・6-6 第91話:「陥落の危機」
・6-6 第91話:「陥落の危機」
一日に三十キロメートル以上を進む強行軍は、苦難の連続であった。
これまでとは異なり、元から計画のあった行動ではないからだ。
進軍する部隊への支援を突然に要請された沿道の街や村では準備が間に合わず、兵たちへ提供する食事や休養場所などの手配で混乱が生じたし、複数の経路に部隊を分散して進んだために統制が取れず日程が狂ったり、所在が不明になったりする場合が続出した。
それでもエドゥアルドたちはひたすら進み続け、当初の目論見よりは若干遅れたものの、八日間で先鋒部隊がヴェストヘルゼン公国の国境にまで到達し、その翌日には代皇帝自身もそこに加わっていた。
まずは情報収集を行う。
ヴェルナー公爵からの救援要請と敵兵力の第一報を受けて即座に出陣して来てしまったため、戦況についての詳細がほとんど入手できていなかったからだ。
(少し、早まったかな……)
道中、歩き続けながら、エドゥアルドの脳裏にはそんな不安が何度もよぎっていた。
共和国軍が新たな場所に戦線を設ける恐れがある———。
その可能性をずっと懸念していたところに、帝国の南西方面に敵があらわれたという知らせが入り、続報を待たずに前のめりになって反応をしてしまった。
軽率な判断をしてしまったのではないか、という思いが膨れ上がって来る。
もし、実際に攻め込んで来た敵の兵力が少なく、現状のヴェストヘルゼン公国軍でも十分に守りきれる規模でしかなかったら。
エドゥアルドも兵士たちも、多大な労力と費用をかけて、無駄な行軍を行ってきたことになってしまう。
もちろん、行軍中も情報収集は行われていた。
ヴェルナー公爵からは帝国軍の首脳たちに向けて続報が発せられていたのに違いなかったし、先に進出した先鋒部隊も盛んに偵察を放っている。
しかしそれを受け取るべき代皇帝自身が常に行軍を続けており、その場所が点々としていたため、うまく情報が届かなかったのだ。
だがヴェストヘルゼン公国の国境に到着して本営が定まったために、ようやく各所との連絡がつき始める。
履き潰してしまったブーツを新調し、疲れ切った脚を労わり、潰れたマメの手当てを受け、後続の将兵が到着するのを待ちながら、エドゥアルドはその所在が定まったことでようやく手に入り始めた情報を整理し、今回も引き連れて来たブレーンのヴィルヘルムや、各師団長、参謀たちと共に急いで分析していった。
道中で抱いて来た不安は、外れていた。
敵は本当に、ハイリガー・ユーピタル・パスを踏破して侵攻してきていたからだ。
そして、ヴェストヘルゼン公国は窮地に陥っている。
帝国軍の本隊を離れて出発する際に、エドゥアルドはヴェルナー公爵に対し防衛戦に徹するように、という命令を発していた。
だが、それが届く前に、すでに大規模な衝突が発生してしまっていたのだ。
公爵自身が積極的に出撃しようとしたわけではない。彼は侵攻の当初から交戦を不利ととらえ、代皇帝にいち早く救援要請を発するのと同時に国内に点在している部隊に対して結集を命じていた。
国境でハイリガー・ユーピタル・パスの警戒監視に当たっていた部隊には抵抗せず後退するように指示を出し、休暇中だった将兵には復帰するように命じ、アイゼンブルグに戦力を集中して、帝国軍の来援があるまで籠城を行うつもりでいたらしい。
しかし、外に出て戦わざるを得ない状況が生まれてしまった。
部隊の一部が孤立してしまったためだ。
折しも公国軍は新兵の訓練のため、夏季に差しかかって雪の溶けた山岳地帯で大規模な演習を行っていた。
そこへ共和国軍が侵攻してきて、公国の首府であるアイゼンブルグとの間にくさびを打ち込まれてしまったため、分断された五千名ほどの部隊は孤立し、その救援のために戦闘が発生したという。
その結果は、惨敗であった。
元々交戦に耐えうる精兵が少なかったことや、敵である共和国軍側の作戦指揮が的確であったことなどから、孤立していた部隊は壊走して散り散りとなり、出撃したヴェストヘルゼン公国軍も退却を余儀なくされてしまった。
その際に追撃を受け、かなりの損害と落伍兵が生じたという。
この結果、アイゼンブルグを防衛するための兵力さえ不足しがちな状況に陥り、防戦一方となっているのだという。
籠城しているのは、一万五千程度。
それも正規兵ではなく、市民に旧式のマスケット銃や即席の槍などを持たせて補助させてようやくその数であるらしく、精鋭と呼べるのはその半数程度しかいない。
陥落は時間の問題と言えた。
悪い形で始まった戦いに敗北した結果、ヴェストヘルゼン公国は数少ない平野部をすべて失い、主要な街や村のほとんどを占領されてしまっている。
アイゼンブルグには十分な食料、そして武器と弾薬の備蓄があるが、こうした現状を目の当たりにして、籠城している将兵の戦意の低下は著しいものがあった。
自分たちの故郷が敵に占領されてしまっている、ということは、その家族が人質にされかねない、ということでもあるし、新たな物資の流入も断たれた、ということだ。
そしてなにより、敗北によって自信を喪失し、無力感が蔓延してしまっている。
戦いの結果、生き残った兵力は他にもあるはずだったが、バラバラにされたそれらの部隊が再度戦力として再生する見込みはないし、外部から援軍が到着するのかどうかもわからない。
兵士たちの戦意が失われてしまっているのでは、ヴェルナー公爵がいくら交戦を主張しようとも、戦いにならなかった。
包囲する共和国軍からは、降伏を求める使者も何度かやってきている。
公爵はのらりくらりと返答をはぐらかして時間を稼いでいたが、それも限界に近付きつつあった。
「一刻も早く、来援が来た、ということを知らしめる必要があるな……」
エドゥアルドはそう判断をし、率いてきた全軍が集結するのを待つことなく進軍を再開した。
建国歴千百三十六年の六月十九日、ついに帝国軍はアイゼンブルグの近郊に到達し、包囲戦を行っている共和国軍と対峙する。
現状で彼の手元にある兵力は、四万程度。
一万ほどが、一週間以上も続いた無理な行軍の影響で落伍し、未到着のままであった。




