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15.月夜の中庭


「えー。なんで疑問系になるとこの並びになるの?」


「なんでと言われても、そういうものですから……。僕は言語教師じゃないので説明できません。ひとまずは単語だけ覚えればなんとかなると思いますよ」


「それはそうなんだけどさー。将来、カイトに説明できなきゃ困るじゃん?」


 有那が異世界に飛ばされてひと月が過ぎた頃。日中の乗馬レッスンと夕方からの食堂の手伝いを終えた有那は、自室でユンカースにオケアノス語の読み書きを習っていた。

 ちなみに海渡はすでに夢の中だ。リビングで鉛筆片手に慣れない文字と格闘する有那に、ユンカースが淡々と言い放つ。


「たぶん学校に通えばカイトの方が先に覚えると思いますよ。子供の方が覚えが早いですから」


「それなー。あたしもともと頭悪いのに、前よりもっと覚えるの遅くなっちゃった。やだー老化の始まり?」


「そうですね。記憶力は20代を過ぎると低下の一途らしいですから」


「って否定しないんかーい。……まあいいけど」


 相変わらずユンカースの言葉には腹が立つぐらい嘘がないが、有那や海渡に文字やこの国に関する知識を教えてくれる態度は丁寧だ。

 今日も仕事の後なのに有那の勉強に付き合ってくれて、しかもその教材はユンカースお手製で、手間と時間をかけてくれていることが伝わり有那はそっと隣の彼を見つめる。


(なんだかんだ優しいよなー。でもカノジョいないっぽいんだよなー。めっちゃ顔もイイのにもったいない)


「なんですか?」


「ん? カッコいいなあって見つめてた」


「なんですかそれは……」


 素直に答えると呆れた顔で見下ろされる。ユンカースはため息をつくと立ち上がった。


「集中が切れましたね。終わりにしますか? それとも休憩しますか」


「休憩! 時間もないし、やれるときにやっとかないと」


「そうですか。では――」


 ユンカースが寝室に続くドアをちらりと見て有那に向き直る。


「少し、外に出られますか?」


「…? うん。カイト一度寝たら起きないし、近場なら大丈夫」


「近いも何も、敷地内です。では行きましょうか」



 ランプを持って、2階で休んでいるはずのミネルヴァやレーゲンを起こさぬようそろそろと階段を下りると、ユンカースは一度外に出てアパートの敷地の横に回った。ぐるりと囲まれた柵の一部を押すと、ぱっと見には全然分からなかったが小さな扉が開く。


「えっ!? ここって入れたんだ! 完全に立ち入り禁止だと思った」


「入れますよ。たまに草むしりを頼まれるんで入り方を教えてもらいました」


「草むしり……。ユンユン、エリートなのに庶民派だよね……。イケメンが草むしりなんてギャップありすぎてキュンですよ」


「意味が分かりません。まあミネルヴァさんにはお世話になっていますから」


 扉を閉めて進むとちょうどアパートの裏手に出た。そこはコの字型の中央部分で、外からは見えない中庭のようになっている。

 その片隅に置かれた金属製のベンチにユンカースは腰かけた。折しも空は満月で、ランプのほのかな光もあって互いの顔が夜目にも見える。


「へー。ここ、こんな風になってたんだ。ベンチなんて完全に死角で見えなかった! プライベートガーデンじゃん。おっしゃれ~」


「静かですから、考え事するにはちょうどいいんです。……アリナさん?」


「ちょっと待ってて! いいもの持ってくるから!」


 ユンカースをベンチに残して、有那は来た道を戻った。厨房に回って目当てのものを取ってくると、また柵を開けてユンカースのもとへと戻ってくる。


「なんですか? ……酒瓶?」


「そう。今日、いいワインが入ったから。なくなっちゃう前に飲んで。ユンユン、お酒いけるでしょ?」


「飲めますが……。え、これ売り物ですよね。いいんですか?」


「だいじょぶだいじょぶ、あたしが発注したやつだから。ちゃんとあとで補填するし。いつもお世話になってるから、お礼だよ~」


 コルクを開けて、ユンカースの手に無理やりグラスを握らせると有那はドボドボと白ワインを注いだ。こぼれ落ちそうなそれにユンカースが慌てて背中を浮かす。


「大雑把すぎますよ……!」


「ごめんごめん。はい、かんぱーい」


「まったく……」


 グラスを合わせると、しぶしぶユンカースが口をつける。ワインを一口飲んだ彼は小さく目を見開いた。


「美味しい……」


「でしょ? あたしもちょっと舐めたけど、絶対気に入ってくれると思ったんだよね! ユンユン、お魚料理のが好きじゃん? だから料理に合わせても美味しいと思うんだよね~」


