・6-5 第90話:「駆け抜けて」
・6-5 第90話:「駆け抜けて」
史上でも類を見ないほどの速度で救援に向かう。
初めてのこと、ではない。
すでにムナール将軍が実行して見せている。
それと同じことをするだけだ。
———といっても、こちらが駆け抜けて行かなければならない距離は、それとは比較にならないほどに長い。
だが、不可能ではないはずだった。
一日に十キロメートルが標準、帝国軍が工夫してなんとか二十キロ、というのは、あくまでそれだけの大軍が統率を乱さずに移動できるペース、というだけであって、人間が身一つで旅をするのならば三十キロメートル以上は十分にあり得る数字なのだ。
できるだけ身軽になる必要がある。
威力はあるが重量のある大型の火砲類や、荷物を満載した馬車などは引き連れていくことはできない。
歩兵だって、背中に何十キロもの重量を背負っていては、一日に歩ける距離は限られてしまう。
だからエドゥアルドは、即興で工夫をした。
行軍を早めるために今までに行って来た工夫をさらに突き詰めて行うのと同時に、大胆に取捨選択をして、持ち運ぶ荷物の量を削ったのだ。
まず、大口径の火砲類はすべて置いていくこととした。
運搬が困難であったし、士気を低下させているとはいえ未だにこちらを上回る大兵力を展開している共和国軍の主力と対決するのに当たって、その威力が必要不可欠になるだろうと思えたからだ。
その代わり、容易に運搬できる騎馬砲兵をかき集めて、臨時の砲兵部隊に編成し直した。
そして食料などの物資は、ほとんど持ち運ばないという風に決めた。
南へ向かう経路に沿って領地を有している諸侯と、帝国軍が設営していた補給の中継基地に命令を発し、将兵が自前で糧食を持ち運ばずとも食事や休養が取れるように手配を行うことで、重い輸送用の馬車や背中に背負っていく荷物の量を大幅に軽減したのだ。
加えて、部隊を分散させての進撃を徹底した。
管理という点で見れば一本の街道に沿って進んでいくのがもっとも簡単なのだが、手持ちの物資を最小限にして沿道からの支援に依存する、という方針では一度に全員が通過することはできなかった。
数万もの人員に食事を提供できるような場所がどこにもなかったからだ。
師団ごとですらなく、そこに内包される連隊ごと、せいぜい数千の規模に別れて、一度に全員が進むのではなく、時間差を設けて順番に通過していく。
しかも管理の煩雑さや部隊がはぐれる危険を容認して、複数の道を利用することとした。
こうすることで、一週間で先鋒がヴェストヘルゼン公国の国境に到着し、それから二、三日以内に全軍が集結できる予定だった。
即興の計画だ。
帝国側は共和国が南西部に侵攻して来ることをまったく予想していなかったため、その方面に向かって軍を動かす計画を用意していなかったためだ。
このため、実際に成功するかどうかは未知数の部分が大きかった。
建国歴千百三十六年六月七日、エドゥアルドはまず、ヴェストヘルゼン公爵・ヴェルナーに宛てて、代皇帝自らが軍を率いて援軍すること、それまで防戦に努め戦線を維持すること、を伝える早馬を送り、次いで、進軍経路上の街や村、帝国軍の中継基地に向かって支援の準備をするように命じ、さらには帝都にいるクラウスやアントンに事の次第と自分がどう行動するかを伝達する使者を発して、ついには自ら軍を率いて出撃した。
先頭を行くのは帝国陸軍の騎兵師団だ。彼らは前方の警戒を行うのと同時に、沿道の支援体制がどの程度準備できているのかを確認する、という役割を担っている。
続くのは、騎馬砲兵部隊。限られた貴重な火力であり、必ず前線にまで持ち込むために、落伍するものが生じた場合にも後続の部隊で対応できるようにという配慮があっての序列。
そしてその後に歩兵たちが続く。エドゥアルドもその中に含まれる。
馬には乗らず、———徒歩での従軍だった。
ただでさえ、兵士たちには無茶な行軍をさせるのだ。
自分も歩かなければ示しがつかないだろうというのが、代皇帝の信念であった。
しかし、二百キロメートル以上の距離を歩き続けたことなど、今までの人生で一度もない。
だから入念に準備を行った。ベテランの兵士に行軍中に気をつけるべきことを教えてもらい、ブーツは履き慣れたものを選んで中には藁を仕込みクッション性を強化し、足の中が蒸れないように工夫をし、鬱血を防ぐためにしっかりと帝国軍で広く採用されている軟革製のゲートルを巻きつける。
そして、荷物は最小限に。
歩兵たちと同様、最低限の着替えと寝具、道具だけにとどめる。
もっとも、それでも他の者たちよりも身軽であった。
エドゥアルドが携行する武器と言えばサーベルだけであり、他の兵士たちのようにマスケット銃とその弾薬を身につけてはいないからだ。
「あ、あのっ、エドゥアルドさま! 」
ゲートルの固定具合を入念に確認していたエドゥアルドに、今までどこかに行っていたらしいメイドのルーシェがいつの間にか帰って来て声をかけて来る。
顔をあげると、少女の手には大きなパン籠が握られていた。
普段着替えなどを手伝ってもらっているが、今回は軍装に関わることということで、ベテランの兵士に手伝ってもらうから、彼女の手を借りていなかった。
それでもなにか役に立ちたい、と、急いでなにかを用意して来てくれたらしい。
「これは……? 」
「お弁当です! エドゥアルドさまが、無事に歩き切れるように! 」
怪訝そうな顔をしながら問いかけると、黒髪ツインテールのメイドは鼻息荒く、「見て、見て! 」とアピールするように瞳を輝かせている。
中身は、サンドイッチだった。
陣中でのことなのでカイザー・センメルではなく、兵士たちが食べているライムギパンをスライスして作られたものだったが、そのどれもが違った具材になっていて、食べる相手のことを考えて一生懸命に作ったものだ、ということがわかる。
エドゥアルドは、帝国の国政を刷新するべく忙しく帝都で働いていた日々のことを思い出していた。
あの時も、忙しい中でもきちんと食事ができるよう、ルーシェが毎日サンドイッチのお弁当を作ってくれて、そのおかげで頑張れたのだ。
彼女も、そのことを覚えていたのだろう。
急な進軍だからメイドがついて行くことはできないが、力が出るお弁当があればエドゥアルドも無事に歩ききることができるだろうし、喜んでくれるのに違いないと、限られた時間で精一杯に用意してくれたものであるらしかった。
「ダメだよ、ルーシェ。それは、持って行けないよ」
ルーシェのしてくれたことは嬉しかったが、エドゥアルドは苦笑しながら断った。
「そんなにかさばるもの、持って行けないよ。それに、僕だけがいいものを食べていたのでは、無理をさせる兵士たちに悪い」
「そ、そうでございますよね……」
そういった点をまったく失念していたのだろう。
はっ、と気づいたメイドはみるみるうちにしょげていき、ツインテールが力なく垂れ下がる。
「だけど……、食べたいな」
その姿を微笑ましく思いながらパン籠に手を出したエドゥアルドは、ひとつだけサンドイッチを手に取ってそのまま口へと運ぶ。
オーソドックスなハムとチーズのサンドイッチ。
「うん、美味しい。……おかげで、ヴェストヘルゼン公国まで歩いて行けそうだ」
ルーシェ、ありがとう。
そう伝えると、少女の表情は一気に華やいだ。
———その、笑顔に見送られて。
代皇帝は兵士たちの隊列に加わり、南へと向かって出発した。




