調子で手を振った有那に、ユンカースも小さく手を上げて応えた。




 有那が去ったあと、ユンカースはベンチに座り直して手酌で残りのワインを注いだ。ぼんやりと月を見上げながらそれを飲んでいると、先ほどの有那の言葉を思い返す。


(捨ててもいい、か……。考えたこともなかったな……)


 今は物理的に距離もあるため干渉もないが、何か問題があったらきっと自分に連絡が来るだろうという懸念はずっと頭に残っていた。実家のことを考えると、気が塞ぎ不快な思いしかしない。


 それをもう忘れていいのだと有那は言った。それが本当に実現するかどうかはともかく、誰かにそう言ってもらえたのはユンカースにとって驚きだった。目から鱗が落ちたと言ってもいい。

 その瞬間、長年胸に堆積していた(よど)みがたしかに軽くなった気がした。


「おかしな人だな……」


 はじめはうるさいと思っていたはずなのに、声を掛けなければ良かったと思ったこともあるのに、いつの間にか彼女がそばにいるのが当たり前のようになっている。あの屈託ない態度と能天気そうな笑みに、なんとなくほっとしている自分がいる。


(僕もなんだかおかしいな……)


 自分の腕に触れた、有那のサラサラした髪の感触がよみがえる。掴んだ腰の、はっとするような細さも。


「…………」


 首が熱くなった気がして喉元に触れると、ユンカースはため息を吐いた。……もう寝よう。きっと飲みすぎだ。

 テーブルに置いたランプとボトルを持って立ち上がると、ユンカースは足音を殺して階段を上った。




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