「……なんで、僕が魚の方が好きだと思うんですか」


「え? だって食べる時の感じが違うから。肉料理のときはパク…パク…って感じだけど、お魚だとパクパクだから。カイトも好きなもの食べる時だけは早いんだよねー」


「……っ」


 ユンカースが口を押さえてうつむく。見た目には分からないが、どうやら恥ずかしがっているのだと気付き有那はにやっと笑った。


「人が食べるところを見ないで下さいよ……」


「そんなこと言われたって。一緒に住んでるんだから見えちゃうものはしょうがないじゃん」


「一緒にすっ――! ……んではいません。隣人なだけです」


「はいはい、そだねー」


 ユンカースの訂正を軽く受け流し、有那も手に持ったグラスを傾ける。するとユンカースが怪訝に目を細めた。


「あなたのそれ……僕のと違いますね。アルコールじゃないんですか?」


「あ、うん。あたしお酒はちょっと」


「下戸なんですか? 見た目の印象と違いますね」


「いや失礼やないかーい。……え、あたしそんな飲みそうに見える?」


「はい。ものすごく」


 真顔でうなずかれて有那は苦笑した。手の中のハーブティーのグラスを握ると、ぽつりとつぶやく。


「お酒、嫌いじゃないんだけどさ……昔ちょっとやらかしちゃったから、やめてるんだ」


「そうなんですか。一体どんな――」


「ま、あたしの話はいいからさ! やー、あっという間に一か月経っちゃったね。いい感じに貯えが減ってきててヤバい」


 ユンカースの追及を、有那は強引に話題を転換することで振り切った。深堀りされたい話ではなかったからだ。

 虚を突かれたようなユンカースは怪訝な顔をしながらも、ゆっくりとうなずく。


「そうですね。ずいぶんと騒がしくて目まぐるしい日々でした」


「いや終わってないからー。あと一か月以内にウーマーイーツ開業できるかなあ……。てか開業しないとマジで金銭的にヤバい。いよいよ国のお世話になっちゃう」


「…………」


 残りの期間と貯えとを指を折ってカウントする有那にユンカースが視線を向ける。彼は淡々と有那に問いかけた。


「アリナさんは……元の世界でも、仕事をして給金を得てカイトを養っていたんですよね。なぜ配達の仕事に就くことになったんですか? カイトが産まれる前からその仕事をしていたんですか?」


「え、なになに。急に質問タイム? あたしに興味持っちゃった系?」


「自意識過剰ですよ。僕があなたの先行きに多少なりとも関わっているから、知っておきたいだけです」


「言ってみただけじゃーん。そんな怖い顔しないで」


「元からです」


 酒を飲んでも変わらない、端正な仏頂面にツッコミを入れるがスンと返された。有那は息を吐くと、手を組みながら口を開く。


「カイトが産まれる前はね、あたしただのフリーター……なんだ、非正規雇用?だったんだ。それこそ飲食やったり、レジ打ちやったり……高卒だからあんま稼げる仕事はなかったけど」


 ユンカースが言葉の意味を問いただし、一つ一つ簡単に説明していくと続きを促された。今は暗いから出さないが、きっとあとで手帳に書き留めるのだろう。


「でも妊娠して……予想もしてなかったし、妊娠したって言ったらバイトはクビになるし、これからどうしよう、どうしようってメンタル病んでるときに……運送会社の社長に拾われたんだ」


「……シャチョーとは」


「会社の一番偉い人。お店の店長みたいな。……あたし最初、『なんだこのオヤジ。若い女拾って愛人にするつもり?』とか思ってたんだけど、そのおっちゃん、あたしに簡単な事務職させてくれてさ。それで食いつないで、子供産んだら育休もくれて、あたし……救われた。ほんとに命の恩人だった」


「…………」


「でも事務職、やっぱ給料安くてさー。保育園に入れたはいいけど、生活カッツカツで。将来のこと考えたら、あ、このままじゃヤバいなって思って。お水とか風俗とかもちょっと考えたり」


「水……? フーゾク、とは」


「あー。男相手の酒場……? 風俗は……なんだ。娼館っていうの?」


「……っ」


 ユンカースがはっきりと顔をしかめた。その潔癖そうな反応に有那はふっと苦笑する。


「しょーがないよ。お金ないもん。でも夜働くとカイトと一緒にいれないしさ。風俗で稼げんのも若いうちだけじゃん? それに子供に言えない仕事してんのもやだなーって思って」


「それで……どうしたんですか」


「そのへんのこと社長に相談したら、じゃあ運転やってみたらどうだって。あたし、免許持ってなかったからまず教習所に通わせてもらって――軽貨物から配送の仕事始めたの。それで慣れて、もう少し稼ぎたいし時間に融通きいたほうがいいなと思って独立してフリーになったんだ。会社からは離れたけど、社長にはほんとに感謝してる。もうお礼も言えなくなっちゃったけど」


 有那が満月を見上げると、ユンカースは逆に足元に視線を落とした。グラスに残ったワインを飲み干すとぽつりと口を開く。


「アリナさんは……金持ちになりたいんですか?」


「え? そりゃーないよりあった方がいいよ、金は。うち実家も貧乏でさー。高校までは行かせてもらえたけど、もういっつも生活ギリギリだったし貧乏は飽きたよ。高校出たら自分で稼いでいつかいい家に住も、とか思ってたら結婚もしないで子供産まれちゃって、またまた貧乏。貧困の連鎖ってほんとだよねー」


 たはーと笑いかけると、ユンカースはなんとも言えない顔で押し黙った。有那は眉を下げると足元の石をコンと蹴とばす。


「カイトの服なんてほとんどお下がりかフリマだしさ。まー男の子だし文句も言わないから助かってるけど、将来を考えると今あたしが頑張らないとね」


「将来……」


「うん。本人がやりたいことあるなら、その学費ぐらいは稼いであげたいなって。あたしは馬鹿だし頑張らなかったから選べる仕事も少なかったけど、カイトにはそういう思いはしてほしくない。まーただの親のエゴかもしれんけど!」


 真面目に語ってしまった気恥ずかしさに最後は笑いで誤魔化すと、ユンカースは有那をじっと見つめた。言葉を探すようにしばらく黙ると、彼は静かに口を開く。


「あなたは……馬鹿じゃないと思いますよ。そりゃ常識はないし図々しいしついでに騒々しくもありますが、知らない世界に飛ばされて、自分の力で生活を切り拓こうとしているじゃないですか。カイトのために頑張ってるじゃないですか」


「え……」


「元の世界でもあなたなりに必死で生きてきたようですし、今も僕を含め、色んな人に教えを請うている。……そういう人を、僕は馬鹿とは呼びません。あなた、意外に物覚えはいいですしね」


 眼鏡の奥の目がほんのわずか細められ、有那は一瞬ドキッとした。ユンカースから視線を逸らすとその背中をバンバンと叩く。


「きゅ、急に褒められると照れるじゃーん! てか褒めつつディスってもいない?」


「でぃす……? あの、痛いです」


「あ、ごめん。……じゃあ次はユンユンの番ね。ユンユンはどうして今の仕事に就くことになったの? てか家族とか、どんな感じ?」


 話題を変えようと矛先をユンカースに向けると、彼は困惑したように眉をひそめた。


「いえ、僕のことは別に……。聞いてもあなたみたいに波乱万丈な人生ではないですし」


「フツーが一番だって。なによー、あたしにだけ話させて自分は話さないってなくない? 知りたいんだよ、ユンユンのこと」


「……っ」


 ユンカースが小さく固まり、ついで観念したように息を吐いた。彼は夜空を見上げると低く語り始めた。




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